獅子と虎ーⅡ
シルヴェストール・エルネスティーヌという
誰かに憧れて
王宮護衛騎士として、なるべくしてなっただけであって、自分から望んでなった訳ではなかったし、他の
そんな彼女でさえ、見入る戦いが今、目の前で繰り広げられている。
光輝を湛える灼熱の斬撃は、自分達では傷を付けるのさえ困難だった鋼鉄の処女さえ焼き斬るのではないかという熱量を持って、描かれる
距離を取ろうと後退する虎徹との距離を、凄まじい速度で縮めていく。
“
クリスティアナ・リリーホワイト最強の戦闘態勢。
絶えず襲い来る炎と斬撃によって、過去、百鬼夜行と呼ばれた魔性の軍団に一本の道を作ったとされる噂は、組織の人間なら誰もが知っている。
先程まで翻弄されていた術式を、効力発動前に斬り伏せていくクリスティアナの攻撃が、虎徹に届くのは時間の問題。
実験だなんだと言っている場合ではないが、虎徹は逃げながらも着実に印を結び、防御しながら次の手段を整えんとしている。
が、それを許すほどクリスティアナも甘くない。
「“
繰り出す度に加速し、燃え上がる斬撃が虎徹に迫る。
自らの脚力を強化していた虎徹も遂に間合いに入られ、絶命の一撃が振り被られた瞬間。虎徹は二本の指を立てた。
斬撃で応戦するつもりかと無謀な賭けを想像するシルヴェストール――シルヴィに対し、虎徹は予想の斜め上を行く。
「“
大振りで繰り出した横薙ぎ一閃。
確実に虎徹の胴を捉えたと、誰もが思ったが、クリスティアナが手応えの無さに気付き、誰よりも早く気付いた。
先にクリスティアナを弾き飛ばしていた、斥力を生み出す
戦場の至る所に描かれた
「“
戦車と言っても、魔性相手に役に立たなかった重い鉄の塊ではない。
動物に引かせる事で機動力を上げ、高速の移動を実現した古代の兵器。
御する動物こそないが、虎徹は自らを戦車として人間離れした機動力を得ていた。
幾ら攻撃力があっても、当たらなければ意味はない。
そして、大鎌は一振りの威力こそ強大だが、一撃外した時の隙が大き過ぎる。素早い敵とは相性が悪い。
よって無理な追撃は命取りと判断したクリスティアナは、攻めに攻め続けていた猛攻を止める以外の選択肢を選べなかった。
が、だからと言って何も策がない訳ではない。
高々と掲げた鎌の刃を喰らう獅子を模した装飾の中、輝ける宝玉と思われていた丸い物体がギョロリと回ったのだ。
「“
クヤムは獅子座の原型となったネメアの獅子を倒した英雄、ヘラクレスの星座の一つとして数えられ、猟犬座と呼ばれている。
その名の通り、名を解放した鎌は獅子でありながら猟犬が如く眼球を忙しなく動かし、飛び交う虎徹を狙って自動的に振り被っていた。
クリスティアナの意思に影響されず、相手を自動追尾して斬り伏せる。
それがこの技最大の長所。これで大振りによる隙も、より小さく短くなった。
(目の見えないあなたに、自動で追尾する
(クリスティアナ様の動きが変動した事こそわかっているはず。しかしそれを、盲目の虎徹が追いかけられるか……鎌の風切り音を聞いてからでは、おそらく間に合わない……!)
強者ほど、視界のハンデによる虎徹の劣勢は否めないと思っていた。
しかし1人だけ、全く逆の考えを持つ者がいた。
どこからか噂を聞き付け、勝手に部屋を飛び出し勝手に観戦しに来た少女、ミシェル・
音で気付いても間に合わない。
視覚が封じられている以上避けられない。
否、否、否――そう考えている時点でその人は虎徹を、延いては人間と言う生物そのものの仕組みをまるで理解していない。
人間の反射というのは簡単に言えば、見る、聞くなどしてから反応して動くまでを言う。
脳による細かい命令ではなく、脊髄による瞬間反射は、簡単な命令ながら凄まじい速度で体を流れ、動かす物だ。
常人ならば、大体の反射速度は速くても0.12秒程度。0.10秒以下は人間の身体能力的に不可能と解明されている現代では、0.11秒でも天賦の才が無ければ実現できない反応速度とされる。
が、脳の抑制を外せばどうなる。
体は元々、本来の発現出来るはずの全ての力を発揮すれば壊れてしまうほど脆い。そのため、脳は体に常に抑制をかけ、体が壊れるのを阻止している。
しかしその抑制を外し、実現不可能とされる反射速度に対応出来る体を手に入れる事さえ出来ればどうなる。
“
獲物目掛けて振られる
風切り音が咆哮の如く短く響いて、高速移動する虎徹の動きを捕まえた瞬間。虎徹の指から描かれた軌跡が、眩い
「“九字護身法・
風が遅れて吹き抜けるような斬撃の応酬を、描かれる
人間離れ――否。最早人間を止めた反射速度で繰り出される盾は、追い回す斬撃さえ追い越して、既に次に来る斬撃さえ予測して張り巡らされていた。
同時、盾は防壁兼包囲網と化し、クリスティアナの鎌を振るために必要な最低限の間合いさえ奪う。
鎌が触れなくなったクリスティアナの体が、ぎゅうぎゅうに押し込まれていく中、最高速に達した虎徹が一挙に肉薄して来た。
「“九字護身法・
「“
両者、最強攻撃力を誇る斬撃術式同士がぶつかる。
この衝突の最後に勝敗の分かれ目を見た誰もが目を見張った中、誰もが、彼の乱入――正確には、制止しに入ったのを見逃した。
「はいはい。そこまでそこまでぇ。金刀比羅も獅子宮も、ちょぉっとヒートアップし過ぎなぁ。これ以上は試合じゃなくて死合いになっちまうんでぇ、野次馬含めて解散退散。血が滾って暴れてぇよぉって奴ぁ……優しい優しい
指二本。
指二本で虎徹の斬撃も、クリスティアナの鎌も捕まえ、動かさない。
挟む指の力云々の話ではない。陰陽師としての力、呪力の話だ。呪力はそれ即ち感情の力。一体どれだけの感情が彼の中で渦巻いているのか、想像するには自分達の想像力では乏し過ぎる。
「ってな訳でぇ……鉾、基ぃ、指と鎌を収めなお2人さぁん。これ以上はさすがに上がうるさくなるしさぁ」
「……仕方ないわね」
「そう言う訳だぁ。おまえも止まりな金刀比羅ぁ。これは、道満様のご意思でもある」
「了解した」
ヘタリ、とシルヴィは力なく座り込む。
最後の衝突寸前まで、反応さえ出来なかった。
名前を与えるだけでここまで強くなるものかと虎徹自身も驚いた様子だったけれど、元より怪物じみて強かった彼が更なる怪物へと変貌を遂げた事に少し困惑し、若干の恐怖さえ覚えていた。
目が見えない。
匂い、味を感じない彼は、何かを想像する力が欠けていた。
だからネーミングが壊滅的だったのだと思っていた。元より、イメージの基本とする物が彼の中にないからだ。
しかし一体どこで、いつの間に学んだのか。
名前とイメージを持っただけで、人はここまで強くなれるものなのか。
つくづく、彼の相棒として負けていられないなと、シルヴィは震える脚に自ら喝を入れて立ち上がり、平静を装いながら用意していたタオルを虎徹へと投げかけた。
「お疲れ様でした」
「……? 血はついていない」
「汗ですよ。そこまで掻いている訳ではありませんが、一応顔くらい拭いては?」
「拭くと何か変わるのか」
「さぁ。でも、気持ちがいいものです。少しはスッキリすると思います」
言われた通り、顔を拭いてみる。
触角が人より敏感なせいか、強く感じるタオルのフワフワとした感触が、虎徹の顔を包み込む。ただしそこに感動する心は無く、虎徹はゆっくりと顔をなぞるだけに終わって。
「スッキリしたかわからないが、後で返す」
「そうですか……わかりました」
ちょっと寂しかったが、今はそれでいい。
名前を与える事を受け入れてくれたように、いつか受け入れてくれる日があるのならば。
「強いのね。さすが最年少記録保持者と言ったところかしら、金刀比羅虎徹」
クリスティアナが話し掛けて来るのは、少し意外だった。
彼女ならば戦闘が中断された段階で、冷めたと帰ると思っていたのだが。
「
「それでも、勝機を見出せるだけあなたは強いわ。普通、私と組手すると言うだけで、みんなビクビク怯えるもの」
「俺は、そのように存在する」
「みたいね。そんなあなたに不躾な質問だけれど、今回の作戦で組む相手、決まったのかしら」
「まだだ。近接戦闘は足りているので、補助系術師がいいと思っているが、これから当たる」
「そう……なら、1人紹介してあげる。組めるかどうかはあなた次第だけれど」
「わかった」
これで一応、クリスティアナの面目は保たれたか。
あくまで星将筆頭である自分の方が上だと周囲に知らしめるには、今の会話である程度足りたと思われる。
紹介はあくまで、彼女の面目を保つため。
言われた通り、その人と組めるかどうかは、この、コミュニケーション能力皆無と言って等しいほどの戦闘人間である、虎徹次第だ。
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