エピローグ

雨上がりと、終わる物語。

 翌朝、きのうから降り続く雨を見ながら、僕は荷物を担いだ。リュックに、たいした物は入っていない。何冊かの本とノートパソコン、折りたたみの傘や最低限の筆記用具、あったら役に立つようなものばかりだけど、いまの僕にとっては、必要のないものだらけだ。


 両親と姉に、

「ちょっと急だけど、帰ろうと思ってるんだ」

 と告げると、三人とも驚いた表情をしていた。それはそうだろう。きのう久し振りに帰省したばかりなのだから。急ぎの用事を思い出したんだ。大学の単位のために教授に会いに行く必要ができて。そんな適当で、下手な嘘をついた。両親は分からないけれど、明らかに姉は、僕の嘘に気付いていた。


 僕が家を出る時、姉が言った。


「どういうつもり?」

「何が?」

「あんな分かりやすい嘘までついて、どこに行くつもり?」

「ちょっと遠いところ」

「嫌なことがあると、すぐ遠くに行こうとする癖は変わらないね」

「……姉ちゃんは、幽霊、信じてる?」

「いきなり何それ。それにまた、その話……。きのうも言ったけど、視えないのは、いないのと一緒だよ」


 そう一緒だ。だから仕方ないじゃないか、視えちゃったんだ。大切な子がひとりで寂しがっているんだから。


「ごめん、変なこと聞いて。もう行くよ。じゃあね」

 困惑する姉にそう告げて、僕は背を向ける。姉が、僕の肩に手を置いた。振り返ると、深刻そうな表情をしている。本当に察しがいい。


「また、会えるよね?」

「何、言ってるんだよ。もちろん。ただ帰るだけだから、また来るよ」


 僕はまた、背を向ける。決意が鈍ってしまいそうで怖くなったのと、

 ほおからつたう涙を見せたくなかったからだ。


 これから僕はどうなるのか、自分でも分からない。


 駅に着くと、切符を買い、改札を通って駅のホームに入る。そこにはすでに葉瑠の姿があった。僕の姿を見つけて、嬉しそうに近寄ってくる。だけど葉瑠は僕に何も言わなかった。


 周りにはひとの姿があるから、気を遣っているのだろう。僕たちにとってはふたりの会話も、周りからすれば、ただのひとりごとだ。


 電車に乗ると、僕たちは隣同士に座った。乗客はそんなに多くはない。


『すこし眠ったら? 全然寝てないでしょ』

 葉瑠が言った。


「そうだね」

 葉瑠の言葉通り、僕は、ほとんど寝ていない。揺れる車内からぼんやり外を眺めていると、睡魔が襲ってくる。

 彼女の言葉に甘えて、僕はすこしの間だけ睡眠をとることにした


 眠りに落ちる直前、声が聞こえた。ごめんね、と言われたように思うけれど、自信はない。ありがとう、だったのかも、さよなら、だったのかもしれない。


 目を覚ますと、葉瑠の気配は消えていた。かつてふたりで見た、あの海へと向かう電車は、すでに故郷の岐阜を離れている。そのせいだろうか。いや違う……。もう二度と彼女とは会えないような気がした。


 葉瑠は、僕を連れていかなかった。


 どうしてだろう。どれだけ考えたところで、理由を知る唯一のひとは、もうどこにもいない。寂しくはあるけれど、それが彼女の選んだ道なら従うしかない。手を引かれなかった僕は、これからも生きていくしかないわけだ。


 車窓越しの景色も、姿を変えていた。

 雨は、もう上がっている。


 弧を描いた虹の向こうで、晴れた世界を象徴するような太陽がきらめいている。明るさの増していく空を見ながら、僕は気付いてしまった。


 雨と僕たちの物語がいま、終わりを告げたのだ、と。



「雨、晴れる時」了

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雨、晴れる時 サトウ・レン @ryose

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