第4話

 5時を告げる町内のチャイムが窓の隙間から聞こえてきた。ちょうど報告書を送信し終えたところだ。ナオヤの様子を見に行こうかと立ち上がる。


 廊下に出ると、扉の方から西日が差し込んでいた。眩しさに目を細めながら、応接室の扉を開く。バケツ頭の向かいのソファに座ったナオヤが、じっとそれを睨みつけていた。



「お前、ずっとそうしてたのか?」



 ナオヤは俺に気付くや否や立ち上がり、助けを求めるようにそばへ寄ってきた。



「こいつ、マジで不気味なんすよ。なんも答えないし、ママとしか言わないし!」



「お前が怖がってんのが伝わってんだろ、子供はそういうのに敏感だ」



 バケツ頭はしょんぼりとうなだれて、足をぶらぶらとさせている。



「子供って……隊長、マジでこいつのこと変な見た目したただの子供だと思ってるんすか!?」



 ナオヤの大声に、バケツ頭がびくりと肩を揺らした。叫ぶな、と目線でいさめれば、ナオヤは納得のいっていなさそうな顔で目線を落とす。



「だって、あの黒災から出てきた化け物ですよ……。怖くないんすか?」



 そう言われて、改めてバケツ頭に目を向けた。確かに、生き物とは思えない見た目だ。動いている理由もわからないし、敵か味方かもはっきりしない。


 けれど、あの母親を呼ぶ声を聞いてしまっては、もう怖いと思えなかった。



「怖くないと言ったら噓になる。だが、必要以上に怖がる理由もないだろ」



 そう説明したが、ナオヤはまだむくれていた。



「ま、今日はもう帰れ。こいつのことは明日相談しよう」



「これ、今日どうするんすか?」



「俺がここに泊まるよ」



 そう言うと、ナオヤはバケツ頭を一瞥して応接室を出て行った。


 ナオヤの座っていたソファに座り、目の前の異形を見据える。どこを見ているのか、頭をふらふらと動かしていて、落ち着かない様子だった。



「……何か、してほしいこととかあるか」



 返事はない。腹は減ってないか、と聞くと、首を横に振る。そもそも何も食べないのかもしれない。


 揺れる細い脚からぱらぱらと砂が落ちる。あとで掃除をしなくては、と思いながら応接室を後にした。外側から鍵をかける。きっとあいつの身長では内鍵に手が届かないだろう。


 事務所へ戻ると、ナオヤの姿はすでになかった。未だパソコンにかじりついているシグレと、帰り支度を進めているゴウが目に入る。



「シグレ、お前ももう帰れ」



「でも、まだ始末書完成してなくて……」



「明日でいい」



 でも、とまだ渋るシグレの背を叩き、帰れと促せば彼女はしぶしぶ立ち上がった。帰ると言っても、俺らが住んでいるのはすぐ隣にある寮だ。黒災の発生にすぐ対処できるように、部署の近くに住むことが決められている。といっても、そんな規則があるのはこの部隊の人数が特別少ないからだ。



「ミクニ、あいつのことどうすんだ?」


上着を羽織りながらそう問いかけてくるゴウへ目を向ける。



「俺が残って様子見るよ」



 そう言うと、シグレが私も、と手を上げる。



「隊長だけに、残らせるわけにはいきません」



「いいよ、なんかあったら呼ぶ。ほら、早く帰れ」



 椅子に掛けてあったシグレの上着を彼女の肩にのせ、ぐい、と事務所の扉の方へと押した。



「ゴウ、こいつのことちゃんと連れて帰ってくれ。放っといたらこっちに来そうだ」



「おう、任せな」



 ゴウがまだ帰るのを渋っているシグレの背を押して、事務所を出た。言い合う2人の声が扉越しに聞こえる。やがてそれも遠ざかり、部署の中は静かになった。


 これで、ここには俺と化け物の2人きりだ。そう考えると恐ろしいが、相手はきっとただの子供。必要以上に怖がらなくていい、とさっきナオヤに言った言葉を自分に言い聞かせる。


 廊下に出て、小窓から応接室を覗いた。やつは眠くなったのか、ソファに横になっている。今の間にシャワーでも浴びようと、もう暗くなった廊下を歩いた。


 体が温まると、今日の疲れがどっと体に押し寄せた。家に帰って眠りたいが、あれをここに残していくわけにはいかない。タオルで頭を拭きながら応接室へと戻る。


 バケツ頭はまだ横たわったままだった。胴体が静かに上下している。どういう原理で動いているのかわからないが、彼女はやはり生きているらしかった。


 ソファに腰かけると、途端に眠気が押し寄せた。得体のしれないこいつを目の前にして眠るなんてさすがに無防備すぎるだろうか。けれど、瞼が重い。


 こいつが何かしようとしたらさすがに目が覚めるだろう。そう思い、目を閉じるとすぐに眠りへ吸い込まれていった。

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