第33話 どんな、好き?

「佳織」


突然真剣な声で名前を呼ばれて、佳織は何事かと夫の顔を見た。


ついさっきまで、楽しそうにテレビを見ていた筈なのに。


「なによ・・・」


思わず身構えると、手にしていた雑誌を覗き込まれる。


そこにあるのは女性向けファッション誌。


初夏から始まる華やかオフィススタイル。


そんな謳い文句に惹かれて買ったのだが、とくに紘平が食いつくような内容ではない筈。


この表情の理由が全く分からない。


怪訝な顔をする佳織に向かって、紘平が突然切り出した。


「お前、俺の事好きか?」


何を言い出すかと思えば、そんな事?


唐突過ぎて呆れてものも言えない。


そもそも好きだから結婚したのだ。


愛情が無い相手と一つ屋根の下で暮らせるほど、佳織の心は広くない。


げんなりした表情で夫を見つめ返すと、紘平が怯むことなく追い打ちをかけてきた。


「返事は?」


「返事もなにも、一応恋愛結婚したつもりなんですけど」


紘平がこんな事を言い出すなんて珍しい。


「そりゃそうだ、俺だってそのつもりだ」


ここで違うとか言われても困るけれど、ひとまずほっとする。


「じゃ、じゃあ、別に今更いいんじゃない?」


「なんで」


「なんでって、高校生のカップルじゃあるまいし、今更好きとか・・・ほら、ねえ」


私たち、イイ歳した大人だし。


いつも真っ直ぐ一直線に攻めてくる紘平の愛情は嫌というほど感じているし、理解もしている。


けれど、同じようにそれを返せと言われると難しい。


物凄く、ものすごーく難しい。


好きだよ、私も好きよ、なんてニコニコやってられんのは相良んとこののほほん夫婦位でしょうよ!


四六時中妻にべったりくっついていたい、激甘同僚の顔を思い出して、佳織はため息を吐いた。


無理だ、逆立ちしたってああはなれない。


と、紘平が不機嫌な顔になった。


「なんでそこで溜息吐くんだよ」


「べ、別に深い意味はないわよ!ちょっと相良夫妻を思い出しただけ」


「直純ぃ?」


訝しげな表情になった紘平に、佳織が慌てて説明する。


「ほら、そういうやり取りっていかにもあそこの夫婦がしてそうじゃない?」


胸焼けする程甘い夫婦、と佳織が言うと、紘平がうんうん頷いた。


「そうだよな、俺もあそこまでは出来ない」


「それでいいんじゃない?べつに」


「いや、そうじゃなくって・・・俺は、お前の気持ちを知りたいんだよ」


紘平は諦める事無く食らいついて来る。


どうしても佳織に言葉を言わせたいらしい。


「気持ちなんて・・・この指輪で十分でしょ」


紘平から貰った指輪を翳してみせる。


左手の薬指にしっくりなじんだそれは、佳織が唯一の相手と結ばれた証。


「なに、そんな言いたくねぇの」


「・・・だって・・・今更恥ずかしいし・・・」


こうして二人きりの家で、故意に甘い雰囲気を作られると困ってしまう。


お互い十分愛情は感じている筈だし、信頼もしている。


別段再確認が必要とも思えない。


愛してるよ、なんて時々聞ければ十分だ。


言い訳を口にする自分も恥ずかしくなってきて、佳織が俯く。


と、さっきから紘平がしきりに気にしていた雑誌の一文が目に入った。


”必見、夫婦の愛が覚めないコツ”


”好きだよ、愛してるよ。言葉で確認、互いのハート”


円満夫婦生活を送る為の秘訣がいくつか掲載されている。


佳織が全く関係ないと素通りしていた部分に、紘平はひっかかったわけだ。


「冷めないと思うど・・・べつに、言葉にしなくても・・・紘平はちょっと言い過ぎな位だし」


多分、相良夫妻に比べると随分少ないんだろうけど、私には多い位だわ。


昔から強引で、さらっと愛情表現する事があったけれど、結婚してからの紘平は自分の気持ちを伝えるだけでなく、佳織からの答えを欲しがる。


自分と同じように、佳織も自分のことを愛してくれているのか。


当たり前すぎる答えだけれど、だからこそ口にするのが照れくさくて、いつも誤魔化してしまう。


普通、こういう立場って、男の人がなるもんじゃないの・・・?


どうやら樋口家では佳織の役回りらしい。


「言い過ぎ・・・?どのへんが」


「どのへんって・・・そんなの知らないわよ」


イチイチいつ好きだの愛してるだの言われたかなんて、記憶していない。


逆に言えば、それくらい日常的に紘平が言葉にしているということになるわけだが。


むしろ、私がいつ好きって言ったか日記に書いてたほうがいい位よね。


「俺は、思った時に言うようにしてるだけなんだけどなー」


紘平の声に笑みが含まれている事に気づいた佳織が、勢いよく顔を上げた。


目の前には、にやにやと楽しそうに笑う紘平。


「なに笑ってんのよー!!」


佳織が雑誌を放り出して叫んだ。


人が真剣に考えている隣で、困っている妻を楽しそうに見つめているなんて性格が悪すぎる。


「楽しいから」


「な、なんで楽しんでんのよあんたはっ!」


「いや、俺がこーやって・・・」


「やだ、ちょっと・・・なに・・・」


身を乗り出した紘平が、佳織の背中に腕を回して抱き寄せる。


慌てる佳織の耳元で、紘平が低く囁いた。


「愛してるよ」


「・・・っ!!」


不意打ちの告白に、佳織が思わず息を詰めた。


愛されている事は承知で、嫌と言うほど実感していても、やっぱりドキドキする。


「精一杯伝えても、お前は大抵頷くか黙り込むかだし・・・日常の一部になってスルーされてんのかと思ってたから・・・ ちゃんと動揺してる佳織を見て、安心した」


「・・・っ!ど、動揺なんて・・・」


「してるだろ」


しれっと突っ込まれて、佳織が黙り込む。


「だから、俺も言われたいときがあるんだよ」


促すように頬を撫でられて、佳織がゆるゆると視線を上げた。


「こういう強請り方、ズルいと思うわ」


「逃げ場失くさないと言わない癖になに言ってる」


佳織の性格を知り尽くした夫のセリフ。


あーどうしよう、なんとか逃げられないか!?


必死に考えるが名案は浮かばない。


たっぷり2分ほど悩んだ後で、佳織がゆっくりと紘平の首に腕を回して誓いの言葉を囁いた。

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