第32話 長所
結婚して家庭に入ったら、誰かのものになったら、それで女はお終い?
そんな事誰が何処でいつ決めた!?
生まれて死ぬまで売り出し中よっ!!
★★★
物凄くよくあるパターン。
歳を重ねるごとに、色んなしがらみが増えて、色んな事に敏感になってく。
終業間際の女子トイレで、個室から出ようとした佳織の耳に飛び込んできた会話。
楽しそうに化粧直しに勤しんでいるらしい数人の女子の一人がこんな事を言い出した。
「で、今日って太田建設の営業ー?」
「そうそう、イケメン営業が二人は来るわよ」
「イケメンってどーゆータイプ?」
「あたし志堂専務みたいな王子様系が好みなんだけど!」
「あれは無理よ!次元が違うでしょ。でもね、大久保さんみたいな爽やか系と、樋口さんみたいなワイルド系が来るって」
「えええ!まじで!?すごいレベル高いけど!」
「って、グロス塗りすぎだから、あんた!」
「だって大久保さんと樋口さんだよ?」
「実際はどっちも捕まっちゃってるからねー別で探すしかないよー」
「大久保さんはまだ独身だから、アレだけど、樋口さんは若さで押せば行けるかもよ?奥さんとずるずる腐れ縁結婚らしいし!」
「ええーでも、樋口さん奥さんにベタ惚れらしいじゃん?」
「火遊びの相手位にはして貰えるかもよ?売り出し終わったアラサーより、可愛さあるし」
「えー・・・アリかなぁ?あ、チャイム鳴るよー。戻ろう!」
「ほんとだ!じゃあ、ロッカーでね!!」
慌ただしくトイレを出て行く足音が消えて、佳織勢いよく個室のドアを蹴り開けた。
飛び出して、小娘どもの首根っこ掴んで怒鳴らなかっただけ大人になった。
わなわな震える拳をどうしてくれようかと思いながら、洗面所に向かう。
ちょっと若いからって調子に乗んなよ!!
うちの紘平は自他ともに認める愛妻家なのよ!!
ギャルだか小悪魔だか知らないけど、勢いだけで迫ったって相手にするわけないでしょお!?
「あーっちっくしょーっ!言ってやれば良かったっ!!」
手を洗いながら悪態を吐く。
今から追いかけて行ってやろうかしら?
いや、それこそ大人げないって思われる。
あんた達より酸いも甘いも噛み締めて来たのよ!!
伊達に歳食ってないんだからね!!
胸を張って今の自分を誇ってやるっての!!
言いたいことがありすぎて、考えがまとまらない。
好き勝手言ってくれちゃって、と鼻であしらえないのは、思い当たる節が無いわけでもないからだ。
だって実際昔と比べて歳を取ったと思うから。
それでも、自分を積み重ねてきた結果だ!と不機嫌そのままで顔を上げて、佳織は愕然とした。
鏡に映った自分の顔が、明らかに疲れ切っていた。
★★★
「ねえ!紘平!!」
仕事の合間に、彼が休憩所として使っている(喫煙所ともいう)おなじみの場所に向かう。
残っている仕事は多々あるけれど、それよりも何よりも先に確かめたいことがあった。
愛用のジッポを取り出す後姿に呼びかけると、紘平が足を止めて振り向いた。
「よぉ、なんだ、逢引きでもしたくなった?・・・っておいどーしたぁ?」
からかうように佳織に微笑みかけた紘平が、妻の険しい目つきに驚いた顔になる。
ずかずかと大股で紘平に近づくと、その手からタバコを取り上げた。
無言で一本引き出して、残りを紘平に突き返す。
タバコを吸うのはこういう時に限る。
つまり、どうしようもなく苛立った時。
「どーもこーもないわよ!ったく・・・」
「何がどーもこーも無いんだよ?」
眉を上げた紘平が、残りのタバコをポケットにしまって、ジッポを擦って火をつける。
片手を風よけにして、佳織のもつタバコに火をつけた。
ゆっくりと独特の香りが漂い始める。
唇で挟もうとした佳織の手元から、タバコを抜き取って紘平が加えた。
「苦い顔で苦いもん吸うなよ」
美味しそうに煙草を吸って、煙を吐き出す。
空いた手で佳織の頬をつんと突いた。
膨らみすぎた風船の空気を調整するような手つき。
佳織が小さく息を吐く。
「ねえ・・・私って売り出し終了?女として終わってる?」
「・・・はぁ?」
紘平が面食らったように問い返した。
そりゃあ個人的には結婚した今、売り出しは終了して貰いたい。
が、女として終わっているというのは聞き捨てならない。
「結婚したら、それでおしまい?」
「ちょ、ちょっと待て、落ち着け。ちゃんと聞くから、はじめっから話せよ」
いよいよ訳が分からなくなってきた紘平が、佳織の肩を掴んで言った。
どうやら相当ダメージを受けたらしい。
爆発寸前にここに来たということだろう。
真っ先に自分の下にやってきたところは、可愛いとも思う。
が、結婚したらおしまいって・・・どういうことだ?
紘平に促されて、佳織はさっきのトイレでの出来事を話して聞かせた。
物凄く腹が立ったことと、怒鳴り込みたいのをぐっと堪えた事も合わせて伝えておく。
「・・・えーとだな・・・世間一般の意見は知らねぇよ?あくまで俺個人の意見だ」
前置きをしてから紘平は慎重に口を開いた。
「勝手を言えば、佳織が俺と結婚した以上これから先、どんな男にもお前を見せたくない。だってそうだろ?他の誰かの前で綺麗でいる必要なんてこれっぽっちもねぇし。俺の前でだけ綺麗でいてくれればそれで十分。むしろそれが望みだ」
「ちょ、ちょっと・・・」
余りにも極端な意見に佳織が眉根を寄せる。
「まあ、お前をそこまで縛るつもりねぇし。だから、売り出しは終わったけど、いつでも俺が惚れ直す位綺麗でいてくれってことだよ」
分かったか?と瞳を覗き込まれて、佳織が小さく頷く。
「女として終わりじゃないって思っていい?」
それでも不安なので訊いてしまう。
と、紘平が豪快に笑って見せた。
「すでに俺に確かめに来る時点で終わってないだろ。お前は今も十分、女してるよ。おかげで俺は少しも目が離せなくて困ってる」
いつもの茶化すような笑みと共にキスが落ちてくる。
佳織のささくれだった心を優しく撫でて、蕩けさせる優しいキス。
馴染みのタバコの苦味も、今日は甘く感じる。
重ねた唇の隙間から舌が忍び込んできて、佳織が小さく震えた。
「っ・・・ん・・・っ」
外とはいえ、いつ誰か来るか分からない場所でこんなキスは良くない。
とは思うが、キスが巧みでやめられない。
縋るように腕を掴んだら、紘平の持つタバコから灰が落ちた。
殆ど吸っていないそれは、半分くらいの長さになっている。
さすがに息苦しくなってきて、佳織が唇を離した。
と、紘平の手が後ろ頭へと伸びた。
再び引き寄せられて、視線がぶつかる。
「俺が他の女に目移りするかも、なんて思ったんじゃないだろな?」
「それはしてない」
きっぱり言い切ると、紘平が可笑しそうに笑った。
「それは良かった。俺の愛情、ちゃんと伝わってたんだな」
「・・・まぁね」
つんとそっぽを向いた佳織の耳たぶを甘噛みして、紘平が囁く。
「俺位だぞ?お前の短所と長所綺麗に言い当てられるのは」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます