第30話 感情連鎖

心地よい車の振動と、車内に響く馴染みのジャズ。


お気に入りの曲に、佳織がうっすらと目を開ける。


亜季の自宅のテーブルに頬を押し当てた記憶はある。


いつの間に車に乗ったんだろう?


ちらりと視線を右に移すと、運転席に座る紘平の姿が見えた。


途端、もう体に沁みついた煙草の香りが蘇る。


紘平がさっき吸ったのかもしれない。


「・・・来たの?」


「お、気づいたか?」


佳織の言葉に、紘平がちらりと視線を助手席に向けた。


暗闇の中でもほんのり赤く染まった佳織の頬が視線を引く。


亜季の言った通り、相当飲んだらしい。


「亜季から呼び出されたんだよ」


「・・・泊めてくれるって言ったのに・・・亜季のやつう・・・」


「拗ねんなって。俺も帰って来て欲しかったから嬉しいよ」


「・・・なによ・・・」


紘平の言葉に素直に喜びたいが、まだ胸の中に燻っている先日の出来事がある。


紘平にとっては些細な一言でも、佳織にとっては物凄く意味のある一言だったのだ。


”可愛い”は。


「あんたは暮羽ちゃんみたいな可愛い子のほうがいいんでしょー」


唇を尖らせて呟く。


佳織の反応に、紘平が眉を上げて微笑んだ。


「暮羽ちゃんとお前は、可愛いトコが全然違うからな」


「・・・あの子はほんとに可愛いわよ」


可愛いアレンジメントが似合う、可憐なイメージの女の子。


花束を貰えば素直に嬉しいと喜んで、可愛いと言われれば、とんでもない、と謙遜する。


あたしには無理ですよーだ。


もし、紘平が記念日でもないのに花束を抱えて帰ってきたら、嬉しいより先に”どうしたの!?”って訊くだろうし。


綺麗だねと褒められれば、ありがとうと返す。


何もかもが違うのだ。


持っているものが違うのだから、当たり前なんだけど・・・でも、時々”可愛い”が欲しくなる。


溜息交じりに言った佳織を見つめて、紘平が笑う。


「・・・なんで笑うのよー、紘平だって可愛いって言ってたじゃない」


「暮羽ちゃんじゃなくてさ」


「・・・はぁ?」


いきなり訳の分からない事を言われて、佳織が怪訝な顔をする。


暮羽が可愛いという話をしていたのに、どうして暮羽じゃないと否定されるのか。


「そうやって拗ねてるお前が可愛いよ」


「・・・なに 言ってんの・・・?」


「何って、そのまま俺の本音」


「俺に可愛いって言われたいなーって顔してる佳織が可愛いって言ってんの」


「・・・意味わかんない」


いい具合に酔いのまわった頭では難しい事は理解出来ない。


「嫉妬して欲しかったんだよ」


前を向いたままで、小さく紘平が呟いた。


思わず佳織が紘平の方を向き直る。


が、紘平はチラリとも佳織を見ない。


「俺の事だけ考えて欲しかったから」


「・・・馬鹿じゃないの」


「だよな。俺もそう思う・・・けど、お前が関わると、馬鹿になるんだよ、しょーがないだろ」


「・・・紘平」


「ん?」


「・・・あんたって、ほんっとにどうしようもなく馬鹿だと思うわ」


佳織が俯いて、左手に嵌まっている指輪を撫でた。


暮羽なら、こんな時なんて言うだろう。


素直で可愛い暮羽なら。


思わず唇を噛み締めると、紘平がゆっくりブレーキを踏んだ。


前方の信号が赤に変わっている。


「でもさぁ。馬鹿な俺が好きだろ?」


「・・・っはあ!?馬鹿な男と結婚したつもりないわよっ!」


ふんとそっぽ向いた佳織の右手を掴んで、紘平が囁く。


「そこで突っぱねるのが佳織だよなぁ」


「分かったような口きかないでよ」


「嫌って程分かってるよ」


すかさず言い返されて、佳織が悔しそうに顔を顰める。


少しくらい躊躇ってくれたらいいのに。


本当に紘平は容赦がない。


「でも、まだ全部って言いきれねぇから・・・」


「あ、当たり前でしょ!」


「そう言うなって。これでも俺なりに色々考えてんだよ」


「何よ、どーせまたろくでもない事考えてんでしょ・・・っん」


不意打ちで唇を奪われた。


慌てる佳織の顎を引き寄せて、紘平がキスを深くする。


絡まる舌先の動きに、佳織の思考がゆっくりと蕩けだす。


いつも以上に熱っぽいキスは、終わりが無いように思えた。


余韻を含んだ唇が離れて、再び紘平がハンドルに手をかける。


「コレで大体わかったろ?」


「え?」


「俺が何考えてたか」


キスを暗に示されて、佳織は言葉に詰まる。


佳織の反応を確かめた紘平が、勝ち誇った笑みを浮かべた。


「ちゃんと伝わったみたいだな」


「ちょっと紘平勝手に・・」


「佳織」


紘平が優しく名前を呼ぶ。


佳織は少し視線を彷徨わせてから答えた。


「何よ」


「続きは帰ってからな」


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