第18話 君に望むもの
ドレスの試着には付き合う予定にしていたのだが、日程調整の出来ない仕事が舞い込んできて後から合流することになった。
義理の母親とは、結婚の許可を貰うべく挨拶に出向いて以来の再会だ。
心証を良くしようと、移動中に緩めたネクタイを直しながら案内された衣裳部屋へと急ぐ。
「佳織!!遅くなって悪い・・・どした?」
てっきり楽しそうな表情で出迎えてくれるものと踏んでいたのに、振り向いた佳織の顔に浮かぶのは、戸惑いと寂しさ。
快活な母親とは口喧嘩が絶えないと聞いていたから、ドレス選びで揉めたのだろうかと心配になる。
気持ちとしては、佳織の味方をしてやりたいが、先々の事を考えると義理の母親も疎かには出来ない。
「え・・?・・あれ・・?」
絋平の問いかけに、背後の大きな姿見を振り返って自分の表情を確かめた佳織が、頬に手を当てて戸惑いの声を上げる。
自分でも気づいていなかったらしい。
「なんかあったのか?」
足早に近づいて尋ねれば。
「・・・・」
黙り込んだ佳織が、ちらりと足元に視線を下げた。
意図に気づいて、側で控えていたスタッフに声をかける。
「すみません。プランナーさんの意見も聞きたいんで担当の杉原さん呼んで貰えますか?」
「かしこまりました」
二つ返事で頷いて衣装室を出ていくスタッフの後姿を見送ってから、紘平が口を開いた。
ヒールを履いているせいで視線がいつもよりずっと近い。
ここにいないと言うことは、やはり母娘喧嘩かなと予想しつつ義理の母の居場所を尋ねた。
「義母さん(おかあさん)は?」
「煙草吸ってくるって・・・・あのね・・お父さんのこと・・・ちょっとだけ聞いちゃった。あの・・・母さんの煙草ね・・」
「うん」
「お父さんが置いて行ったものらしいのよ」
俯いたままでそう言った佳織が一歩絋平に近づいて、こてんと肩に頭を預けて来た。
そっと腰に腕を回して抱き寄せる。
「・・・あんたが吸ってるのとおんなじ煙草ね」
偶然だろうか?必然だろうか?
どっちにしてもその一言で、一生吸い続ける銘柄が決まった。
くすんと鼻を啜った佳織が絋平の腕を軽く叩く。
背中を優しく撫でてやれば、落ち着いたようで佳織がそろりと顔を上げた。
潤んだ瞳の縁にキスを一つ。
「・・・煙草に惹かれたとか言うなよ」
「でも・・・ちょっとはそれもあるかもよ?」
「おい」
「だって・・・私が知ってる一番馴染みのある匂いだもん。物心付いた時から、いっつもあの匂いに囲まれて生活してきたのよ。・・・恋しくなってもしょうがなくない?」
肩を竦めて笑う佳織を、堪らない気持ちで抱きしめる。
「それで、あんな心細そうな顔してたのか」
「思い出してたの。記憶のどっかに、お父さんの事残って無いかなぁって」
「見つかった?」
静かな問いかけに、佳織が首を横に振った。
そうか、とも、残念だな、とも言えずに後ろ頭を優しく撫でる。
返事を必要としていない事が分かる距離に居られることが何よりも嬉しくて誇らしい。
「でもね・・・それでいいと思う。一番いい思い出は、母さんが持ってればいいのよ。横取りしちゃうのは申し訳ないもの。一生涯この人だけって、一度でも思えたんだから。それでいいと思う。私は・・・これから作っていくわけだし?」
真っ白なドレスで。
まっさらな未来を。
これから、ふたりで。
挑むような目線を受けて、怯むことなく頷いた。
そんなことは百も承知だ。
「全力で幸せにしてみせましょう」
「ほんとに?」
真顔で問い返して来た佳織の額に唇を触れさせる。
「もちろん。期待しとけ、大いに」
「・・・すごい自信」
「当たり前だろ。無いと言えねェよ」
珍しく抱きついたまま離れようとしない佳織がどうにも可愛くて困る。
自分の部屋でなら、このままでいて欲しいところだが、そろそろスタッフがプランナーを連れて戻ってくる頃だ。
わざわざ得意先から直帰にしてまでドレス選びに合流したのだ。
こなすべき作業はまだまだ残っている。
「他の人が来る前に、ちゃんと見せて?」
ドレスのラインが綺麗に見えるようにクリップで纏められた髪を撫でて、おくれ毛の揺れる項に唇を落とす。
「・・・そうだった・・・これね、写真で見てたよりドレスの裾広がってる感じしない?もうひとつの方が良い気がするのよね」
思い出したようにオフホワイトのドレスを見下ろして感想を呟く佳織の思案顔はすでに少し仕事モード。
届いたカタログを前に、あれこれ悩んでいたのはつい先週のことだった。
ウェディングドレスは一生に一度。
好きなだけ悩んで迷って選んで欲しいと、長丁場を覚悟していた。
「ホルダーネックのやつ?」
「うん。うちのパールのティアラとピアス付けたら上品な感じで纏められるかなぁって」
「ああ・・・あっちの方が落ち着いた感じはするかもな。義母さんはなんて?」
「・・ドレスの感想なんてそっちのけで、昔話されちゃったわよ」
「へえ・・・感慨深いんだろ・・お前ひとり娘だし」
「どうかしらね・・・あ、杉原さんたちきた」
鏡越しにこちらへやってくるスタッフの姿を認めて佳織がきゅっと口角を持ち上げる。
「とりあえず、もう一着のドレスも着てみるわ。で、その後は多数決ね」
佳織と義母さんだと意見が纏まらないということで2対1にするべく絋平が呼ばれていたのだ。
「じゃあ、その間に義母さん呼んでくるよ」
再び試着スペースに籠った佳織に声をかけて部屋を出る。
喫煙者の行き先は探すまでもない。
突き当りの喫煙スペースの一角で、足を組んで煙草をふかす義母を見つけた。
絋平が声をかける前に、彼女が片手をあげてみせる。
こういう仕草は、佳織によく似ている。
「あら・・・早かったのね」
まだ17時過ぎよ、と笑う義母の向かいに腰かけて、煙草を取り出す。
予定より1時間も早く到着した絋平にお疲れ様と労いの言葉をかけた彼女は、けれど一度も視線を合わせようとはしない。
目元が赤い事にすぐに気づいたけれど、気付かないふりをすることにした。
佳織の性格がこの人から受け継がれたものだという事はすぐにわかった。
きっと、いま欲しいのは“慰め”じゃないという事も。
「急いで仕事片付けてきましたから」
午前で早退して、ウェディングブーケの打ち合わせをした後で、式場併設の衣装ルームでドレスを選ぶと言った佳織に後から合流すると約束をしていた。
朝から部下を巻き込んでスケジュールを巻き気味でこなして、なんとかこの時間にやって来られた。
部下たちには落ち着いたら埋め合わせの飲み会を企画することを約束している。
文句ひとつ言わずに送り出してくれた大久保たちに感謝しつつ、数時間ぶりの煙草を味わう。
揺れる紫煙を眺めながら、義母が苦笑交じりでぽつりと言った。
「泣いたこと・・・あの子には言わないでね」
「俺は口硬いですよ」
「やぁねェ・・・ちっとも手かけてやれなかったのに。あんな格好見た途端、別れが惜しくなるだなんて。親ってほんとに・・・勝手よねェ」
「ドレス・・・俺じゃなくて、義母さんに褒めてほしかったみたいですよ?」
絋平の言葉に笑って頷いて、義母が立ち上がる。
半分ほど残った煙草を吸い殻入れに入れて、彼女がこちらを振り向いた。
「贅沢言わないわ。ひとつだけ、お願い。これから一生”寂しい”なんてあの子に言わせないで」
「・・・必ず」
「お願いね」
そう言った彼女の横顔は、優しい母の慈愛に満ち溢れていた。
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