第17話 母と娘

「母さんねェ・・・なんとなーく思ってたのよ」


ウェディングドレス姿の佳織を眺めながら、しみじみと切り出したのは母親だ。


懐かしそうにしないで!!それよりドレスの感想聞かせてよ!!似合ってるとか、似合ってないとか!!


ウェディングドレス選びは、娘を持つ母親の特権だろういうことで、多忙を承知で付き合って貰っている事は認めるが、まずは目の前の着飾った娘への感想を口にして欲しいものだ。


ただでさえ慣れないコトで不安なのに。


叫びたいのをグッと堪えて、佳織は鏡越しに問いかける。


「なにが?」


「紘平さんよー」


「は・・?紘平・・・?」


いや待ってよ、なんでここで絋平?せめて娘にまつわる思い出話を聞かせてよ!!


ここまでよく育てたな、としみじみするならともかく、なぜここで義理の息子になる男の名前が飛び出すのか。


スタッフの手前必死に取り繕ってきた笑顔もそろそろ限界に近い。


頬がぴくぴくし始めた佳織を尻目に、母親は姿見に映る娘の顔ではなく、背中を見つめて続けた。


「あんたがむかーしに家に連れて来た時にね」


「そんなことあったっけ?」


「あら、覚えてないの?帰りが遅くなって送ってくれたとかで。ほーら!玄関でちょっとだけ挨拶したことあったじゃない」


母親にドレスの意見を求めるのは無理そうだと諦めた佳織の相槌に、スタッフが次のドレスお持ちしますね、と言って側を離れる。


「ああー・・・あったっけね・・・」


「あんたのタイプだなぁって母さん思ったのよ」


「は!?って・・私の好みとか知ってるの!?」


ぎょっとなって言い返す。


だって、今まで一度だってそんな話したことない。


長らく母子家庭でやって来たのでなんとなく“恋愛事”に関しての話題はいつも避けてきたのだ。


佳織が誰かに恋をしたら、母親は寂しがるんじゃないだろうか?佳織が傷つくのではと心配するんじゃないだろうか?自分は一人になると思ってしまうんじゃないか?


そんな風に思ったらいつも何も言えなかった。


「馬鹿ね。知ってるに決まってるじゃない。佳織の初恋の相手だってちゃんと覚えてるわよ。商店街の、漬物屋の・・・ケンちゃんだっけ?母さんが漬物屋は大変だからやめなさいって言ったら、あんたわんわん泣いたのよー」


「・・・ヒッドイ・・・」


幼い娘の初恋をバッサリ切って捨てた、いかにも母親らしい口ぶりに、当時の幼い自分を心の中で全力でハグしておく。


「でも、次の日にはやっぱり隣りの席の男の子がいい!って嬉しそうに話してたわよー」


「・・・で、どのあたりが私の好みだと?」


昔のことは一先ず水に流す事にして、重たいドレスを引きずって椅子に座る母の側に向かう。


ドレスよりも、今はそっちの方が気になって仕方ない。


「なんでも自分で決めてしまうでしょ、あの人。決断力があるタイプに弱いのよ、あんた」


「・・・決断力っていうか・・・強引なだけでしょ」


「母さんも、昔っから仕事ばっかりだったから、家のことも、自分のことも何もかも佳織に任せきりだったもんね。だから、寄りかかっても大丈夫な相手をいつも求めてたんだと思うわ。自分で何も決められないような優しいだけの人には、あんたは惹かれないのよ」


「・・・・ちゃんと優しいとこもあるのよ」


そこはちゃんと知っておいてほしくて、口にする。


絋平はあの通り口は悪いし強引だけれど、根底にはいつも佳織に対する愛情がある。


「分ってるわよ。決断力だけしかない、冷徹な男にはあんたは惚れない」


「・・・私のことよく知ってるのね」


一緒にいた時間は普通の家族よりずっとずーっと少なかったように思うのに。


「あたりまえじゃない。あんたを生んだの母さんよ?分らないわけが無いでしょう」


自信たっぷりに言われて、佳織は苦笑いする。


朝も夜もなく看護師という仕事に総てを捧げてきたこの人を、ひとり家で待ちながらそれでも寂しくなかったのは、いつも自信に溢れた、楽しそうな彼女の姿を知っていたからかもしれない。


この人から仕事を奪うことは、たとえたった一人の娘であっても、出来ないことを知っていたのだ。


ずっと昔から。


「ねェ・・・」


「なぁに?」


「・・・・私が家を出て1人になっても煙草、本数増やさないでよ?肺がんで看取るとかイヤだからね」


職業柄か、彼女は昔の佳織以上にヘビースモーカーだ。



★★★★★★


結婚の挨拶にやって来た(といっても仕事が忙しい母親を気遣って勤務先の市民病院まで佳織と一緒にやって来た)娘の結婚相手を前に、母親は初めて彼の名前を呼んだ。


さっきまで間を取り持つように喋り続けていた佳織は仕事場からの急な連絡で席を外している。


「紘平さん」


「はい」


社員食堂の日当たりのよい窓際の席。


白衣と事務員の制服ばかりの中で彼の着るスーツは酷く目立って見えた。


少し緊張した面持ちで返事をした彼を見据えて佳織の母親は気になっていた質問事項を唇に乗せた。


「うちの子に煙草教えたのって、あなた?」


「・・・は・・?え・・ええ、そうです。俺と付き合い始めた頃に・・・すみません」


「ああ、いいの、いいの。聞いてるでしょうけど、私も吸うからね。体に良くないって文句ばっかり言ってたのにあの子がイキナリ灰皿買ってきた時には10年遅れの思春期かと思ったけど・・・・・嫌いな煙草吸わなきゃやってられ無い位参ってたときに・・・ひとりで居させてしまったのかと思って悔んだ時期もあったんだけど・・・そう・・・紘平さんが一緒に居てくれたのね」


「俺がこっちを離れてる間に止めてましたけどね」


苦笑交じりでコーヒーを口に運ぶ彼の面差しは優しい。


ああ、この人が娘の選んだ相手なのか。


30年以上前の記憶が甦った。


一度だって佳織の父親の話をした事は無いのに。


やっぱり遺伝なのかしらねェ・・・父親と同じタイプの男を連れてくるなんて。


「頑固で、融通効かない子だから・・大変よ?」


「慣れてますから、大丈夫です」


「社内にもっと可愛くて素直な子がいるでしょうに」


苦笑交じりの言葉を受けて、彼はにこやかに微笑んだ。


「意地っ張りでも、気が強くても、俺は佳織がいいんです。お母さんには申し訳ないですけど・・・俺が貰ってもいいですか?」


こちらの口にしない”寂しい”もどうやら見透かされていたらしい。


教えた事なんてないのに、娘の男の趣味は悪くなかったようで安心した。


「ええいいわ。どうかあの子をよろしくね」


★★★★★★


何かを思い出したように小さく笑った母親に、佳織は怪訝そうな顔を向けた。


娘の晴れ姿を前に、涙どころか思い出し笑いってどういうことだ。


「母さん?なによ、ひとりにやにやしちゃって」


「ふふ・・・ねえ、佳織ー」


「はい?」


腰に手を当てて返事をすると、娘のドレス姿をじっくり眺めた後できっぱりと言われた。


「母さん、煙草止めないわよ」


「・・・やめてくれるだなんて思ってないわよ」


止めれるならとっくの昔に止めているはずだ。


仮にも看護師なのだから。


「コレだけだもの。あんたの父親が残してくれたものって」


「・・・煙草、吸う人だったの?」


初めて聞く父の話に佳織は戸惑いを隠せない。


辻家で父の日は2回目の母の日だったしクリスマスもお正月も母娘だけで過ごす行事だった。


父が生きてるのか、死んでるのかすら知らない。


何となく、母親に聞くことが出来ずに今日まで来た。


「無口な人でねー。いっつも、お気に入りの煙草持ち歩いてたわ。そのくせ昔堅気な人で、女は煙草吸うもんじゃない。毒になるから絶対吸うなって」


「・・・思いっきり吸ってるじゃない」


「あの人が消えた後でね。忘れていった煙草、生まれて初めて吸ってみたの。苦くて辛くて、たまんなかったけど・・・なぜだかあの匂いにホッとしてね。・・・泣けたなぁ・・・」


生きてるの?死んでるの?それはやっぱり訊けなくて。


「・・・愛してる?」


佳織の質問にどこか遠い目をして母親は口を開いた。


握った煙草の箱がくしゃりと音を立てる。


「結局独りでここまで来たってことは・・・そういうことなんでしょうねー。ずるくて、強くて・・・優しい人だったわ。イーイ男よぅ。あんたのこと見たら、びっくりするでしょうね・・・自慢の娘だって・・・嫁になんかやりたくないってきっと泣くわ」


目を伏せた母親が佳織に向かって手を伸ばす。


皺の増えた指先が、佳織のそれを優しく包み込んだ。


「幸せになりなさいよ」

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