第19話 苗字が変わる事

「苗字、どうされるんですか?」


結婚式の日取りも決まってようやく”結婚する”って実感が湧いてきたとある平日の午後。


久しぶりに時間が空いたのでいつもはひとりでコーヒー一杯飲んで終了な午後の休憩を後輩と一緒に取ることにした。


こうやって友世とゆっくりお茶するのは2週間ぶりだ。


会議や打ち合わせやであちこちから呼び出されるので、同じ部署で仕事をしていてもなかなか込み入った話はできない。


なので、友世にリクエストのコーヒーを手渡した瞬間にキラキラした目で問われて私は思わず笑ってしまった。


「あー、社内で改姓すんのかどーかってことね」


「辻って苗字も素敵ですけど・・・樋口佳織もすごく素敵ですしねー。どっちにしても、あたしは佳織さんって呼ぶから苗字変えても変わりませんけど」


「そーねー・・・実は、迷ってるの」


「そうなんですか?」


「なんか、ハンコも社員証も何もかもみーんな作り直しになっちゃうでしょ?まあ、旦那も社内の人間だから手続き取るのは面倒じゃないんだけど・・・ほら、綺麗に月アタマから変えれなかったら決裁書類に2つハンコ押すことになるじゃない?」


「面倒ですねェ」


「でしょー・・・悩んでるのよね」


「辻って苗字は気に入ってるんですか?」


「え・・・なんで?」


「あたしは、川上ってありきたりな苗字すごーく嫌いだから・・結婚したら絶対社内でも改姓したいんです」


へー・・・と頷きかけてハタと思う。


友世の彼氏の苗字は”大久保”


「・・・・でもさぁ」


「大久保って苗字もあんまり珍しくないよね」


私の発言にぎょっとなって友世が言い返した。


「まっ・・まだ結婚とか考えてません!!」


ありえないほど真っ赤になって俯く可愛い後輩に癒されて、休憩を終えて席に戻ったらメッセンジャーが届いていた。


社内でだけ使用できる簡単なメール機能。


時々、超私用メールを社員一斉送信してしまうなんて大ポカやらかす人間がいるけど使い方を間違えなければ非常に便利なのそれ。


登録している人間に空き時間にチョコチョコ短文のメールを送れる。


亜季や相良たちとの飲み会連絡はいつもコレで回ってくる。


メールを開きながら机に戻ってきた決裁済の書類の束を取り上げる。


どれもファイルに戻して良いものばかりだった。


「友世ー」


「はーい」


「悪いんだけど、コレ・・・は!?」


開いたメールに並んだ数字を見て私は素っ頓狂な声を上げた。


一定間隔をあけて並べられた数字の羅列。


3・・・8・・・9・・・13・・?


何の暗号だいったい。


眉根を寄せて送信者の名前を確認する。


・・・・やっぱり・・・


こーゆーコトすんのって1人しかあり得ない。


「佳織さんどーかしました?」


机の前までやってきた友世が


私の顔を見ながら困惑気味に尋ねてくる。


「あ、いーのいーの。馬鹿がメール送ってきただけ。コレね。来期予算表のファイルに綴じといてくれる?」


「・・・婚約者のことそんな風に言って」


「事実よ、事実」


しれっと言い返した私に、友世がおかしそうに口に手を当ててクスクス笑う。


「そんな憎まれ口叩きながらも結局樋口さんの掌の内ですよねー」


「そんなことないわよっ」


・・・断じてないと・・・思いたい。


”なんの暗号?意味は?”


すかさず送り返したメールの返事は


”俺が時間取れる日”


”何の時間?”


”挙式の打ち合わせとか色々あるだろ?”


”平日も入ってたけど、休み取れるってこと?”


”絶対無理。頑張って定時”


さくっと返ってきた返事を見てやっぱりな、と思う。


有休どころか代休消化すら厳しいのに平日のど真ん中に丸一日も休めるわけがない。


それでも


”糠喜びー!!”


と送ってみる。


1分と経たないうちに


”そんなに昼間も俺と一緒に居たいなら営業部に異動するか?”


なんて返事が返ってきた。


”ありえないから!っていうか、時間全然足りないんですけど”


挙式までもそんなに時間があるわけじゃないし。


お互い忙しいのは承知の上。


それでも、挙式の準備ばっかりはふたりでやるよりほかにない。


もちろん、どんなに忙しくても誰かに任せたりなんてできないけど。



”分かってる。来週時間取れるようにスケジュール調整中。適度に期待しとけ。今から会議。

頭硬い役員相手に来期の営業展開説明してくるわ”


”あらら、そりゃ大変。がんばってね”


”おー”


★★★★★★


お風呂上がりに携帯を見たら着信が2件。


その両方が紘平からだった。


時刻は23時半を過ぎたところ。


カーテンの隙間からは綺麗な月が見えている。


いつもより黄色い月。


それをぼんやり眺めながら発信ボタンを押した。


もうすぐ、こういう景色をずっと一緒に見ることが出来るんだよねー・・・


なんか、ちょっと結婚するって実感湧くかも。


コール音3回ちょっとで繋がった。


「紘平?」


「喜べ」


「・・・・なにをよ?」


ほんっとに突拍子もない。


窓のカギを確認してからカーテンを閉める。


枕元の加湿器を弱くしてアロマライトを点けた。


真っ暗な部屋にぼんやり柔らかい明りがともる。


「来週の月曜、休み」


「嘘!」


「疑うなって、ホントだから。言っただろ、期待しとけって」


「・・・聞いたけど」


「有言実行なの、俺は。金曜までぶっ通しで働くことになったけどな」


「大丈夫なの?」


「心配する前に喜べよ。お前の為に時間取ったんだからな」


「・・・そーよね。ごめん、ありがとう」


「んで、苗字の話な」


「へ?」


「絶対変えろ、結婚するんだから。つーか先に人事に言っといたから、そのうち改姓の書類届くと思うぞ」


「用意周到」


「社内でも堂々と樋口で通せばいーんだよ」


「別に辻でも問題なくない?社会的にはちゃんと樋口なわけだし」


「それは俺が嫌なんだよ」


「なんでよ」


「樋口の方が安心できるしな」


「なにそれ」


呆れて言い返した私に向かって紘平がきっぱり言い切った。


「辻佳織のままじゃ、お前が誰のものかわかんねーだろ」

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