第14話 難解なシグナル

彼を残して、ひとりで店を出る。


階段を一段、一段、踏み締めるように上った。


終わった。


今度こそ、本当に、終わった。


そう思ったら、一気に足が震えた。


どうしようもない脱力感に襲われる。


ガチガチに緊張していたらしい。


バックストラップのパンプスを引きずるようにして歩道に出る。


と、目の前に見慣れた車を見つけた。


その前で、咥え煙草で待っていたのは・・・


「・・・・・紘平・・・」


「亜季から聞いた」


「・・・・な・・・・」


「余計な御世話とか言うなよ?俺が無理やり訊きだしたんだからな」


嘘に決まってる。


亜季が、心配して紘平に連絡したのだ。


22時を回った繁華街は人で溢れている。


一旦家に戻って、車を取ってきたのだろうか?


それとも、車で会社まで来てた?


どうでもいいことを考えながら、ネオンの光る夜空を見上げる。


さっきと何も変わらない、いつも通りの街並み。


恋が終わっても、始まっても。


いつだって、現実は待ち受けている。


ぐらぐら揺れて、不安になるのは心だけ。


見えなくて、怖くなるのは、いつだって心だけなのだ。


ふと足元に視線を落としたら、重力にそって涙がこぼれてきた。


小さく息を吐いて、佳織は呟く。


「・・・終わった」


そんな佳織を一瞥した後、紘平が顎をしゃくった。


「・・・乗れよ。送ってやる」


「ありがと」


言わなきゃいけないことは、山のようにあった。


これからのこと。


そして、何より、これまでのこと。



「・・・言いたいこと言えたのか?」


ハンドルを握ったままで紘平が尋ねてきた。


駅前の雑踏を抜けて車は住宅街へと向う。


ライトが暗い夜道を眩く照らす様を、ただぼんやりと眺めていた。


「・・・寂しかったことも・・・本気で好きだったことも・・・もっと・・・甘えたかったことも・・みーんな言った・・・ちゃんと、言えた」


「そっか・・・」


紘平の言葉に頷いて、目じりに残った涙を拭う。


胸に刺さった別れは、痛くて。


佳織をもっと強くした。


けれど、忘れた振りしてきたものもある。


例えば、あの日、飲みこんだ言葉。


「私、ようやく気付いた・・・見ないふりしてきた自分の気持ちに・・・日高さんを追いかけて・・・頑張りすぎて・・・おてけぼりにしてきた26歳の私が・・・ずっと泣いてるの・・」


「佳織・・」


「・・・整理しないでいいって言ったよね?そのままでいいって言ったよね?あの言葉は・・・嘘?」


「んなワケねぇだろ・・・本気だよ」


苦虫を噛み潰した表情で、紘平がハンドルを切る。


住宅街の一角で、彼が車を止めた。


紘平がハンドルから手を離して、佳織の方を向き直る。


「・・・じゃあ・・・我儘言ってもいいよね?」


潤んできた瞳のままで問い返した佳織を、紘平が腕を伸ばして抱きしめた。


懐かしい煙草のにおいに包まれる。


「・・・いいよ。何?」


髪に触れる優しい手。


佳織がずっとずっと、一番欲しかったもの。


「・・・お願いだから・・・1人にしないでよ」


背中に腕を回したら、もっと強く抱きしめられた。


「・・・分かってるよ」


それが、一番聞きたかった答え。





★★★★★★



言葉とは裏腹に、紘平のキスはいつも優しい。


そんなことを思い出して、意識してしまった自分に驚いて体を離そうとしたら腕を掴んで引き寄せられた。


腰に回された腕があるから、逃げられない。


額に触れた唇が、頬を辿って、もう何度目か分からない位のキスをする。


中毒になるんじゃないかと思う。


・・・私、煙草止めた意味ないんじゃないの?


背中を撫でる心地よい指の感触に寝入ってしまいそうになった佳織は、慌てて体を起こす。


「・・・ホンットに帰るから・・・」


このまま朝までなんてとんでもない。


仕事はあるし、洋服だって・・・


「明日の朝6時起きで送ってやるよ」


余裕だろ?


と問い返されて、思わず答えに詰まる。


全く起きる気配のない紘平はベッドの上で寝返りを打つ。


ここからなら、タクシーでも帰れるけど・・・


「私に堂々と朝帰りしろっての?」


「今帰っても、朝帰っても同じじゃねェの?」


そう言って、起き上がった佳織を再びベッドに引っ張りこむ。


「・・・本気で朝送ってくれる?」


ピシャリと断れなくなってる自分が怖い。


「送りますとも」


「・・・ねえ・・・今何時?」


ベッドサイドの明かりだけじゃ、彼の部屋の壁掛け時計は見えない。


携帯に手を伸ばそうとしたら、紘平の指が一歩早くそれを掴んで、ローソファに放った。


「ちょっ!!」


「まだ時間気にする余裕あったんだ?」


じろりと見降ろされて、佳織は視線を彷徨わせる。


絡め取られた指先に唇が触れて、嫌でも頬が熱くなる。


紘平が至極楽しそうに微笑んだ。


「合い鍵作っとくからな」


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