第13話 一時停止の恋

ふたりがいつも待ち合わせたのは、半地下の小さなお店。


落ち着いた雰囲気と、シックな照明で彩られた静かな店内。


初めて、彼が連れて来てくれたお店でもあった。


2回目以降は、ここで彼が来るのをそわそわしながら待っていたものだ。


間仕切りで仕切られた奥の席で。



「待たせたね」


そんな声とともに、日高が姿を見せた。


一瞬で、あの頃が甦る。


”佳織”そう呼ばれるたび、痛い位嬉しかった。


自分の名前が特別なものに聞こえた。


もっと、もっと、この人に認められたい。


何度も強く、願った。


”泡沫の恋”だった。




「いえ・・・急にお呼び立てしてすいません・・・番号・・・変えてらっしゃらないんですね」


「・・・意外だったかな?」


彼の言葉に首を振る。


「日高さんらしいです」


「・・・すっかり主任らしくなったね。この間会った時は驚いたよ・・・昔から、辻はきちんと仕事をこなせる子だったもんな」


その一言が聴きたくて、つま先が痛くても、踵が痛くて、平気な顔で歩き続けた。


弱いとこなんて、見せたくなかった。


「・・・ずっと・・・憧れてましたから。日高さんみたいになりたいって・・・認めてほしいって、そう・・思ってきました」


「十分、認めてるよ」


静かな彼の声になら、佳織は素直に頷ける。


「・・・ありがとうございます」


頑張って、潰れちゃったけどそんな自分を少し好きになれる。


「あれから・・・ずっと仕事に追われてね。落ち着くまでに3年もかかった」


「・・事業部長なんてすごいですよ。出世コースまっしぐらですね」


「部下に恵まれてるからだよ」


「・・・そうやって、謙遜するところも・・・昔とちっとも変らないですね」


上司に認められても、決して自尊心に溺れない。


いつだって、部下を大切にする人だ。


「・・・そうかな」


「日高さん、私・・・今日お呼びしたのは、聞いて頂きたいお話があったからなんです・・・もう、終わったことで・・・それに、未練を感じたりしたことは一度だってありません。あの時の別れは、私も納得したものだった。だから・・・思い出話くらいのつもりでいいんです。・・・聞いて貰えますか?」


テーブルの下で、両手を握りしめる自分がいた。


これから告げることは、過去の自分を認めることで、もう一度、傷つくことでもある。


届いたカクテルを一口飲んで、彼が昔と同じ穏やかな口調で言った。


「なんだい?」


「・・・私・・・ずっと背伸びしてきました。初めて、本気で好きになった人はすごく大人で何やっても敵わなくて・・・追い掛けたくても遠くって・・・それでも・・・憧れてたから・・・ちょっとでも、私を好きになって欲しくて。泣き言も、我儘も、みんな、封印してきました」


会えなくても、一番じゃなくても。


不安でも、寂しくても。


・・・・泣きたくても。


必死に堪えてきた。


そして、それが、普通になった。


少しずつ、麻痺は全身に広がった。


自分でも気付かないうちに、少しずつ。


「・・・そうだね・・辻は、いつだって聞きわけが良かったし・・俺が困るような、我儘は一度だって言ったことがなかったもんな。異動の話した時でさえ、頑張ってくださいって笑ってたっけ・・ちょっと寂しくて、誇らしくて・・・頼もしいなと思ったよ」


「話して、幻滅されるのが怖くて・・・良いとこばっかり・・見てほしくって・・・自分で自分の首締めてばっかり・・・だから・・・あの日。日高さんから、転勤の話を聞かされた時も泣けなかった・・・寂しいって、我儘言って、困らせたくなくて。モノ分かりのいい振りして。大人ぶって、自分から、お別れ言いました。結局、逃げたんだと思います。苦しくなっていく一方の恋から・・・そのくせ、部下扱いした日高さんを前に悔しくなったりして・・・ほんとに・・馬鹿みたい」


「辻・・・」


「・・・寂しかったし、もっと会いたかった。甘えたかったし、我儘も言いたかった。全部、全部、私の中に置き去りにしてきた・・・いっつも・・・泣きたかった・・でも・・・一度だって泣かせてくれなかった・・」


「俺が・・・そういう君を望んだせいだね。あの時言わせてやれなくて、すまない」


目を伏せて、静かに日高が呟く。


佳織はこみ上げてきた涙を拭った。


「・・・愚痴ばっかり言ってすいません・・」


「いや・・何も、言わせてやれなかった俺が悪いよ。辻は、いつだって俺を追いかけてきてたのにな」


「・・だから・・・私・・・今度は、思いっきり泣かせてくれる人を好きになります。ダメな私も、弱い私も、みんな・・・ちゃんと受け止めてくれる相手を・・」


佳織の言葉をまっすぐ受け止めて彼が微笑む。


あの時はちゃんと見れなかった。


何もかも、終わった後の、優しい笑顔。


「・・・そうだね。きっと、今の辻が本当の辻なんだろうな・・・俺が見逃してきた、等身大の女の子なんだろうな。・・・幸せを・・祈ってるよ」


その一言が、全てだった。

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