第8話 優しい嘘

ふっ切った。


過去は過去、今は今。


歩くなら前へ。


気持ちはいつだって・・・


☆★☆★


どんなに好きな人でも、どんなに嫌いな人でも。


仕事でかかわる以上は、割りきって。


大人としての対応は必須。


それは分かってるのだ。


回ってきた備品発注の書類をざっと見て、確認。


デスク、キャビネット、応接セット・・・あー電話。


「川上さーん!」


後輩の名前を呼びつつ、引出しの中からキャラメルを取り出す。


糖分とっとかなきゃ・・・


「はーい、あ、新店の・・?」


「うん、そう。コレね、ビジネス電話の工事が入るから、開店日までに工事日の日程調整してほしいの。えーっと先方の・・・工事業者さんの名刺があ・・」


きちんと手入れされた白い手のひらに書類と一緒にキャラメルを転がす。


そうだ、名刺はファイルに纏めてて・・・


「ありがとうございまーす。あ、名刺、課長の机でも見たんで、そっちコピーとりますよ?」


「ほんと?悪いね、よろしく。んで、関東の営業本部の担当が、小松さん。上司は事業部長の日高さんだから。なにかあったらそっちに確認取ってね」


「はい。たしか・・・佳織さんの元上司ですよね?」


「うん・・・そう。ちゃんと下の話も聞いてくれる人だから、安心していいよ」


データの打ち込み途中だったので、エクセル画面に視線を戻す。


と、友世が言いづらそうに口を開いた。


「はーい・・・あの・・・佳織さん?」


「うん?・・・なんか質問ある?」


今日もツヤツヤ美人のお顔を見返す。


ちゃんと自分にお金も時間もかけてる女の子。


恋してる、幸せな、女の子。


かーわいいなーあ・・・


「質問じゃないんですけど・・・」


「うん?」


「お昼、今日も抜きでしょ?」


「んー・・・だから、糖分補給してるよー」


「佳織さんー!!」


しかめっ面で友世が身を乗り出してきた。


「忙しいって言っても、ご飯食べる時間位あるはずです!」


「あーはいはい・・・ごめんね?今日は、会議重なっちゃってて・・・」


実は、食欲が無かったのだ。


ここ数日とくに、別に食べなくてもいいなら、食べないでいっかぁ。


それくらいの認識。


そのうちまたガツンと食べたくなるでしょう。


でも・・・後輩に心配かけるのはだめだ。


「具合悪いとか・・・ですか?」


「ううん、違う。ちょっと飲み過ぎちゃって、それ引きずってるの。だーめだねー、年々お酒弱くなってるわ」


「何言ってるんですかぁ・・・もう!」


「可愛い後輩に心配かけるなんて、ダメな先輩だねー・・・ごめんね?」


「・・・そうやって謝るのだめですよ・・・怒れなくなるじゃないですか・・」


困ったような顔で言われて、佳織は口角を上げる。


心底心配してくれる子がいるってのは、ホントありがたい。


年々自分のコトで手いっぱいになってくから。


自分の未来への不安と、現実に、両手塞がっちゃうから。


こうやって、愛されてる子を見ると、安心する。


きっと、友世は見失ったりしないんだろう。

自分の大事なものも、自分の場所も。


「・・・うん、そうだねー。コレもう終わるから、ちょっとお昼休憩してきていいかな?」


「はい。ちゃーんと、ゆっくりしてきてくださいね?」


「はいはい・・・」


頷いて、最後の数字を入力しながら続ける。


「ねーえ、友世ちゃーん?心配症は彼氏譲りなのかしらね?」


「・・・ちっ・・違いますっ!」


キリキリ胃が痛むのは・・・・


逃げたいからじゃない。



☆★☆★


コンビニで買ったサンドイッチをふたくち。


本当はコーヒーが飲みたかったけれど、ちょっと体に優しくならなきゃと思って紅茶にした。


あったかい微糖紅茶。


空を見上げたら、白くて、広くて、ほっとする。


「・・・はーあ・・・・」


なんで、ココで休憩してるんだろ・・・食堂行っても良かったんだけど、なんとなく・・・そう!なんとなく!外で食べたいなって思って・・・且つ、ひとりでゆっくりしたいなって!


それだけ、それだけだ。


しゃがみこんで、コンクリに背中預けて溜息をついたら、砂利を踏む足音が聴こえて来た。


「・・・めずらし・・・」


「ぅゲ・・・・」


顔を上げるのも嫌になって、佳織は抱えた膝に顔を埋める。


そーよ・・・ココ知ってるのうちら2人!つーかどんだけ頭回ってないんだ私!!


「なにー?泣くほど会いたかったの?」


至極楽しそうに言って、煙草に火をつける音がした。


「違う!ひとりで優雅に休憩したかったのーっ・・・あーあぁ・・・」


「あーあ・・・かよ?」


ちょっと笑って、紘平がしゃがみ込む気配がした。


何でだろう、見なくても分かる。


右手に引っかけたままのコンビニ袋を差し出す。


「ハイ。あげる」


「・・・なに・・?」


「食べかけのサンドイッチ。半分残ってるから、あんたに譲ってあげる」


「食欲ねーの?・・・お、ツナサンド」


「そ。・・あんたスキでしょ」


「お前も好きだろが」


呆れたような声。


佳織と紘平の共通の好物のひとつがコレだった。


いっときは、ハマりまくって色んなコンビニのツナサンドを食べ比べしたりしていた。


・・・ちょっと懐かしい。


「まーね・・・・な・・・なに!?」


前髪の隙間に彼の右手が滑り込んできて、佳織は思わず顔を上げた。


真っ暗だった視界が一気に開けて、こちらを覗き込む紘平の顔と、背景がいっぱいに広がる。


蹲っていたので、頬に当たる北風が心地良い。


「・・・風邪でもひいたとか?んー・・・でも熱ないかぁ」


「無いしっ・・・ダイエット中なんですけど!」


そんなこと大声で言ってどうする。


今更口を押さえてみたがもう遅い。


「・・・それ以上削ってどーするよ・・」


すかさず掴まれた腕。


「あのね・・・色々と削りたいんですけどねぇ・・」


煙草の煙がこちらに届かないように、左手を離したままで紘平が佳織の髪をくしゃりと撫でた。


会社に長く居続けると、立場が上になるのも、下の人間が増えるのも当たり前。


誰かを慰めたり、フォローしたり、励ましたりすることはあっても、こうやって、慰められたことは・・・殆どない。


元来佳織が何でも自分でやらなきゃ気が済まない性質の人間だから猶更だ。


それに加えて、すでに”社内のお局”のレッテルが張られつつあるので。


「削ることより、身に付けるコト考えろって・・・昔っから言ってるだろー・・・ただでさえ食っても身につかないタイプなのに」


「余計な御世話ー・・・」


不貞腐れて言ったら、紘平が予想外に笑った。


すぐにいつものやりとりが始まると思ったのに。


そうしたら、ちょっとはスッキリ出来るのに・・・


こういう時に限って、紘平は大人の対応をするのだ。


立ち上がって、煙草を咥えた紘平が煙を吐き出した後で、佳織に向かって手を差し出した。


「・・・佳織にソレ言われるの何回目だろなぁ」


「なんで笑ってんのよ・・」


「いや・・・こんなコト言われてんの俺だけだろうと思ってさ」


「・・・・そりゃーそーよ。基本、親切はちゃんと受け取る人間ですからね、私」


「だからだよ」


さも当然という風に、彼が笑った。


つられて、思わず伸ばした手を掴んでしまう。


雰囲気によ、雰囲気に!!


一気に高くなる視界。


と同時に、やっぱり立ちくらみが来た。


慣れてはいても毎回上手く対処できるわけではない。


履きなれたヒールが砂利に食い込んで、上手に踏ん張れない。


「だーから、食えっつってんのに・・」


呆れた声と共に、背中に腕が回される。


”大丈夫”の声は出なかった。


ぼやけて滲む視界の端で、紘平が灰捨てに煙草を放りこんだのが見えた。


じわっと広がった安心感。


と、同時に湧きあがる罪悪感。


甘える相手じゃないでしょう?


手を、手を・・・離したのは・・・


しっかりしろ。


再びしゃがみ込みたくなるのを必死に堪える。


紘平の腕を掴んで、言った。


「・・・煙草・・・ちょうだい」


1本吸えば落ち着くかも。


そうだ、きっと煙草やめたのが原因なんだ。


新店オープンまでは、何かと連絡取らなきゃいけないんだから。


友世に任せたって、確認、最終チェックは佳織が行う。


否が応にも、電話しなきゃいけないことはこれから多々出てくるのだ。


そのたびに、こんなんなってたら・・・ダメだし。


・・・あーそっか・・・


こないだの挨拶がちゃんと出来たのは、挨拶だったからだ。


こんにちは、さようなら。


ただ通り過ぎて行く人だったから。


こうやって拘わり合いになるって思わなかったから。


・・・そんなこと、考えたくも無かったから。


唇噛み締めたら、紘平が空になった手で佳織の額を弾いた。


「あいたっ」


「なぁにが煙草だ・・・吸わせるか、ばぁか」


「何かほんっとに腹立つんですけどっ・・」


「吸って美味いと思えるようになったら、吸わせてやるよ」


「私の物差しじゃあいまも十分美味しいけどねっ」


「・・・なぁ」


声のトーンを落として、紘平が言った。


思いっきり言い返した佳織は、どんな反論が来るのかと身構えたのに、静かすぎる声音に拍子抜けしてしまう。


「・・・なによ・・・」


心配しておいてもらってその言い方はないんじゃないか?


そうは思っても、もう長年の付き合いだから。


こういう可愛くない言い方になってしまう。


否、紘平の前で、可愛い女でいなきゃいけない理由がまず見当たらないけども。


「自分の今の状況理解できない位、参ってんのか?」


「・・・・だから・・・ダイエットをね・・」


「佳織」


「・・はい・・」


条件反射で答えてしまってから、心の中で毒吐く。


慣れって本当に怖い。


呼ばれたら、ちゃんと返事しちゃうんだもん。


有無を言わさない、彼の声。


「いつか言ったこと覚えてるか?」


「・・・・なんの・・・話・・?」


「俺が異動する前に、言ったコト」


「・・・え・・・何が・・・よ?」


飲まれるなと言い聞かせても、声がうわずってるのが自分でもわかる。


覚えてるけど、言いたくない。


というか、言えない、絶対。


「話、訊いてやろっか?」


いっつも無駄に強引な癖になんで、こんな時だけ疑問形なのよ!?


調子を挫かれて、佳織は言葉に困る。


「えええ?・・・ちょっとくたびれただけだから!」


「気持ち的に?」


「・・・色々っ」


「一発解決してやろっか?」


にじり寄られて、佳織は後ずさりながら左手に持ってたペットボトルを紘平の胸に押しつける。


「いらんわっ!」


言うなり踵を返してビルに向かって走り出す。


立ちくらみとか言ってらんない。


このまま此処にいたら、捕まる。間違いなく。


”何に捕まるか”は今考えなくていい。


ひとまず・・・今は・・・逃げるよりほかない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る