第26話 煌義景は静かに暮らせない

 二人は反射的に優を見てしまう。

 彼がどこか尋常ではない怒りを彷彿させていたのだ。


「まさか、鳴子はこれで、そんな、そんなこと……」

「どうしたのよ、落ち着きなさいよ」


 まとまりのない言葉を口にする優の肩を、萌花が揺さぶろうともびくともしない。

 一体何があったのだろうか、二人が顔を見合わせていると、優は顔を上げ言った。


「……これは、良くないクスリだ」


 突飛な事を言う優に対し、奇異の視線を向ける事しか出来ない二人。


「なに、麻薬みたいな言い方しちゃって、アニメの見すぎなんじゃないの」

「どうしたのさ優、君の冗談にしては顔色が変だよ」


 そう茶化すも、優の目は真剣そのもの。そのまま、ブローチに手を伸ばした。


「ちょっと貸してみろ」


 ダイアル式の鍵を回す要領で、前後を動かす。

 すると、内側から削られた粉のようなモノが降ってくる。


「——そうか、だから鳴子の時給が良いワケだ」

「待って、どういうこと? なんでそんなことを優が知っているのよ」


 戸惑いつつ萌花が訪ねると、優は説明を続けた。


「そりゃあ俺が〝ここら辺の人間〟じゃないからだ」

「いやいや、ボケを求めてるんじゃないから。だったらなに、鳴子ちゃんが麻薬の運び屋をやってるって事?」


 その問いに対し、優は不敵に笑う。


「お前、察しが良いな——んで萌花、コイツを店で見かけなかったか?」

「え……あぁ、確かこの在庫置き場に……でも、これ鳴子じゃないと開けられない鍵がかかってるからそう簡単には——ってちょっと!」


 萌花が開ける事に手間取っているので、優が店にあったトンカチで鍵を壊しにかかる。錠は脆く、数発殴るだけで開く事が出来た。


「おいコラ、お前の店どうなってんだ」


 バラバラ……と音を立てて転がり落ちていくブローチの山。

 萌花は、目を見開いて優に尋ねてくる。


「え、嘘。なんでこんな大量に……って、なんで分かったのよ」

「あの鳴子専用のふざけたメニューがあっただろ『伝説の勇者のメイド』。あんな法外な値段を付けてるには理由がある……だったら、行きつく答えはこれだったんだよ」


 萌花と優のやり取りの最中、キラは予想だにしていない店の事実に目を丸くするも、想像以上に高い、優の見識に戸惑っていた。


「一体どうしたんだ優……いつものお前らしくないよ……?」


 キラにバカキャラと認識されているのであろうが、この状況下でふざける優ではなかった。


「そんなの当然だ、何故なら——っと、その前に、お客さんがやってきたようだぜ」


 説明の途中で邪魔が入ったようである。

 優が玄関口に視線を向けると——


「ブフ……今日は全然人がいねえなぁ、おい?」


 キラと萌花がその姿に驚く。

 それはブタゴリラ——複数人を連れてやってきたのだ。

 ヤケに荒々しい息遣いに、テンションの高い連中ばかりで、萌花が漏らす。


「なにあの人たち、いっつも昼間っからお酒飲んでるんじゃないでしょうね……」


 そんな萌花に向かって、ブタゴリラは気味の悪い笑顔を向ける。


「あぁ、今良い気分なんだ……ククッ、キヒヒヒ……」

「ちょっとなに……なんでこっちみてずっと笑ってるの……?」


 他の者たちも薄く笑い、ずっとこちらを見ているではないか。

 それに優はこう説明する。


「前に見てただろ、あいつが店に散財するあのバカみたいな挙動……お酒ではあぁはならない。このブローチの粉から摂取した高揚感のせいで、バカ騒ぎをしまくるんだ。その依存性の強さから、貰った相手への服従を許してしまうほどに……危ない代物だ」


 スイッチが入ったように、優はいくつか推論を述べる。


「事あるごとに、カリスマの身近に一般人が都合良いタイミングで現れるワケがない。であれば簡単だ、あいつらはカリスマに麻薬で飼い慣らされている。それに、店を放っておいてやる大事な仕事って言えばそれに違いない」


 唐突な展開だが、キラには関連する心当たりがあった。


「し、信じがたいけど、あの血走った目……尋常じゃない。もしかして、前にブタゴリラが店にかなりの金を落としたのって……」

「そうだ、普通の人間がそんな事をするハズがない。くそっ……こんなあり得ない事態が身近で起きてるなんて……!」


 彼らは今にも襲いかかりそう。

 すると、メニューを手に取りこちらに投げつけてくるではないか。


「きゃああああっ‼」


 威嚇なのだろう。彼らのすぐ真横にぶつけるなり、ホコリが飛散した。

 大変な事態が起きたとキラは察する。

 叫んだ萌花が床にへたりこむなり、ブタゴリラが言った。


「スグルを、寄越しなぁ……クフフ……」


 薬が脳神経を犯しているのだろうか、片言になっている。


「乱暴な事をする奴に友達を渡すか!」


 キラが優の前に立って主張するも、優は不愉快そうに命令する。


「やめろ。今のあいつらの膂力は数倍にも跳ね上がっている」

「な、なんだって……だったら尚更、あいつらがお前に何をするか……!」

「いいんだ、俺はずっとお前らに世話になってて……返さなきゃならない」


 だから、これは俺だけの戦いだ。優が二人を差し置いてブタゴリラに向かって行く。

 だが、それでもと言わんばかりに、キラが強引に前に立つ。


「んなっ……お、おまえな……」

「おかしいね、こういう時はこぞって背中を蹴って囮にしてくるクセに」


 キラの取った行動は内心、嬉しくはある。

 しかし、どうしても許可するワケにはいかない。


「カッコつけてる場合じゃない。あぁなったヤツはヤバいんだ、お前にそんな事させられない!」


 融通の利かない優に対し、キラはふぅと息を吐きこう告げた。


「——あれを使えば切り抜けられるよ」


 キラは何かを決心したように、優に提案した。

 けれど、優は躊躇ってしまう。


「突然何を言いだすかと思えば……あれはもうしないって言っただろ。いや、やれば冗談じゃ済まなくなる!」

「気持ち悪いなぁ、友人でも使い捨ての駒のように扱えよ。クズじゃない君なんて、君じゃない! ほら使って、出会った時にやられたアレをさあ!」


 強い意気込みの混じったキラの言葉を止める術はなかった。

 こんな突飛な状況でも対応してくれる数少ない友人——味方である。

 そんな彼の勇気ある行動に敬意を示し——


「くっ、そこまで言わせりゃクズの名が廃る!」


 ——キラの乳首をつねったのだ。

 人の感じ方は人それぞれだ。撫でるように柔らかいソフトタッチを好む者もいれば、ハードさを要求する者もいる。キラは後者であった。

 牛の乳しぼりの要領で急所をつまんでやると、キラは雄叫びを上げた。


「ほわああああああああ~~~~っ!!」

「きゃあああああああああ——!?」


 喘ぐキラと悲鳴をあげる萌花。

 驚きざまに、萌花は拳を握りしめて優を殴り飛ばした。


「アンタ……私のキラくんに——なにやってんのよッ!」

「なにって、これは——ぎええええええっ!」


 さり気なくキラに対する本音ダダ洩れでキレる萌花に、優は非常口にまで吹っ飛ばされた。

 そして、顔を上げた優が見たのは、キラのゴーサインである。


「……めいこちゃんを頼むからね」

「わ、悪い……じゃない。あぁ、当然だ!」

「鳴子ちゃんの行き先、きっと『シャノアール』だ! つい最近、よく出入りしていたのを見かけていた!」


 キラのメッセージを受け取った優は、クズの如く外へ駆けだした。

 信頼する友人を置いて、彼方へと消えていく。


「さぁ、君たちの相手はこの僕だ」

「数人がかりを相手に良い度胸だ……金魚の糞のお前が……くくっ」

「確かに僕は金魚の糞だ、けれど、金魚の糞だからこそ君たちに勝てる!」


 普段身に付けた竹刀袋から得物を取り出し、一振り。

 風を切る音で、優の行く道を切り開かんとする。


「ほう、武器を使うか。けれども俺たちも——」


 ブタゴリラがそう言い、各々がガラクタや店の家財を手に取ろうとした時。


「かみなりいいい——ッ!」


 豪速の一閃が頬を掠り、重い風圧が跡を残して行く。

 後方で目覚ましいほどに鈍い音がなり、ブタゴリラはぎょっと振り返る。すると、仲間の一人が吹き飛び、虫の息になっていたのだ。

 後頭部を打ち付け、鼻から血を流している。


「やっぱり慣れないことをすると力がブレちゃうな……」

「お、お前なにをしたんだ……」


 ブタゴリラを筆頭に、慌てふためく男たち。

 そんな中、物陰に隠れ、顔を出した萌花が言った。


「なぁに、あんたたち知らないの?」

「知るも何も、コイツはただのチャラ男……だろ!」


 萌花は何も分かっていないな、と冷ややかに笑って続ける。


「あなた達知らないようだから言ってあげるわ」


 隅から姿を出し、ビシリと指を突き立てるなりこういった。


「これは——〝剣道三倍段〟よ!」


 剣道の有段者には、三倍もの段を有しなければ勝てないという理論。

 キラは武道に関して心得がある。対して、敵数名はメイド喫茶に通うただの一般人。であれば、武器を持とうが優位にあるのは当然キラである。

 なるほど、剣を以てこその力であるか——そう納得しかけたブタゴリラは正気に戻る。


「いや待て、だからって、武器を持った俺たちに——」

「ろんぎぬす——ッ‼」

「ぎゃあああああ——っ!」


 そんな言葉もすぐにかき消される——酷い技名によって。

 もちろん、剣道三倍段なんてものではない。

 恋で盲目になった萌花の勝手な妄想、都合の良い理想像。


 HST(偏差値)38のアイドルグループを結成し、センターに立てるほどの頭の悪さが、萌花から垣間見えてしまう瞬間であった。


「剣道三倍段……なんて恐ろしい技なんだ…」


 恐れのあまりに、トチ狂ってしまう仲間たち。そのままキラに打ち取られてしまう。

 その凄惨な事の流れをブタゴリラは呆然と立ち尽くし、震え声で言った。


「ふ、ふざけるなよ……ふざけるな、ふざけるなああああああああっ! こんな一方的な力ッ! 俺の力でねじ伏せてやらあああ——ッ!」


 この場にて行われたのは、小規模だが紛れもない大虐殺ホロコースト

 破壊され、寸断された店の破片に佇むのは長髪の少年。

 大量の沈黙を生産したばかりの勤勉な勇者の猛き身体が、新たな獣へと振り返る。


「うおおおおおおおーーッ!」


 残酷劇の中央へ、臆せず進むブタゴリラ。それは、いかなる残酷も笑いとしてしまう、シュールな喜劇の一幕のように。

 もはや、彼に残されたのは虚勢による気迫だけであった。力任せに突っ込んだブタゴリラを素早く躱し、一撃で仕留めるべく大砲のように咆哮——


「にじいろすぴあああああぁぁ——ッッ‼」


 ——鎮魂のためでなく、歓迎のために。

 キラの群青の瞳が、激流の波の如く凄烈に吹き荒れた。

 繰り出される竹刀の一撃。大気を切り裂くのではなく、引きちぎるかのような勢いは防御しようが突き破られる。

 勝負あり——今ので趨勢は決してしまった。

 その一撃必殺は、一言も発する隙もなく身体に刻まれてしまった。


「……峰打ちさ、安心して」


 彼の世界が収束する。

 全てを倒し終え、萌花が満身で喜びを見せてきた。


「え、すごい……全員やっつけちゃったの、キラくん!」


 褒められることに嬉しさを覚えつつも、むず痒さを感じてしまうキラ。照れ隠しに頬をポリポリと掻き、視線を斜め上に逸らした。


「すごいわ、流石! 剣道やってる男の子って本当に素敵!」


 余程興奮しているのか、褒めちぎり続ける。

 その姿は、晩年、窓一つない次回の密室にて幽閉され、死に直面した狂った信徒のように妄信する萌花であるが——


「後はそのダサいネーミングセンスさえどうにかなれば完璧!」

「……」


 ぎこちない視線を向けるキラ。

 けれど、お構いなしに萌花は続ける。


「でも、完璧じゃないからこそ華は美しいのよね、そうね!」


 萌花の感想に黙りこけてしまうキラ。少しショックを受けたのか、目を細めた。

 しかしそれよりも、この荒れ果てた店の後始末をどうしようかと、悩ましげに見ているのであった。

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