1-2

 「おーい、そろそろ起きろー」

 「うーん」

 眠そうな目をこすりながら、ようやく駿佑がベッドから起き上がった。

 「コーヒーでいいか?」

 駿佑は無言でうなずく。

 「じゃぁちょっと待ってろ」

 悠佑は台所でコーヒーを淹れ始める。

 駿佑はおぼつかない足取りで洗面所へと向かう。悠佑の背後を通り抜けようとした時、不意に駿佑が悠佑の首に手を回してきた。

 「ちょっ、おまえ…、何すんだよ」

 「何となく」

 「アホか。うっとうしいから離れろ。手許が狂う」

 悠佑が駿佑の手を払いのける。

 「えー、いいじゃん」

 つれない兄の態度に、駿佑は口をへの字に曲げる。

 「今さら何だよ。ガキじゃあるまいし」

 「だってこれが一番落ち着くんだもん」

 懲りずに駿佑がまた抱きつこうとする。

 「あーのなぁ、まーだ寝ボケてんのか? そろそろいい加減にしないと殴るぞ」

 「そーいって殴ってこないじゃん。まぁ、本気出したら弟に包丁向けるもんねぇー」

 「お前なぁ…」

 口をへの字に曲げた兄の顔を見て、駿佑が吹き出す。兄弟そろって機嫌が悪い時に出る癖なのだ。

 「いやー、ホント毎日がこれぐらい楽しければいいんだけどなぁ…」

 駿佑の表情が少しかげる。が、もうこの間までのようなヘドロのような深い闇をまとってはいない。日ましに駿佑の顔が明るくなっていくのを、悠佑も感じ取っていた。

 「ほーら、コーヒー入ったぞ」

 マグカップの片方を駿佑に手渡す。

 「ありがと」

 コーヒーを少し飲んだ所で、悠佑が切り出した。

 「んで、指示したものは用意したか?」

 「うん、用意できてるよ」

 駿佑がベッド脇に置いてあったカバンから茶封筒を持ってきた。

 「はい、これ、診断書。勤怠の記録とパソコンのログイン時間も今集めてるとこ」

 「わかった」

 悠佑が茶封筒を開け、中に入っていた診断書に目を通す。帰ってからまた見るつもりだから、大ざっぱにしか見るつもりはない。病名と所見の項目だけ目を通すと、元通りにきちんと三つ折りにして封筒の中にしまった。足元に置いてあったトートバッグにそれをしまう。

 「はい、今にーちゃんのスマホに録音した音声送った」

 「おっけ」

 スマホを開き、弟から音声のファイルが送られてきたことを確認する。

 「中身確認しないの?」

 再生せずにスマホを閉じた兄に、駿佑は首をかしげた。

 「家帰ってから確認するわ」

 トートバッグにスマホを入れ、足で壁際に追いやる。

 「んで、お前はこれからどーするか考えてんの? 会社辞めた後のこととか…」

 「まだ何となくだけど……」

 「まぁ俺はあんまりうるさく言うつもりはないから。お前が考えろ」

 「何か父さんみたいな言い方だね」

 「そぉーか?」

 「何か今の言葉聞いてふとそう思った。安心感ある」

 「俺はまだそんな年取ってない」

 悠佑がちょっと不服そうな顔をする。

 「父さん元気かな?」

 「去年の年末帰った時は元気だった」

 「そっか。もう何年も実家帰ってないな…」

 「会社辞める前にこのことも話しておかないとな」

 「だね」

 悠佑はふと壁の時計に目をやる。もう昼近い。コーヒーを飲んだからか、急に空腹感を覚えた。

 「いい加減メシにするか? 腹減った」

 「うん、オレも腹減った。何か外に食べに行こ」

 「お前たまには自炊しろよ。いつも冷蔵庫すっからかんだから少し食料持ってきたぞ」

 「ありがと。明日からはちゃんとする」

 「ぜってぇやらないな」

 「ちゃんとするって。大通りにいい店あるからそこ行こ。今日は特別」

 「その前に、」

 「ん?」

 「いい加減にそのだらしない恰好着替えろ」

 悠佑がヨレヨレになった紺のスウェットを指差す。

 「あっ、」

 駿佑は苦笑しながらクローゼットの中からガサゴソと服を探し始めた。悠佑が飲み残したコーヒーを流しに捨てる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る