『卒業写真をもう一度』

駿介

1-1

 地下鉄の出口を出ると、眩しいほどの五月の陽が辺りに降り注いでいた。この間まで白い花をつけていた街路樹が、もうすっかり青々としている。日曜の朝だというのに、四谷三丁目の交差点は車がひっきりなしに行き交い、どこか落ち着かない様子だ。

 交差点を渡り、悠佑は新宿通りを外濠の方へと歩いていく。右の小道に入ると、車一台がやっと通れる幅のゆるやかな下り坂になっていた。道の左右には、明かりの消えた飲み屋の看板が並んでいる。どこか昭和の香りを感じさせるような街並みで、薄汚れた雑居ビルに混じって黒瓦の木造家屋もちらほら残っている。

 悠佑はそこからさらに脇の石畳の道へと入っていく。そこは人一人通るのがやっとの幅で、覆い被さるように軒先が迫り、まだ朝だというのに薄暗い。左右に立ち並ぶ建物は、かつてこの辺りが花街であったことを偲ばせる木造家屋ばかりである。軒下には格子窓が並び、古びた墨書きの看板が残っている家もある。

 その間をしばらく歩いていくと、突然建物が切れて視界が開けた。悠佑は思わず頭上を見上げる。春らしい、透き通ったラムネ色の空だ。視線を移すと、その空の下、遠くの市ヶ谷辺りの高台には高層ビルが林立し、その下の少し低い土地には、窮屈そうに家々が立ち並んでいる。今まで歩いてきた石畳の道が、急な階段となってその眼下の街へと続いている。この辺りは周囲を台地に囲まれた約三百メートル四方のすり鉢状の地形になっていて、大通りから別れた道は、こうして途中から階段となって底まで続いているのである。

 階段を下っていると、爽やかな風が悠佑を追い越していった。立夏を過ぎて日差しはもう夏のような強さだが、時折吹く風は季節がまだ春であることを感じさせる心地よいものだ。手に提げたビニール袋がかさかさと音を立てている。

 底まで下りていくと、小さな池とその横に弁財天があった。悠佑は所々丹塗りの剥げたその祠の前で立ち止まり、財布から出した五円玉を賽銭箱に放り投げる。鳴らす鈴もないので、その場で形ばかり手を合わせる。

 そこから更に、悠佑は迷路のような小道に分け入っていく。道の左右には住宅がびっしりと立ち並んでいる。その中に一軒の白茶けたモルタル造りのアパートがあった。悠佑はそのアパートの前で足を止める。手にした部屋の鍵をチャラチャラ鳴らしながら、急な外階段を一番上の三階まで上っていき、廊下の突き当りにある部屋のドアを開けた。

 「おーい駿、起きてるかー?」

 「………」

 「上がるぞー」

 そう言いきらぬ内に、もう悠佑は靴を脱いで部屋に上がりこんでいる。

 「あーあー、洗い物たまってるじゃん」

 皿やコップが無造作に積み上げられた流しを見て小さな溜息をつく。

 「お前まーたカップばっか麺食って…。もうちょっとちゃんとしたメシ食えよ」

 「んー」

 悠佑はソファーの上に荷物を置き、座卓に置かれたカップ麺の容器を見ながら言う。座卓の上には、他にもビールの空き缶など様々なゴミが散乱している。それらを一つずつ台所に持っていく。カップ麺の容器を持ち上げた時、中に突っこんであった割り箸が床に落ちた。

 「あー、もーっ」

 悠佑が舌打ちする。座卓の片付けを終えると、腕まくりをして今度はスポンジを手に洗い物を始める。二週間ほど前に例の一件があって以来、定時で上がることができた日や休日など、時間を見つけては三日と空けずにこの荒木町の家に通って溜まった家事をしているのだ。洗い物を終えると、悠佑は部屋のあちこちに脱ぎ散らかされてあった衣類を集めていく。それらを全て洗濯機に押しこむと、悠佑はカーテンを開けた。もう既に高くまで昇った陽の光が部屋の中に入ってくる。

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