クエスト5/傷



「…………綺麗だ、理子」


(よ、よーく考えなさいわたしっ!! 落ち着くのよ、落ち着いて考えないと――――)


 彼女としては、非常に危機的な状況だ。

 昨日の日替わりクエストが、彼をそんなに変えてしまったのか。

 それとも、実はそういう気持ちを抱いていたとでも言うのだろうか。


(こ、このままだとっ!! わたしのファーストキスがぁ~~~~っ!?)


「…………唇、ぷにぷにしてんなぁ」


(はぁああああああああああっ!? なんでそんなに大胆に触ってくるのコイツっ!? どうしちゃったのアキラっ!? 襲うのっ!? わたし襲われちゃうのっ!?)


 どうすれば良いのだ本当に、起きて、起きたら、どうなってしまうのだろうか。

 変わらず、アキラは唇をぷにぷにと人差し指で押す。

 もし理子が薄目を開けていたら、彼が寝ぼけ眼である事が分かるだろう。


(ううっ、目なんて開けれられないわよ!! こんな状況でっ!! こっ、このまま寝たフリしとく? それと起きてひっぱたくべき?? なに、ホント何がしたいのアキラっ!?)


(あー、なんかスッゲぇいいぞコレ。何というか、頭が気持ちよく冴えていく様な…………よう、な、…………――――あれ??)


 アキラは彼女の髪を撫でながら匂いを嗅いだ瞬間、己の行動を自覚した。

 もはや目が覚めたとか、そんな事を行っている場合ではない。


(何でオレは理子の寝込みを襲ってんだよッ!?)


 寝ぼけていたにも程がある、ダメだ、完全にこの変な部屋の雰囲気に流されている。

 危機感はもう一つ、即ち。


(やっべ、今コイツが起きたら気まずいどころじゃねぇぞッ!? どうする、ここからどうするッ!?)


(止まった……、これで終わり? ならもう起きても――い、いやっ、まさかキス、本当にキスして起こすとかするのっ!? 流石に少女マンガの読み過ぎだってアキラっ!?)


(今すぐ手を離せば……、いや違うッ、このシチュは少女マンガで読んだ! そう、こんな時、少女マンガのヒーローが取る行動は――――ッ)


 1、唇や耳、或いは髪にキスして起こす。

 2、そのまま襲う。


(いや違うだろッ!? 特に2番目ッ!! それエロマンガとかTL系のやつッ!?)


 思った以上に動揺している己を叱咤しながら、彼は必死に記憶を探った。

 ここからの選択肢が、まだある筈である。


(3、ほっぺを抓って起こす。――そう! これだよこれッ!! これしかないッ!!)


(はうあっ!? 空気が変わった!? わたしには分かるっ、何かしようとしてるコイツっ!?)


 このままキスされてしまうのか、そのまま大人の階段を上がってしまうのか。

 理子がきゅっと拳を握ったその時だった、頬がぐにっと摘まれ。


「おーい、起きろ理子。そろそろ朝飯食おうぜーー」


(………………このヘタレっ!! い、いや残念だっとか思ってないから、そう思ってないんだからねっ!!)


 理子はううん、と眠たそうな演技をしながら瞳を開ける。

 そしてぺしぺしと彼の手を叩きながら、はぁと溜息を吐き出し。


「………………ちょっとアキラ、起きたから手を離しなさいよバカ。もう少し優しく起こせないの? 乙女の頬を抓るなんてデリカシーなくない??」


「はいはい、どーせオレはデリカシー無くてモテませんよーだ。――んで、朝飯どうする?」


「任せる、でもポイントは節約してよね」


「あいよー」


 極めて平静な会話を交わす二人、だが内心では。


(あっぶねぇええええええええええッ!! 危うくマジでキスする所だったああああああああッ!!)


(は、恥ずかしいいいいいいいいっ、わたしは自分が恥ずかしい!! 何でキスされるって思ったのよ!! アキラがわたしにキスするワケないからっ!! 綺麗だとかそーゆーのだって、寝ぼけてただけよ多分!! うあああああああっ、ハズいっ、キスされるだなんて勘違いしてた自分が超ハズい!!)


(…………でも、惜しかったなぁもう少しでキス――じゃねぇよオレッ!? なに考えてんだッ、アイツだってオレにキスされたくねぇって思ってるだろうがッ!! 第一、オレだって理子の事は大嫌いで……)


(そもそもっ、アキラのコトなんて大嫌いなのよ!! 何とも思ってないんだからっ!! …………何とも、思ってないんだから……)


 ドキドキと甘く高鳴る鼓動は、寝起きだからと二人は自分に嘘とつく。

 けれどそうした所で、態度には出てしまう。

 朝食に和風を選んだ二人であったが、どこかギクシャクした空気で。


「…………美味いな、この鮭」


「ええ、ナメコの味噌汁も悪くないわ……」


(おい理子ッ!? なんで今日は口数少ないんだよ!!)


(いつもはペラペラ喋るじゃないアキラッ! なんで今朝に限って静かなのよ!!)


 非常に気まずい、美味しい筈なのに味がしない。

 どうやって会話してたかさえ分からなくなった頃、ようやく食事は終わり。


「…………んじゃあ、日替わりクエストでもすっか?」


「ええ、ポイントは稼がないとね。――くれぐれも雰囲気に流されるんじゃないわよ」


「はッ、お前こそうっかりオレに惚れるんじゃねーぞ」


 普段と同じ喧嘩腰の筈が、どこか力なく。

 それも気づかないフリをして、二人はタブレットを覗く。

 するとそこには。


『今日はお互いをマッサージして、労ってあげましょう! 服装はコチラの指定した水着を着てください。報酬ポイントは30、昨日と同じく追加ポイントもあり得ます。』


「水着で……?」


「……マッサージ?」


 思わず視線を合わせる二人、その顔は真っ赤で瞳は泳いでいた。


(はぁああああああああッ!? 水着ッ!? この状況で水着だとッ!? バカなのかあのクソ天使!! 理子だぞ? 性格はアレだけど体はエロい理子だぞ!! ちっくしょおおおおおおおおおおお!!)


(~~~~っ!! き、昨日の今日でコレっ!? ああもうっ!! あああああああっ、もおおおおおおおおおお!!)


 正直拒否したい、しかし昨日は勢いで浪費しポイントを食事分しか残さなかった。

 つまり、未達成だと例の催淫ガスの出番であって。


「――――ちッ、クソッタレが!! こうなりゃヤケだ!! やってやるよマッサージすりゃ良いんだろうが!! コイツに手を出さないで部屋から出られる事を証明し続けてやんよッ!!」


「女は度胸っ!! こんなコトで流されたりなんかしないのよわたしはッ!! 何でもしてやろうじゃない!!」


「…………」


「…………」


「へッ、威勢良く吠えたじゃねーか。オレのマッサージテクに酔いしれな……!!」


「アンタこそ、わたしのテクで眠らせてあげるわよ!!」


 自棄っぱちになった二人は、バチバチと火花を散らし。

 そして、水着に着替えてご対面。


「アンタ……そうして見るとマジでチャラ男よね」


「うっせぇな、好きでこんな顔してんじゃねぇっつーの!!」


 アキラは格好は、特に面白げのない水色のサーフパンツであったが。

 元々の色黒さと、農作業の手伝いで鍛えられた体。

 そこに首には金色のネックレスが加われば、ナンパ目的で海に来たチャラ男感を増している。


「っていうか理子こそ……、その、なんだ? 結構似合ってんじゃねーか」


「あ、ありがとう……」


 視線を反らして照れくさそうに誉めるアキラ、誉められた理子は恥ずかしそうにモジモジと体を揺らす。

 すると当然の様に、彼女の巨乳が動きに合わせて揺れて。


(なんで肩出しのビキニなんだよおおおおおおお!! 似合ってるけどさぁ!! 似合ってるんだけどさぁ!! それ以上にエロい!! いやエロいだろうがコレ!!)


 アキラは戦慄した、この格好の理子にマッサージされて耐えなければならないのか。

 彼女の水着は、白レースのオフショルダービキニ。

 肩紐がないぶん、肩は艶めかしく、そして大きな胸は今にもこぼれ落ちそうな。


(ふふふ、ピンチ、ピンチだ……目のやり場がマジでない、顔は恥ずかしくて見れないし、胸は論外、お腹は括れが何かエロい、ケツもダメだし太股もダメ、…………いやマジでドコを見れば良いんだ??)


(あらためてコイツの体見ると……、ま、まぁまぁね、腹筋こそ割れてないけど引き締まって鍛えてるって感じで悪くないじゃない?)


 アキラと理子はお互いをチラチラ見ながら、マッサージの打ち合わせを始める。

 ――お互いの顔が赤くなっているのには、不自然なまでに触れず。


「んでさ、……どうする? 肩とか揉めば良いのか?」


「………………前からはナシ、後ろからで」


「分かった」


「お尻を触ったらコロス」


「あいよ、――じゃあ始めようぜ」


 ベッドの上で俯せになる理子、アキラはその横で膝立ちになって両手を延ばす。


「はーい、お客さん先ずは腕から行くぜー……って、うわ、お前の二の腕ってぷにぷにじゃね? 唇と同じぐらいぷにぷにしてね?」


「…………ははっ、何でアンタがわたしの唇の感触知ってるのか追求されたくなければ、今すぐ口を閉じたらどう?」


「ッ!? あ、ああ!! マジで綺麗だぜ理子!! 綺麗すぎて言葉が出てこないから暫く無言で行くぜぇっ!!」


 やっべ、と慌てて口を噤むアキラ。

 バレている、寝起きのうっかりがバレている。


(どーりで朝飯の時に静かな訳だよコイツはッ!! そりゃあ静かになるわ、だってオレ綺麗だとか言ったもん!! 唇とかめっさ触ってたわ!! そりゃ気まずくなるよなぁ!! ――ド畜生!!)


 このマッサージが終われば、とんでもない復讐が待っているかもしれない。

 戦々恐々とした彼であったが、ある意味、それ以上に恐ろしい事態が起きて。


「…………んっ、――ぁん、ん~~っ、そこっ、そこぉ……」


(いやお前この状況分かってんのかよッ!? エロい声出さないでくれるッ!? ちょっと股間がやばいんだけどぉ!?)


「ぁ、やん、……はァ、ぁ、あっ、ふぅ……や、ぁ――」


(無心だ、無心になるんだ……大嫌いな相手だぞ、相手は理子だと、絶対にコイツに欲情なんて――)


 その時だった、アキラは己の感情に疑問を覚えて。

 そもそもの話、いったい何時から。


(そういえば、なんでオレは理子を大嫌いって思ってるんだ?)


 毎日のように一緒にいて、遊んで、お互いの部屋を無断で入り入られ、下着の種類だって把握してる。

 本当に大嫌いであるなら、こんなに一緒に居ないのではないか、と。


(…………そりゃあさ、ガキの頃っつーか。最初に会った時はマジで大嫌いだったぜ? オレのミニカー奪うしオヤツは横取りするし、絵本を読めば先にわたしが読むって奪いに来るし)


 りこちゃんなんてだいきらい、というのが幼少期の口癖だった。

 子供なりに、本気で嫌っていた筈だ。

 でも他に遊び相手が居なかったし、成長するにつれ喧嘩も遊びの延長線上になって行って。


(オレ、理子のことを――本当に大嫌いなのか?)


 なんて事に思い至ってしまう。

 この部屋から何事もなく出るならば、彼女の事なんて意識しない方が良いのに。


(何でオレは昨日、あの時、嫉妬したんだ?)


 不味い、これ以上考えたら彼女を大嫌いな幼馴染みとして見れなくなる。

 でもちゃんと考えないと、いつか隣から居なくなって行くような気がして。


(――――違う、あの天使のオッサンは何て言ってた?)


 アキラと理子は、お互い独身のまま一生を終える可能性が高いと。

 そう、言っていなかっただろうか。


「………………そんなのは――」


「アキラ? 手が止まってるけど終わった? なら交代するけど」


「ッ!? あ、ああ、終わったから交代してくれ」


「はいはい、オレのテクに酔いなとか言って案外フツーだったわねアンタのマッサージ…………アキラ?」


 どこかぼんやりした彼に訝しげな視線を送りながら、彼女は場所を交代する。


「なんでもない、……ほら、始めてく――ぐぇッ、て、テメェ躊躇無く上に乗りやがったなッ!?」


「良いじゃない、文句ある? ――それとも、わたしが重いって言うの?」


「せめて一言くれってんだよ!!」


 交代して俯せになったアキラの臀部の上に、理子は遠慮なく跨がって腰を下ろす。

 そのままペタペタと、遠慮なく背中を触り。


(――――まだ、傷残ってるのね)


 感傷的に口元を緩ませながら、その傷痕を人差し指でなぞる。

 この傷痕があるから、だから。


(だから大嫌いなのよ、アンタは……)


 筋肉質な背中や腰をぐいぐいと押しながら、理子は悔しそうに微笑む。

 幼い頃は嫌いだったのだ、でもそれは次第に口だけになって。

 そして、二年前。


(アンタは……わたしを庇って車に跳ね飛ばされ死にかけた)


 あの時の光景は、今でも夢に出てくる時がある。

 けたたましいクラクションと、甲高いブレーキ音。

 次の瞬間、道路脇に押されて目に飛び込んだのは宙を舞うアキラ。


(バカ……バカよアンタは、わたしを庇ってアンタが死ぬ所だったじゃない、それなのにアンタはわたしにさ、無事で良かった、だなんて――っ)


 その瞬間の感情を、何と呼べば良いのか。

 今でも答えは出ていない、怒りか、悔しさか、嬉しかったのか、それとも他の何かなのか。

 でもはっきり分かる事は一つ、理子はアキラから返せるかどうか分からない“借り”が出来たのだ。


(大きすぎるのよっ、命を救われただなんて、どう返せば良いのよ!! 退院しても、こっちに何一つ要求しないしっ、お礼を言ったら頭打ったかって病院に連れてくしさぁっ!!)


 腹立たしい、アキラは理子の命を勝手に救っておいて。

 その癖、恩返しすらさせてくれなかったのだ。

 プレゼントを贈れば倍返しにされ、薄着になった上で隙だらけの姿を見せても腹冷えるぞと腹巻きを渡され。


(ああもうっ!! 思い返すだけでイライラしてくるっ!! 嫌いっ、嫌いよっ、アキラなんて大嫌いなんだからっ!!)


 本当にもう、どうしてくれようか。

 この、セックスしないと出られない部屋に一緒に居るというのに。

 学校でも一番の美貌とスタイルを誇る理子に対し、強引に迫る事も、仕方ないと良いわけして襲う事もなく。


「…………なぁ、さっきから手が止まってんだが? 一応マッサージはしたからクリアだろうが。終わったなら上から退いてくれ、そろそろ着替えようぜ?」


「ああ、ええ、そうねぇっ、マッサージは終わっても良いわよねぇっ、――――それはそれとして、ちょっと思ったのよわたし」


 声色に怒りを滲ませて、有無を言わさぬ気迫で理子はケタケタと笑う。

 上に乗られたままのアキラは、朝の復讐が始まったかと恐怖しかなくて。


(あったま来たわっ!! わたしにだってねぇ、女の子としての意地があるのよっ!! それをコイツは砂粒ほども理解しないで~~~~っ!!)


(ふふふ、怖いぜ、マジヤベーぜ、ああ、――オレは今日、殺されるかもしれねぇなぁ……)


(ええ、ええ、わたしを守ってくれたアキラは? 今回もわたしの貞操を守ろうとしてるのよねぇ……?? ふっざけんなっ!! 誰が守ってて言ったのよ!!確かにセックスする気なんて最初は無かったけど! でも仕方ないかなーって思ってたのに!! もう怒ったわ、絶対に――そう、絶対にアンタから頭下げるか告白してくるまでセックスなんてしない!!)


 だから、理子がこれから取る行動はアキラとの協調路線ではなく。


「――――ねぇアキラ? わたし思ったのよ、このままじゃダメなんじゃないかって」


「………………つまり?」


「ほら、日替わりクエストに耐えてポイントゲットするなら、より強い心で居るべきだと思わない?」


「同意するが、強い心って言ってもどうするんだ?」


 獲物が食いついた、と彼女はほくそ笑んで。


「せっかくだし、告白の練習しましょ。今みたいに交代で告白して、今のウチに動揺しない強い精神を手に入れるの。――――それとも、臆病な童貞のアンタには無理難題だったかしら?」


「は?? やってやろうじゃねぇか誰が臆病な童貞だクソ女ッ!! テメェこそ後悔すんなよ! それからそろそろ退いてくれると助かるんですがッ!!」


「あ、ごめん忘れてたわ、あははははーーっ」


 そうして、突発的に告白の練習が始まったのだった。


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