♠第3話

 エリシア様は公爵閣下の政務が終わった頃を見計らって話を聞きに行くとのことで、それまでの間私は自由時間となった。そして私室に入って一番、ベッドに飛び込んだ。


「いやったぁぁああああ! エリシア様に頭撫でて貰ったぁぁああああ!!」


 枕を抱いてベッドの上を転げ回る。私はエリシア様に褒めて頂くことをこの上ない喜びとしている。身体的接触があればなお良い。そういう意味で、頭を撫でて頂くのは最高だ。


「そのうち頭だけじゃなくて……」

「アタシの前で股をまさぐり出すのやめて下さいます!?」


 一発お楽しみといこうとした途端、叱られてしまった。声の主は私の従士兼侍女のミーナである。彼女は栗色の髪――――私と同じ色だ――――をひっつめにした18歳の少女だ。……従士ではあるが、私の異母姉妹でもあるので気のおけない相手でもある。私は彼女に対してだけは、本当の自分をさらけ出せる。


「だってさぁ、今日は凄いボーナスタイムだったんだよ? なんせ頭撫でられながらエリシア様の……足首を拝めたんだから」

「ウワッ、フェチズム感じるなぁ……足首て……」


 彼女は、私がエリシア様に恋慕していることを知っている。無論、同性愛は宗教的に戒められていることであるので、ミーナはドン引きしている……フリをしている。彼女は少し頬を赤らめていた。本当はこういう話が好きなのだろう。彼女は咳払いを一つ、私に尋ねてきた。


「それで……一体何をどうすればそんな状況に? 頭撫でてもらったのはアレでしょう、ヘルブラ卿ぶっ殺した件でしょう? でも足首拝めるのはわかりません」


 女性のスカートは通常、立っている状態で裾が地面を擦るか擦らないかといった丈になっている。その奥に隠された足首を拝めることは、中々ない。


 私はにんまりと笑い、一冊の本を手に取った。ラテン語で「恋の技法」と題うってある。


「これよ」

「またそれぇ? 昔のローマ人が書いたとか言う……」

「そうよ、1400年前のローマ人が書いた恋愛指南書……これのお陰で私は様々な約得にありつけているのよ。ローマ人は偉大だわ……」


 貴族にあっても文盲の者はそこそこ居るが、幸いにして私は父上から英才教育と言って良いほどの教育を受けていた。文字はもちろん、ラテン語も読める。……結果、ルネサンスが叫ばれる昨今、次々と「再発見」されるラテン文学を楽しむことが出来た。まあ父上も、恋愛指南書を読むためにラテン語を使われるとは思っていなかろうが。その点だけは心が痛むなあ。


「流石に変態女騎士に使われるとはローマ人も思ってなかったんじゃないですかね??」

「そっちかよ。……とにかく、師匠マイスターオウィディウス曰く……」

「そんな恋愛術の著者に師匠マイスターなんて使わないで下さいよ、剣の師匠マイスターが泣きますよ?」

「うるさいな、あの爺さんは私に武力は与えてくれたけど、エリシア様とねんごろになる術は教えてくれなかったんだよ! 重要度で言ったら下でしょ!」

「マジで泣きますよあの爺さん……それで? どうやって足首拝みながら頭撫でられたんです?」

「"スカートが地面についてますよ" とスカートの裾を持ち上げる。そうすれば女の無言の同意のもと、足首が拝める……そう師匠マイスターは書いているわ。これを実行しただけ」

「奉仕装ったセクハラじゃないですか。ローマ人ってスケベだったんですね……」


 ミーナは引いているが、ローマ人に限らず人間誰しもスケベだと思うのだけどなぁ。聖書にだって姦淫犯すべからずと書いてある。そんなことを態々書くくらいなのだから、人間にはスケベな奴が多いということだろう。私だってその御多分に漏れない。ミーナだって絶対そうだ。


「そうは言っても、私ら騎士が姫のおみ足拝むには有効な手でしょ。他に方法無いもん。あーあ、侍女どもが羨ましい」

「それでセクハラ肯定するのは大分ヤバいと思いますよ」

「うるさいな、こちとら姫の夜警のたびに一緒にベッドに潜り込みたい欲求我慢してるんだよ! 視線のセクハラくらい良いだろ!」

「まーじで姉さんが男じゃなくて良かったなと思ってますよ。男だったら絶対、性犯罪やってるでしょ」

「言いたい放題だなぁお前!」


 ベッドから降りて、ミーナを捕まえる。私は騎士として訓練されているが、ミーナはそうではない。捕まえて羽交い締めにすることなど、こういったじゃれ合いでなくても容易いことだ――――それにしても、ミーナは簡単に捕まってくれた。ほぼ無抵抗と言ってよい。いつもなら少しは抵抗するのにな、と心配になる。


「……どうした? 具合でも悪いか?」

「いえ。……姉さんは姫様が結婚したら、彼女についていくんだよね」

「そう決めてるけど」

「領主、なりたくないの? 小さな村でもさ、治めちゃえば地位だって上がるよ。女騎士だってバカにする人もきっと減るよ」


 私のような無領地の宮廷騎士と領主騎士とでは、後者の方が格が高いとされる。領地を、領民を治める――――即ち多数の人を従え、その生命に責任を持つ者こそが真の貴族である。そういう考えだ。


 少女騎士団の構成員は全員、宮廷騎士だ。女で、宮廷騎士。ナメられる要素てんこ盛りなのだ。


「もちろんアタシも従士長として統治に力を貸すよ。……ねえ、そうしない? だって姫様についていったら」

「まあせいぜい、向こうの宮廷の侍従か侍女を何人かつけてもらえる程度だろうね。結局宮廷騎士で、ナメられることに変わりはない」

「それに結婚だって出来ないよ。外国人の、しかも女騎士だよ? 尚武のケが強いライプツィヒじゃ女騎士なんてモテないよ。女は支配されて当然と思ってるよあいつら」

「だろうね。……でもさ、それはどうでも良いんだ私は。第一に私が愛しているのはエリシア様だけだし、第二に結婚なんて嫌……軟弱な男のチンコ咥えたくないもん」

「言い方ァ!」

「とにかく、私はエリシア様と一緒に居られればそれで幸せなんだよ。……いや正直、ついてきてくれるミーネには悪いと思ってるよ。私が領主騎士になった方が、お前の下につけてやれる人員は絶対多いしな」


 私の従者はミーネただ一人で、その下につく人員は今のところ居ない。私がエリシア様にひっついてライプツィヒの宮廷に行ったとして、せいぜい一人か二人しか部下をつけてもらえないだろう。領主騎士になれば、村から選抜した人員を幾人もつけてやれるのに。私の選択ではミーネに栄達も、大きな権限も与えてやることが出来ないのだ。


 ゆえに「悪いと思ってる」と言ったのだが。ミーネはしばらく無言であった。羽交い締めにしている手前、表情も見えない。ただ接触している彼女の背中の温度が、少しだけ下がったような気がして不安になる。


「……ミーネ?」

「わかってますよ、姉さん。ちょっと聞いてみただけです。アタシは姉さんがそういう人だって理解した上で、ついていくんです」

「そ、そっか。……ありがとう」


 彼女は無言で頷いた。……なんだろうな、お互いに腹を割って話せる間柄だと思うのだが、たまにミーネが本音を言ってくれていない気がする時があるんだよな。


 問いただそうかと思ったが、エリシア様のお供をする時間も近いこともあり、断念した。しばらく、静かな時間が流れた。

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