♥第4話

 私、エリシアはアリーセの護衛を伴って父上の前に立っていた。婚約者との顔合わせの日取りが決まったのだという。父上は白いものが混じり始めた顎髭を揉みながら、私を見て言う。


「ハインリヒくんだが、一週間後にこの城に来ることになったよ」

「随分と急ですね」


 ハインリヒ。ライプツィヒ選定侯が長子、ハインリヒ・フォン・ゲルリッツ。それが私の婚約者の名前だ。通常、貴族の会合というものは少なくとも三ヶ月は前から決めておくものだ。一週間後というのはあまりにも早すぎる。


「なんでも南方に甲冑を新調しにいく帰りだとかでね、帰路をちょっと変えればこの城に寄れるということらしい」

「なるほど。……甲冑、ですか」

「うむ。彼はもう25歳だ、とうの昔に父君に実戦用甲冑フィールドアーマーは買い与えられているが……今回は儀礼用甲冑パレードアーマーを作ってもらうようだ。お前との結婚式に合わせてな」

「選定侯閣下は景気がよろしいようで」


 ライプツィヒは強兵を抱えているが、そこまで経済的に裕福なわけではない。見栄のために儀礼用甲冑パレードアーマーを作るのは珍しいことではないが、「いま儀礼用甲冑パレードアーマー作ってもらう帰りなんで!」とを注文出来るほど裕福なわけではない。


 であれば、カネの出処はどこか――――私がライプツィヒ選定侯家に持っていく、結婚持参金をアテにして借金をしたのだろう。


「扱いやすくて良いことだ。国内インフラに投資されて、さらに軍事強国になられるよりは遥かにマシだ」

「かといって浪費されて、いざという時の援軍のアテにならないのも困るのでは?」

「まあな。だが結婚と相成れば、その辺りの塩梅を操縦するのはお前なのだぞ、エリシア」

「わかっております」


 私は大貴族の娘として、領地経営にかかる全てのことを教育されている。夫の出征中に領地を切り盛りするためであり、夫が無能な場合にそれを補佐……もとい傀儡化するためだ。


 父上は頷くと、大テーブルに広げた地図――――大山脈を指差しながら口元を震わせた。その大山脈の中にある小さな城が、私たち公爵家の発祥の地だ。私は行ったことも無いが。


「山の蛮人に過ぎなかった我らが、ついに。ついに選定候どもを操り、皇帝の座を狙えるまで成長したのだ」


 公爵家が属する「帝国」では、皇帝は選定侯によって選出される。父上は今、その座を狙って選定侯たちを買収して回っている最中であり――――私と、私が抱えていく持参金がそのための賄賂の一つだ。


 父上は一族の歴史を語る。


「農地に適さなかった山は、技術発展によって燃料と動力の宝庫となった」


 山の木々は木炭の材料となり、木炭は炉の燃料となった。山から湧き出る水は川となり水車を回し、水力ハンマーが炉で熱された鉄を叩くようになった。そうして製造された工業製品は、これまた川を利用して各地に流され、公爵領に富をもたらした。


「富を元手に辺境を征服して領地を広げた。そして征服した蛮地の民を傭兵として使い、農業と経済の要衝をおさえた」


 最初から農業と経済の要衝――――誰しもが狙う場所をおさえるのではなく、公爵家の祖先は辺境に手を伸ばした。辺境の地は貧しく、それでいてその土地の戦士はやたらと強力で、征服するメリットはない――――誰もがそう思った。だが実際は、、強力な傭兵の策源地になるのであった。そして公爵家は、彼らを手懐けた。


 その武力を以てやっと、農業と経済の要衝に手を出した。誰もが奪い返そうとした、だが出来なかった。それほどまでに公爵家は強くなっていた。


「そして今、我が所領から流れ込んでくる富は、選定侯たちを買収して余りあるほどになった! ついに、ついに! 祖先が数百年かけて築き上げたものが、帝冠の形を成そうとしているのだ!」


 今の公爵家に足りないものといえば、権威と権力くらいのものだ。そして今、それはあと一歩で父上の手の届く範囲にある。


「頼んだぞエリシア、我が愛しき娘よ。何としてもライプツィヒ選定侯を繋ぎ止め、わしに帝冠をもたらしてくれ」


 少女騎士団なる気狂いなものを作り、私を警護させるくらいだ。私への愛情は本物なのだろう。だがそんな愛娘を、自らの帝冠のために売り渡そうとしているのも事実――――いや、これは悪意のある解釈か。


 なら私は結婚しない人生が良いか? ――――否。独身のまま行き遅れと陰口を叩かれ続けるのも、かといって修道院に入るのも嫌だ。まともな幸せを掴むには、結婚しかない――――そして父上は、選定侯という最高に近い嫁ぎ先を見つけてくれたのだ。むしろ感謝しなければならない。


「はい。必ず、ハインリヒ様のお心を射止めてみせます」


 そうだ。この僅かに芽生えた反抗心は、ライプツィヒが野蛮だの粗野だのといった噂に臆した、私の弱い心が生み出した悪魔の仕業だ。克己こっきしなければならない。そう決意を新たに返事すると、父上は満足げに頷いた。そして私の後ろに控えるアリーセを見た。


「ああ、ところで。ヘルブラ卿の従士どもが先程、君を出せと陳情に来たよ」

「私を?」

「うむ。ようは領主をブチ殺されたことについて、謝罪と賠償をしろということだろう」


 ヘルブラ卿の領民たちにしてみれば、女騎士に領主を殺されたとあっては村の面子が立たぬということだろう――――少なくとも彼らがそう考える程度には、ヘルブラ卿は領民から慕われていたことになる。嫌味な男だと思っていたが、わからないものだ。


 アリーセは父上に問う。


「正式な決闘の上でのことですし、謝罪も賠償も拒否するつもりですが。公爵閣下はどうお考えで?」

「その考えを支持する。だがまあ、奴らが引き下がれない事情も理解する。私のほうで仲裁を引き受けよう。が落としどころだろうな」

「恐れ入ります」


 カネの交換。ようはお互いに「私は悪くないが、賠償金だけは支払うよ」と賠償金を支払い合う行為だ。お互いに面子が大事なので絶対に謝罪はしないが、賠償金を支払い合った事実だけを積み上げ、「カネは払ったんだからこの話はこれで終わり!」と矛を収める口実を作るのだ。


 今回の件は明らかに喧嘩を売ったヘルブラ卿が悪く、アリーセは被害者だと思うのであるが。しかしそれで納得すると不都合なように、この世界は出来ているのだ。アリーセのような騎士も大変だし、ヘルブラ卿の領民も、仲裁しなければならない父上も大変だ。……私も、やはり我儘ばかり言っていられない。


「まあ、無いとは思うが……仲裁が成るまでは奴らを刺激しないようにな」

「勿論です、閣下」


 アリーセが頭を下げると、父上は頷いた。……私たちへの話は、それで終わった。

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