第22話 計画
「ふむ……インテルフィン教団が確保したか。」
「代表代理、このままで良いのですか?コードVの被験体が奴等の手に渡ったままで。」
シロキは、自分が所有するいくつかのマンションのうちの一室にいた。首都に持っている低層の富裕層向けマンションと比べれば建材のグレードやセキュリティは落ちるものの、この地方都市ではそこそこの高級マンションだ。上質な皮と美しく磨き上げられた金属で作られたソファに座りながら、向かいに座る心配そうな表情の部下に、シロキは無表情で答えた。
「生きたサンプルだけあっても、先に進めないさ、彼らだけでは。情報が足りない。それは私達も一緒だが。」
「というと?」
「インテルフィン教団が目指す物、ORCAシステムの先についてだよ。コードVの解除条件も、そこに答えがあるのだろう。コードVの実在は確かめられた、浦幌御影の事例によって。このまま『インテルフィン配列』の実験を繰り返せば、答えに辿り着けるだろう、いつかは。でも、情報源が動き回っているこの状況は、ショートカットのチャンスかもしれない。」
「『ハルポクラテス委員会』ですか。」
「彼らと取引しよう。考えがある。また、浦幌御影に役立ってもらう。」
「餌にするということですね。」
「彼が私の贈り物を使ってくれれば、その時がチャンスだ。しかし、都合良く情報が分断されて、伝わったものだね。まるでゲーム……なんらかの意図すら感じるよ。いや、まさか――」
「どうしたんですか?」
「いや、なんでもない。とにかく、任せてくれ。」
◆ ◆
僕はベットで目を覚ました。傍では、ウィリーが椅子に座って暇そうにしている。
屋敷の地下での軟禁状態は、10日目に突入していた。
一夜の脱走から戻った僕たちは、すぐに軍用ポッドのイルカたちに取り囲まれ、銃を突きつけられながら地下の部屋へと戻された。だが僕の「検査」は行われていない。というのも、脱走の翌日から僕は熱を出し、寝込んでいたのだ。
「……ウィリー。」
「あ、先輩、起きたんですね。おはようございます。」
「もう熱はなさそうだよ。インフルエンザかな?」
僕は自分の額に手を当てながら、まだ少し重い上半身を起こした。
「インフルエンザ?もう根絶された感染症ですかね?でもきっと、逆にこの時代の新しい菌とかウィルスに免疫がなかったんですよ。」
「ワクチンは打った、って言ってたんけどな……」
「でも、あの鹿追って医者は信用できませんよ。」
ベッドに横になりながらこうして会話をしていると、冷凍睡眠前の入院中の日常を思い出し、懐かしさを感じた。一応、室米たちインテルフィン教団にとってまだ僕は価値のあるサンプルであるらしく、きちんと治療され、こうしてベッドで療養もできていた。
そんな話をしていると、ノックの音に続いてかちゃりと扉が開いた。
「総回診です。」
入ってきたのは白衣を着たユリネだ。ユリネには医療方面の知識もあるらしく、僕の治療をしてくれていた。サンプルの状態を保つのも実験のうち、ということなのだろうか。
「ああ、ユリネ、だいぶ良くなったよ。」
「よかった、です。」
「ユリネちゃん、気になってたんだけど、入ってくる時に言ってる『総回診』って何?」
「患者を診察する時は、そう言って現れるものだと聞いた。」
「そう、そうなんだね……」
「また、何か間違って伝わっている気がするな。」
僕達が屋敷から逃げて、また戻ってきた時も、ユリネは特に僕達を咎めることはなかった。今も、淡々と、僕に繋がれたモニターを見て手に持ったファイルに何かを書き込んでいる。
「もう大丈夫。だけど、数日は安静にして。」
「ああ、ありがとう。」
「……」
昨日までは僕の診察が終わったらすぐに出ていったユリネだったが、今日は何か言いたそうに、もじもじと目を泳がせている。なんだろうかと僕とウィリーが待っていると、ユリネは白衣のポケットからリンゴとナイフを取り出した。
「食べる?」
「……え?」
思わず僕とウィリーは顔を見合わせる。ユリネはというと、僕らの反応に不安そうな顔になっていた。
「あ、ありがとう。もらうよ。」
ユリネは無言で頷き、近くの椅子を持ってきて座って、リンゴを剥き始めた。
「へぇ、ユリネちゃん、リンゴ剥けるの?」
「刃物の扱いは得意。」
ずいぶん大きなナイフで器用にリンゴの皮を剥くユリネ。ウィリーは僕に顔を近づけ、小声で囁いた。
「どういうつもりでしょうね?」
「さあ?」
ユリネは剥き終わったリンゴを切り、皿に乗せて僕に差し出した。
「はい。」
「ありがとう。」
恐る恐る手にとって食べたリンゴはとても甘かった。
「ユリネちゃん、今日はどうしたの?」
「……少し話をしたくて。」
「話?」
「エコーロケーションを使うと、自分の位置もバレるから気をつけた方が良い。周りがうるさい時なら大丈夫。」
「えっ?」
「今日はもう行く。」
そう言うとユリネはすくっと立ち上がり、少しサイズの合っていない白衣を裾を翻しながら部屋を出ていった。
「なんだったんだろう?」
「もしかして逃げる時の忠告、ですかね?」
次の日から、僕とウィリーは別々の部屋に移された。逃げづらくするためだろう。脱走の翌日からそうする予定だったようだが、僕の体調が落ち着くのを待っていたようだ。こうして僕は久しぶりに一人になった。
◆ ◆
軟禁11日目、御影と部屋を分けられたウィリーは、感情を持て余しながら、部屋の中を行ったり来たりしていた。
2人で逃げたあの日の夜、御影の過去をウィリーは聞いた。あの日以降、身体面はともかく、精神面では御影は多少落ち着きを取り戻したように見えた。
だがもう一歩、必要だ。ウィリーは、御影が熱でうなされている時に紗由の名を呼ぶのを聞いた。御影はまだ過去――自分の知っている時代への未練――から逃れられていないのだ。
一方、ウィリーには迷いはなかった。後見人の知性イルカだから、ではなく、対等な存在として、力になりたい。それが自らの存在意義の再定義なのか、もっと個人的な感情から来るものなのかは、自分でもわからなかったけれども。
とはいえ、何か策があるわけではない。警備は強化され、先日のような強引な脱出が成功することはないだろう——
部屋の扉をノックする音で、ウィリーの思考は中断された。ウィリーが訝しげに見つめていると、扉がゆっくり開き、ユリネが現れた。アルの秘密基地にいた時と同じセーラー服に作業服という装いだった。ウィリーは消していたアバターを急いで表示させ、少女の姿を纏った。
「こんにちは。」
「ユリネちゃん……どうしたの?」
インテルフィン教団にとって、ウィリーは御影を確保したら付いてきたオマケくらいのはずであり、用事はないはずだ。生かしておく理由も本当はないくらいだ。ユリネは、無言で部屋へと入ってきた。
「ええと……」
扉を後ろ手で閉めるユリネは目が泳いでいる。キョロキョロと部屋の中を見回し、そこにウィリーしかいないことを確認するようなそぶりを見せてから、口を開いた。
「相談がある。2人を救いたい。」
ユリネは、恐る恐る喋り始めた。
インテルフィン教団の目的は、ORCAシステムのレイヤー1の先にあると言われる超特異点AIへのアクセス。
だが、御影がレイヤー2以下の能力を使うには、管理者タイプのユーザーインターフェースのデータが必要だった。御影をつけ狙っている旭という男ならそのデータを持っているはずだったが、こちらから接触するのは大きな危険が伴う。
しかし、いつまでもこの状況なら、室米は御影とウィリーを処分する——つまり命を奪う——つもりである。しかも先日の脱走のせいで、そのタイムリミットはより近づいた、ということだった。
「うーん、やっぱりそうか。時間はあまりない、ってことだね。」
「そう、やばい。」
「でも、それを私に話したのはなんで?私達を救いたいってのは?」
ユリネは一瞬口籠り、周りを見回してから少しボリュームを落とし、話を続けた。
「仮想世界で御影さんを
「えっ、結局、また先輩を利用するってこと?」
ウィリーの声のトーンが少し変わったことに、ユリネは慌てた。
「ええと、違う……レイヤー1が使えるようになれば、IDが偽装出来る。屋敷の外に逃げても大丈夫、になる。私が、旭のデータを使ってレイヤー1まで使えるようにした後、逃げるのを手伝う。」
「私にまた先輩を連れて逃げてほしいってことか……ちょっと待って、それってユリネちゃんが裏切るってじゃない?」
ユリネは無言で頷いた。
「なんで?お父様、なんでしょ、あの室米は。」
「そう、だけど……」
ユリネは俯いて言った。
「あなた達には生きてほしい、と思った、から。」
「……」
「良い人が死ぬのはもう嫌、なんです。」
ユリネは不安そうにウィリーを見上げている。その目は少し潤んでいた。
「わかった!やろう。でも条件がある。」
「な、何ですか?」
「ユリネちゃんも一緒に逃げよう。」
ウィリーはユリネの肩にそっと手を置いた。
「こんな所にいちゃダメだよ。一緒に行こう。」
「一緒に……」
ユリネはウィリーの顔を見つめてから、ゆっくりと頷いた。
「よし。でも、勝てるかな?旭ってヤツ、今度は準備してくるよね。前みたいには行かないよ。」
「ORCAシステムの
「なるほど。うーん、でも先輩が戦えるかどうか……」
ウィリーは腕を組んで唸った。ユリネがORCAシステム管理局のバーチャルオフィスで見せたようなレイヤー4の使い方自体は、屋敷に来てからの実験で教わったと、御影は言っていた。だが、御影はケンカをするような性格には見えないし、何より――
「先輩が過去に囚われているうちは、ダメかも。」
「過去?」
ユリネに話していいものか、ウィリーは一瞬迷ったものの、決断は早かった。
「先輩が冷凍睡眠される前のガールフレンドで、紗由さんと言う人がいたんだって。先輩はその人に会いたがっている。」
「その人、生きてる?」
「わからない。でもその人に会うか何かしないと、先輩はいつまでも前が向けない気がするんだよね。」
「調べれば、わかるかも。任せて。」
◆ ◆
軟禁12日目、突然部屋の扉が開き、ウィリーとユリネが現れた。
「先輩、落ち着いて聞いてください。これから紗由さんの遺言を聞きに行きますよ!」
何が起きたかわからない僕の顔を、ウィリーとユリネは真剣な目で真っ直ぐに見つめる。
「いいですか、紗由さんは、もう亡くなっていました。」
「はぁ?な……なんだよ、突然……本当なの?」
「ユリネちゃんが調べました。この時代には、特定の人に向けて生前にメッセージを残す人のために、仮想世界の中に『メモリアルデータベース』と言うのがあるんです。登録した人が亡くなったら、有効になります。それで……そこに
事実を知る時は、意外とあっさりとしたものだ。不思議と、僕は悲しくはなかった。80年だ。もう同じ世界に生きていないのだと、頭の中どこかでわかってはいたんだ。
「そう……そうか。もう、紗由はいないんだな。」
僕は天井を見て、フーッと大きく息を吐き出した。
「それで、遺言って?」
「メモリアルデータベースのメッセージは、登録者が指定した人だけが見ることが出来ます。紗由さんは、先輩宛にメッセージを残していたんです。」
「なんだって……!」
僕は、身を乗り出した。
「先輩、今から作戦内容を説明します。」
作戦はこうだ。
仮想世界にログインし、メモリアルデータベースに行って、紗由のメッセージにアクセス。僕は紗由の遺言を聞く。ここで僕のIDを読み込めば、おそらく旭がそれを知って僕のところに来る。
3人で旭を迎え撃つ。僕の権限の方が上位なのを活かして、旭に対抗する。スキを見て旭に触れ、IDデータを取得。IDからユリネが個人データをハッキングし、管理者タイプのユーザーインターフェースのデータを奪って、脱出。
ユリネが旭のデータをもとに僕のユーザーインターフェースを改造、レイヤー1まで使えるようにしてから屋敷を脱出する。逃走のための撹乱はユリネが行う。
内容をウィリーとユリネから聞いた僕は唸った。
「うーん、うまくいくかな。それに別にメモリアルデータベースに行く必要はないんじゃ……」
「先輩、でも、メッセージ聞きたいでしょ。」
「まあ、そうだけど。そのためにウィリー達を危険な目に会わせるのは……」
どうしても頭に浮かぶのは、アルの死だった。僕が勝手なことをして、巻き込んだんだ。
「いいんです!私が先輩にそうして欲しいんです!」
ウィリーは僕の手を握って言った。
「過去を受け止めてください。今はイルカが喋る世界なんです。この世界で、幸せになりましょう!」
「ウィリー……」
僕らの様子に、なんだか気まずそうにしていたユリネがおずおずと口を開いた。
「レイヤー1まで使えれば、IDを変えて別人として逃げられる。でも、紗由さんのメッセージは御影さんのIDじゃないと聞けない。今しかない。」
「なるほどね。うん……わかったよ。」
僕は、願いであり、そして一種の呪いでもあった言葉に、決着を付けに行く時が来たのだと感じた。
僕とウィリーの仮想空間へのアクセスは室米により制限されていたが、ユリネの手にかかれば制限は簡単に外すことができた。ユリネがこっそり持ち込んだ接続用の補助デバイスを頭に付け、準備をしながら、僕は緊張していた。当然、これから旭と戦わないといけない事や、それがうまく行った後に待っている逃亡劇に対する緊張もあった。だが、
――紗由のメッセージを、果たして僕は受け止められるのか?
そのことが一番の大きな心配だった。気持ちを紛らわせるために、僕はユリネに話しかけた。
「ユリネはなんで、インテルフィン教団を裏切ることにしたんだ?」
「よくわからない。でも、このままは嫌だと、思った。」
そういうユリネの目を見ながら、アルから聞いた室米とユリネの話を思い出す。人形に紛れていたユリネ。道具のように貸し出されたユリネ。
「信用出来ない?」
不安そうに尋ねるユリネ。
「いや、そんなことないよ。きっと、アルは良いやつだったんだな。もう少し、僕も話したかったな。」
「あいつは確かに良いやつだけど、変なやつでしたよ。ユリネちゃんにおかしなこといっぱい教えてるし。」
ウィリーが呆れたような口調で言った。
「はは、僕は個性的で良いと思う、けど。」
「ここを出たら、可愛い服を買いに行こうね。」
ウィリーの言葉に、ユリネは静かに笑った。
「じゃあ、早く終わらせる。」
メモリアルデータベースは、仮想世界の小高い丘の上にあった。その外観は石造りの教会のような建物の姿として作られている。学校の体育館ほどの大きな建物が丘の上に佇み、その周りを色とりどりの花たちが取り囲んでいた。その花畑の間を縫うように、建物に一本の道が通じている。周囲には、メモリアルデータベースで故人を偲ぶために訪れているであろう人たちが、ポツポツとまばらに見えた。
仮想世界にログインした僕たち3人は、丘の上の建物を目指した。僕は、シロキさんからもらった女性型アバターをホビーアバターに変換したものを纏っていた。この姿を旭は病院で直接見ているから、誘き寄せるのには好都合だと思ったのだ。女子3人の姿で花畑の中を歩いている僕達は、側から見れば随分と和やかなものだったろう。
だが、その和やかな雰囲気はすぐに終わりを告げた。建物に向かう道を歩いていた僕が異変に気がついた時、すでにユリネは背中の刀に手をかけ、臨戦体制を取っていた。今まで周囲にいた人影が消えている。レイヤー2権限による、強制ログアウトだ。
「まさか、まだIDは提示してないのに!」
狼狽えるウィリー。僕達の行く手を遮るように光の円柱が出現し、その中から2人の人影が姿を現した。
「お前は……!」
その2人とも、僕には見覚えがあった。1人は旭、そしてもう1人は――
「副局長!」
ウィリーの叫びを聞いたORCAシステム管理局副局長、ウィルターヴェは落ち着き払って答えた。
「ウィリェシアヴィシウスェ君、実に残念だよ。君は優秀な職員だった。」
「浦幌御影、今度は逃さねぇぞ。」
「そんな、2人だって?」
思わず口にした僕の言葉を嘲笑うかのように、旭がこちらを指差して言った。
「1対3のつもりだったのか?やっぱり、悪人は考えることが卑怯だな!」
早速、計画は狂ってしまった。
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