第21話 一夜の逃避行

 軟禁8日目、ユリネの過去を聞いた翌日だった。

 その日の検査から僕が帰ってくると、ウィリーは思いつめた顔をしていた。昨日のやり取り以降、なんだか気まずくなっていた僕らは、無言でテーブルを挟んで向かい合い、座っていた。しばらくして、ウィリーが口を開いた。

「先輩、ここを脱出します。一緒に来てください。」

 その口調は昨日と違い、僕への提案ではない。それでも、僕の答えは昨日と変わらない。

「無理だよ。」 

 ウィリーは引き下がらなかった。

「無理でもやるんです!先輩がやりたくなくても、私が引っ張っていきます。」

「な……なんでだよ。逃げるならウィリーだけ逃げればいいだろ。」

「そういう訳にはいかないです。私は、先輩の後見人なんですから。任せてください。」

 ウィリーは疲れた顔で、無理に笑った。だが、僕は笑えなかった。

「なんだよ、それ……」

「今夜、逃げますよ。もうすぐユリネちゃんが食事を運んでくるので、その時に強行突破します!」

 綺麗な少女の姿で、随分強引な作戦を立てるものだと思った。

「本当はユリネちゃんを説得したいところですけど、無理そうですから、二人で逃げます。ユリネちゃんとはここでお別れです。」

 僕は気が進まなかった。成功する気がしなかったし、逃げてもどうせ行く場所はない。誰かに殺されるまでの時間がが少し伸びるか、逆に縮まるか――そのどちらかだ。だが、ウィリーは僕を置いておくつもりは無いらしく、僕が拒否しても本当に引きづって行きそうな勢いだった。

「はぁ、もう、好きにしてくれ。ウィリーについていくよ。」

「先輩……私に任せてください。」

 ウィリーは安堵した顔で、少しだけさっきより自然に笑った。

 その時、扉が開き、いつものようにユリネがやってきた。

「食事、です。」

 僕らは、いつものように部屋の椅子に座りながら、ちらりとユリネの方を見る。ユリネは無言でテーブルにトレイを置こうと、部屋に入ってきた。

「先輩、今です!」

 ウィリーの合図で、僕らはユリネの横を扉まで走り抜ける。後ろを見ると、驚きで目を見開いたユリネと一瞬目が合った。

「廊下には誰もいません、階段まで走ってください!」

 銀色の髪を揺らしながら走るウィリーの後ろを、僕は必死についていく。ユリネが追ってくる気配はなさそうだった。一階へと通じる階段の下で止まったウィリーは、人差し指を口の前に持ってきて、小声でささやいた。

「上に一人います。もう少しで通り過ぎるので、ここで待っていてください。先輩は出来るだけ私とくっついて。」

 音波を使ったエコーロケーションで、階段の上の様子を探ったらしい。ウィリーは僕にぴったりと身を寄せて来た。アバターの下の、固いポッドの感触が伝わってくる。僕は息を整えながら、小声で尋ねる。

「な、なんで?」

「相手もイルカですから同じことが出来ます。一人分だと思わせれば、ユリネちゃんだと誤認するはずです。」

「なるほど……」

 思ったより考えてたのか、と思ったその時、屋敷内に警報が鳴り響いた。

「まずい!」

「ユリネが通報したのか?」

 階段の上が騒がしくなる。

「強行突破します!」

「ええ、結局そうなるの……」

 ウィリーは有無を言わさず、僕の手を掴んで走り出す。ウィリーに引っ張られながら階段を駆けあがり、一階にたどりついた。屋敷内の電灯はロウソク風のLED照明になっていて、天井の高い廊下をオレンジ色の灯りがぼんやり照らしていた。廊下の脇に置かれた小さな台の上に3体の人形が行儀よく座らされており、そのガラスの目がじっとこちらを見ているような気がして、ドキリとした。

「うわ、暗いな。」

「私なら音でわかります。ちょっと警報の音がうるさくてけど。一気に駆け抜けましょう。戦っても勝てないですから。」

 そう言うとウィリーは、ポッドの全然柔らかくない手で僕の腕を掴んで走り出した。のろのろしていると腕を引きちぎられるのではないかと、僕は必死についていく。廊下ですれ違ったイルカが僕らに気がついたが、図体の大きい軍用ポッドでは室内は動きにくいらしく、高そうな調度品や人形達に気を使って慎重な様子で追いかけてきた。

「よし、これで!」

 ウィリーは廊下の曲がり角にあった大きな飾り棚を躊躇なく蹴り倒した。美しい木目と磨き上げられたガラスで作られた棚の中には、当然のように綺麗な人形たちが飾られていたが、ガラスと共に無残に廊下に散らばった。後ろから室米の部下たちの悲鳴のような声がした。

「ああ!あいつら、なんてことを!」

「さあ、先輩、出口はもうすぐです。」

 再び駆け出した僕らの背中越しに、イルカ達の悲痛な叫びが聞こえる。

「おい、絶対に人形を踏むなよ!室米さんに殺される……」

「逃げられるぞ!」

「おい、足元に一体あるぞ!その足を降ろすな!」

 罪のない人形達が無事である事を願う。

 ぶつかるように玄関の扉を開けたウィリーに引っ張られ、僕は屋敷から逃げ出した。


                 ◆ ◆


 僕の予想に反して、ウィリーの脱走作戦は成功した。久しぶりの外の空気。春の夜の空気が程よい冷たさで疲れた肺を満たす。郊外の高台に位置していた室米の屋敷から坂を駆け降り、光り輝く街へと僕らは駆け込んだ。街の中心部からは離れた場所にも関わらず、僕の目には痛いほどの明るさだった。

 街の雑踏に紛れた僕達は、街の人達の流れに合わせて徐々に速度を落とした。

「はぁ、お腹が空きましたねぇ。」

 全く息を荒げていないウィリーが呑気に言った。僕はといえば、怪しまれないようにできるだけ穏やかに酸素を求めて喘いでいるところで、答える余裕はなかった。

「まあ、夕飯食べる前に逃げたから当たり前ですかね。」

 僕に構わず続けるウィリーの顔は、どこか誇らしげだった。

「はぁ、はぁ……よくそんなに呑気にしてられるな」

「変に警戒している方が目立ちますよ。」

「それは、そうかもしれないけど。」

 そこで、僕はウィリーの姿がぼんやりと光っている事に気がついた。周囲を見ると、道ゆく人々も、老若男女問わず同じように光っている。例外はアバターを纏わずに逃げてきた僕だけだった。キョロキョロする僕を見て、ウィリーが小さく笑う。

「ふふ。防犯とか、事故防止のために公共アバターって光るんですよ。先輩だけ光ってないから、逆に目立ってますよ。」

 この時代の日常をろくに経験せずに非日常に叩き込まれた僕にとって、久しぶりに感じる時代のギャップだった。そういえば、公共の場でアバターを纏っていないと裸同然なのだった、この時代では。

「じゃあこれで良いかな。」

 僕はアルと出かけた時の、パンチパーマでアロハシャツ、サングラスのアバターを表示させる。そういえばこのサングラスはアルがくれたのだ。遺品になってしまった。

「うーん、やっぱり別な意味で浮いてるかも。先輩、病院で女の人の格好してたじゃないですか?あれにしたら良いのでは?」

「あれはあれで目立つんだよ。それに……なんか恥ずかしい。」

「ふーん。そのうち落ち着いたら見せてくださいね。シロキさんの作品でしょ?人間中心主義者だろうと、表のデザイナーとしての才能は本物なんですから。」

「そうだね、落ち着いたらね。」

 1人だけ光らないことで目立つことは無くなったが、どうしても人目を集めている気がしてしまう。

「あっ、先輩、大変です!」

 突然、ウィリーがハッと口を手に当てて立ち止まった。

「えっ、何?!追手?」

 僕が緊張して辺りを見回すと、ウィリーは神妙な顔で言った。

「よく考えたら、ID決済すると場所がバレるから、何も買えません!何も食べられません……」

「ええ、そんなこと?」

「いやいや、先輩はずっと寝ていた99歳だから知らないでしょうけど、この時代でID決済を使えないと本当に何も買えないんですよ。飢え死にです!」

「そうなの?どうするの?」

「……どうしましょうね?」

 あっけらかんと言うウィリーに、僕は返す言葉がなかった。引っ張られて脱出できた手前、文句を言う筋合いもないのだが、こんなに短絡的な行動をするやつだったかなと、思った。

 だが、僕はウィリーの何を知っているのだろうか?

 何を知っていたつもりだったのだろうか?

「何も食べられないなら、人混みで目立っている理由はないですね。街を抜けましょう。はぁ、お腹空いたなぁ。」

 ウィリーは小さなお腹を両手で押さえて言った。

「食べ終わった食器を回収する時に逃げればよかったね。」

 ウィリーは僕のその言葉に、心底悔しそうな顔をした。


 光る人々が行き交う街を抜け、僕達は河川敷にやってきた。日中はサイクリングロードとして使われている細い舗装された道が、川沿いに続いている。辺りには誰もおらず、穏やかな川の流れと虫の声、そして夜の闇を、僕達は独占していた。

 暗闇の中で薄く光る、銀色の髪に白いワンピースのウィリーを、僕はまるで月のようだと思った。無言で10分ほど歩いただろうか。口を開いたのはウィリーだった。

「先輩は、知性イルカの事をどう思いますか?」

「えっ、どうって……?」

 予想外の質問に僕は考え込んでしまう。それは、ウィリーをどう思うか、という事なのか。いや、それよりも大きな範囲で聞いているのだろう。

「最初は……意味がわからなかったよ。正直、不気味だと、思った。僕の知らない世界に来てしまった、帰りたいと思ったよ。」

「そう、ですか。そうですよね。」

「でも、色々巻き込まれて、この時代の人やイルカに、そんなに多くはないけど会って……そうだな。うまく言えないけど。」

「はい。」

 僕はその答えを考えながら喋った。事前に用意していたものではなかったし、今まで考えたことのなかったことだったから、自分の口から出た言葉に、自分でも少し驚いた。

「人間と変わらないんじゃないかな。やりたいことがあって、生きて、考えて、死んでいくなら、一緒だよ、きっと。」

「一緒、ですか。」

 変な事を言ってしまった気がして、僕はウィリーの顔を覗き込んだ。目があったウィリーは咄嗟に顔を逸らしてしまい、僕はその表情を見られなかった。

「私は、昔から、知性イルカは人間よりも優れているんだ、って言われてきました。だから、知性イルカが人間を導いてあげなきゃいけないって、そう思ってたんです。」

「うん。」

「でも、本当は人間とそんなに知能は変わらないんだって聞いて、わからなくなったんです。自分達はなんなんだろうって。インテルフィンの劣化コピーだって言われて、なんでそんなモノがいるんだろうって。」

「……」

「でもなんだか、少し楽にもなったんです。そんなに無理しなくても良いんだなって。だって、人間とそんなに変わらないなら、なんでもスマートにやる必要もないし。」

「えっ、そんな事考えてたの?」

「先輩は99歳のおじいちゃんだから知らないでしょうけど、この時代ではイルカの方がしっかりしているのが常識なんです!」

「ふーん。」

 僕は顔を上げて月を見上げた。空は雲ひとつなく、綺麗な月だった。またしばらく沈黙が続いた。

「先輩のやりたいことってなんですか?」

 沈黙を破ったのはまたウィリーの問いだった。

「えっ?」

「やりたいことがあって、生きているなら、イルカも人も一緒って言ったじゃないですか?先輩のやりたいことってなんですか?」

「そうだなぁ……」


 ――未来で幸せになって


 僕の脳裏に久しぶりに、紗由の声が響いた。シロキさんやアルの事を思い出してしまうから、僕はその声を意図的に追い出していたのだった。

「アルみたいに明確にやりたいことはないかな。でも、幸せに、なりたいかな。」

 それを聞いたウィリーが噴き出す。

「なんですか、それ?」

「昔、冷凍睡眠に入る前に、ある人に言われたんだ。」

 僕の真面目なトーンの返答に、ウィリーも真顔になった。

「紗由さん、ですか?」

「……そうだね。」

 また、沈黙。今度は僕がそれを破った。

「紗由は高校の時に付き合ってたんだ。」

 僕は、話した。

「僕の病気が発覚してから、僕の方から別れを切り出したんだ。冷凍睡眠で未来に治療を託すって時に、最後に来てくれて。そして、未来で幸せになって、って言ってくれた。」

 僕の思い出にしかなかった出来事が、この時代の他人に、伝わっていく。途端に、幻がぼんやりと形を成した気がした。

「もしかしたら、まだ生きているかもしれない……だとしても99歳だけど。会えるなら会って、話したかった。僕を知っている人と。どうやったらこの世界で幸せになれるのか。」

「先輩……」

「シロキさんが、紗由に会えるかもって言ったんだ。いや、今にして思うと、そんなことは一言も言ってなかったのかも。でも僕は、そうだと思ってしまった。そして、アルは、あんな事になった。」

 誰かに許してもらいたかったのか、話し出すと止まらなかった。ウィリーは僕の横を歩きながら、じっと聞いていた。一気に話して、また沈黙が訪れた。

「やっと聞けました。」

「そうだね。やっと話せた。」

 ウィリーがニコリと笑ってこちらを見た。僕も、今度は少しだけ笑えた。


 結局、僕らは日付が変わる前に自ら室米の屋敷に戻った。

 IDが使えなければ本当に何も出来なかったし、いつの間にか忘れていたが、2人とも指名手配中なのだ。戻って何か策があるわけでもなかったが、外をうろついて寿命を縮めるよりは、屋敷に戻った方が生き延びられるんじゃないかと、2人で話して決めた。

 僕は今度はウィリーと並んで、2人で屋敷に戻った。

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