第23話 向き合うもの

 その道沿いには赤い彼岸花が咲いていた。風が駆け抜け、花が揺れる。当然あるはずの花の香りがないのは、ここが仮想世界だからだ。

「どうしてここが?」

「情報提供者と取引した。おい、そのアバター!忘れねぇぞ。なにが『ミカコ』だ。ふざけやがって!」

 困惑する僕を旭が指差し、睨みつける。ウィルターヴェの方は、退院初日に現実世界で会った時と同じ金髪碧眼の白人男性の姿で、悠然と旭の背後に立っていた。

「無駄話をしている場合か。気をつけろ、あの少女はもう、当たり判定を変更しているぞ。」

 ウィルターヴェがユリネを睨む。

「今、上書きオーバーライドされた。あいつが本来のレイヤー2管理者権限保持者。」

「まずいですね、先輩。」

 旭の背後に更にクローラーが数体出現した。レイヤー4権限を持った違法自律プログラム。僕はそれを初めて見たが、なるほど、確かに死神と呼ぶにふさわしい姿だ。

「お前に権限を一部移譲する。今度こそ、過去の英雄の仕事を見せてくれ。」

「フン、黙って見ていろ。」

 旭が手を振ると、そこに電磁警棒が現れた。仮想世界の電磁警棒は1メートルほどの長さで、バチバチと火花が散っている。

「先輩、ここは私達が食い止めます。先輩は紗由さんのメッセージを聞きに行ってください。」

 ウィリーが僕に囁く。

「何言ってるんだ!僕も一緒に戦わないと。」

「クローラーはレイヤー4だから、私も上書きオーバーライドし返せる。時間を稼ぐ。今を逃したら、メッセージは二度と聞けない。」

 ユリネが背中の刀を抜きながら言った。

「先輩、行ってください!先輩には、それが必要です!」

 ウィリーの叫びと同時に、僕は旭達を迂回してメモリアルデータベースへ向かうため、彼岸花の花畑へと駆けた。

「逃すかよ!」

 旭の合図で、クローラーがその細い腕を広げて迫る。だが僕に辿り着く前に、その間に躍り出たユリネの刀が、その身を真っ二つに両断した。

「ほう。見事だ。」

 ウィルターヴェが感心したように頷いた。

「ちっ、プログラムには上位権限は渡せねぇからな。だが!」

 旭が素早く距離を詰め、ユリネに向かって電磁警棒を振り上げた。刀で応戦しようとしたユリネだったが、その刀は虚しく旭の体を通り抜けた。

「無駄だ!」

 振り下ろされた電磁警棒を、ユリネは間一髪のところで後ろに飛んで避けた。

「ユリネちゃん!」

「あの警棒には気をつけて。ダメージを受けるとアバターの機能不全が誘発される。御影さん、早く。」

 初めての仮想空間での戦いを思わず足を止めて見入ってしまっていた僕は、ユリネの声に我に返った。

「ごめん、2人とも、待っててくれ!」

 丘の上の建物を目指し、僕は花の中を走った。ご丁寧に、当たり判定と物理強度の設定がされた仮想の花びらが、僕の動きに合わせて舞い散る中を。

「逃げるつもりか!」

 僕の後を、旭の命令を受けたクローラーが追いかけてくる。だがすかさず飛び込んできたウィリーの蹴りを受け、バラバラになって地面に転がった。

「行ってください、先輩!」

「旭、放っておけ。どうせ周辺エリア含めてログアウト不可にしてあるから逃げられない。一人でも掴めば、こちらの目的は達成される。」

 僕は仮想の体の仮想の足を夢中で動かし、走った。


 仮想空間内で走っても、実際の体は当然その場を動かない。だが経験の浅い者は、意識だけで走ろうとしても脳が錯覚してしまい、現実のように呼吸が荒くなってしまう。熟練したアバター使いなら体と精神を完全に切り離すことが出来るので、仮想世界で激しい運動をしても平然としていられるし、現実での身体能力に依存しない優れた動きができる者もいるという。

 僕はといえば、メモリアルデータベースにたどり着いた時には、ぜいぜいと大きく肩で息をし、ふらふらと足取りもおぼつかないという有様だった。

 メモリアルデータベースの建物内は、天井の高い大きな一つの空間が広がっており、僕はヨーロッパの大聖堂のようだと思った。実際、高い壁には上がアーチ状になった窓が並び、ステンドグラスすら嵌め込まれてはいないものの、そこから外部の光が線となって室内に差し込む様は、まさに神聖な教会を思い起こさせた。プライバシー保護のため、塾や図書館の自習スペースのような衝立ついたてで区切られた半個室がいくつも並んでいる。そのスペースの中には、半透明で宙に浮いているコンソールと、座面だけが浮いている椅子とがそれぞれ備わっていた。この中でIDを読みこませ、自分宛のメッセージを聞くのだろう。半個室は広い空間を埋め尽くしており、全部で数百はありそうだったが、無関係な人が強制ログアウトさせられた今、僕だけがポツンと立っていた。

 息が上がったという錯覚もおさまったところで、僕は目の前にある半個室に入り、浮いている椅子に腰掛けた。

「ここにIDを提示すればいいんだな。」

 本当はここでIDを読ませて旭達を誘き寄せるはずが、どういうわけか先に奴らは現れてしまった。ユリネとウィリーが時間を稼いでくれているが、早く戻らないと。

 焦燥感が、無理矢理にでも僕を動かす。そうでもなければ、勇気が出なかった。僕はカード状に具現化した自分のIDをコンソールに差し込んだ。

『浦幌御影さんへのメッセージ 1件 音更紗由さん 』

 表示された自分と紗由の名前に、僕の呼吸が一瞬止まる。

 ――本当にあった。あってしまった。

 それは、紗由がもうこの世にいないことの証明だった。僕は目を閉じた。目を閉じている間は、時間が止まる気がした。

 でも、時間を進めなければならない。僕は、コンソールの再生ボタンを押した。


『このメッセージをあなたが聞いているということは、私はもうこの世にはいません……って一度言ってみたかったんだよね。フフ。』

 目の前に表示されたウィンドウに現れたのは、僕が最後に見た時と同じくらいの年齢に見える紗由の姿だった。紗由は笑っていた。

『この映像を撮っているのは、御影君が冷凍睡眠に入ってから74年後です。これを聞いているのは何年かな?案外、すぐかもしれないね。きっと世界の変わり様に驚いているでしょう。だって、イルカが喋るんだから。初めてしゃべるイルカに会った時の、御影君の反応が見られないのが残念です。』

 ――どうだったかな。何だか治療の影響でぼうっとしていて、何となく受け入れていた気がする。あまり面白くない反応だったかもしれない。

『実は、この姿はアバターです。いきなりおばあちゃんが出てきてもわからないと思ったからね。この姿は昔の写真から作ってもらったホビーアバターです。まるで魔法みたい。十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない、って昔のSF作家が言ってたね。でもORCAシステムって色々面倒臭いよね、公共アバターの制限とか。』

 ――全く、その通りだよ。本当に面倒なことになってるんだ。聞いてほしいよ。でも、紗由の口からこの時代の用語が出るのは変な感じだ。

『では、本当の姿に変えます。……私はこんな、おばあちゃんになりました。不老不死の技術はイルカでも作れないみたいです。』

 そう言って、映像の中の紗由は白髪の老婆の姿へと変わり、声も年相応のものになった。顔には皺が刻まれ、頬の筋肉も緩んでいるが、確かに若い頃の面影があった。だが、19 + 74、つまり93歳にはとても見えない、しっかりとした印象だった。この翌年に亡くなるとは、信じられないほどに。

『御影君は、まだ体は19歳かな。病気は無事に治療出来たかな。出来たよね……何だか、喋り方が若い頃に戻ったみたいです。人の精神って、見た目に合わせて変わるのかな。そうだとすると、アバターを纏うこの時代の人の精神って、どこが基準になるんだろう。イルカ達は自分達を人間だと思うようになるのかな。』

 ――変わらないな。いきなり、そういうことを言い出すのも。

 そう思いながら、僕は自分が今、シロキさんにもらった女性型アバターを纏っているのを思い出す。この姿を見たら何というだろうかと考え、それが叶わないことに悲しくなった。

『さて、私の人生を話します。御影君が寝ている間に色々あったよ。猿が反乱を起こして大きな戦争があって、一時期は本当に食べるのに困るような時もあったし、辛いこともありました。でも、周りの人達に支えられて、生き延びることができました。イルカ達が現れてからは、少しずつ生活も前みたいに戻って行って、それどころか、とても面白い技術が現れて、私は楽しかった。実は冷凍睡眠中の御影君は行方不明だったの。戦争中に最初の病院から移動したんだけど、その後の行き先がわからなくなっていて。でも、きっとどこかで無事で、いつか治療されて目覚める事を信じています。私は子孫を残さなかったので、このメッセージを残しました。』

 画面の中の紗由は、表情豊かに語った。彼女の苦労、悲しみ、喜びを分かち合えなかったことに僕は悔しさを覚えた。僕が行方不明になっていたのは初耳だった。もし、そうじゃなかったら、生きた紗由に会えたかもしれない。その事実が今更ながら僕の胸を締め付けた。

『私は、未来で幸せになって、って言ったね。あの時は、未来で御影君の病気が治ったら幸せになれるだろうって、思ってました。でもここまで未来が予想できないものに変わるなんてね。せっかく病気が治ったのに、誰も自分のことを知っている人はいないし、きっと、この時代に困惑しているのでしょう。』

 ――そうなんだ。情けない僕は騙されて、今も、ここに来るために周りを巻き込んでいる。

『私はもういないから、力になれません。だから私のことは忘れて……なんて言いません。。不確かな、想像できない未来でも、あなたの過去は確実にあった。私がこのメッセージで、あなたの過去を保証する。人間って、1人じゃ生きていけないっていうけど、きっとその理由は、観測者――自分の存在を、見て、覚えていてくれる他人――が必要だからだと思います。この世界に一人だけだったら、現実と妄想の区別は誰にもつけられない……でも、あなたの過去は幻覚でも、夢でもありません。。だから、その延長線上にある今のあなたは、確かにそこにいる。そして、自分の存在を見てくれる周りの人達を、大切にしてね。頼って、頼られて……そうやって、お互いに存在を確認するの。』

 ――ああ、そうか。

『そうやって今をしっかり生きて、積み重ねたら、いつの間にか幸せになっているよ、きっと、ね。……じゃあ、さようなら。』

 そう言って微笑んだ紗由の顔で、メッセージは終わった。僕は不思議と泣かなかった。

 視界に映る色が、急に彩度を増した気がした。


 ユリネとウィリーは苦戦していた。同等の権限であるクローラーなら当たり判定を固定して攻撃をすることで、機能不全を起こすことができる。だが、より上位の権限を持つ旭には当たり判定設定を上書きオーバーライドされるので、こちらからは攻撃出来ないのだ。逆に向こうからは一方的に触れられるのだから、旭からは逃げるしかない。前回は不意を突けたが、本来はORCAシステムの上位権限の持ち主に仮想世界で対抗するのは不可能に近い。

「逃げてばかりで、どうするつもりだ?疲れてきたんじゃないか?」

 旭の指摘に、ウィリーは少し息が上がってきた自分に気がつく。体は疲れなくても精神は疲れる。仮想世界とはいえ、永遠には動けない。

「旭、そろそろ終わりにしろ。いつまでも遊んでいるんじゃない。」

「うるせぇ。手出しするなよ、俺の仕事だ。」

「引き伸ばしても残業代は出ないぞ。」

「ちっ。そんなもの一回も出たことねぇだろうが。」 

 こちらから攻撃できない以上、旭とウィルターヴェのやり取りをウィリーとユリネは見ているしかなかった。その間にも新たなクローラーが5体現れた。

「まあ、見ていろ。不慣れな方はもう持たない……そう、お前の方だ!」

 旭は、クローラー2体をユリネにけしかけ、残りの3体と自分でウィリーに襲いかかった。

「まずい!」

「うわ、やめて!」

 ユリネは上空に飛んで自分の方に来ていた2体から逃げ、集中攻撃をされているウィリーの方に走った。ウィリーは迫り来るクローラーを2体まで蹴りで倒すが、残りの1体に目の前まで入り込まれてしまった。ユリネの投げたナイフがその1体を倒すが、その時には目前に旭が迫っていた。

「くらえ、悪人め!」

「あ……」

 ボゴッ!

 その時、鈍い音がして、旭の動きが止まった。ザザッと、旭のアバターにノイズが走る。

「……なんだ?」

 振り返った旭の足元には、小さなコンクリートのブロックが落ちていた。花壇と道の区切りに使われているコンクリートブロックだった。

「先輩!」

「当たり判定を固定した。最高管理者権限で!」


「ハハハ、花に隠れて近づいたのか。まさか、それが作戦のつもりか?」

 ウィルターヴェが嘲笑う様に言った。背後にいた僕に気がついた旭は、血走った目で電磁警棒を振り上げる。

「先輩、危ないです!」

 飛び込んできたウィリーに押し倒され、僕は尻餅を突くように倒れた。ウィリーの頭上を電磁警棒が掠めていった。

 すかさず、ユリネが飛び込んで来て旭に切りかかる。旭が電磁警棒で刀をガードすると、カン!という鋭い音が響いた。

「判定がある。反撃できる。」

 ユリネがニヤリと笑った。

「クソ、一丁前に使いこなしやがって!」

 悪態を突く旭を、ユリネとウィリーが2人がかりで追い詰める。ユリネの刀をガードした隙に、ウィリーの蹴りが旭の腹に入った。

「くらえ!」

「おおっと!」

 蹴りを食らった旭は後ずさる。

「前みたくはいかねぇぞ。来るってわかってれば、関節が位置を見失うことはねぇんだ。」

 だが、旭のアバターにはノイズが混じっている。倒し切ったのか、クローラーももう現れない。

「このまま続けて!」

 ユリネがそう叫びながら、刀で鋭い突きを放つ。それを電磁警棒でガードした旭にまたウィリーが蹴りを繰り出した。今度は上段、頭を狙った蹴りは、旭が身を逸らせたことで宙を切った。

「えい!」

 僕は体勢を崩した旭に向かってコンクリートブロックを投げつけた。予想外の攻撃だったらしく、割とまともに旭の頭に当たった。

「な……何がえい!だ、ふざけるなッ。」

 僕とウィリー、ユリネは一旦、旭と距離を取って固まった。

「二人ともごめん、待たせた。」

「先輩、メッセージ聞けたんですね。」

「うん……聞いて良かったよ。」

「そうみたいですね。そんな顔です。」

 旭のアバターはノイズがさらにひどくなり、なんだか動きもぎこちない。

「物理法則を再現した仮想空間だから、アバターにも物理強度がある。ダメージを与え続ければ、機能不全を起こす……これを使って。」

 ユリネは、どこからか金属バットを取り出し僕に手渡した。

「あ、ありがとう……」

「ワイルドな武器ですねぇ、先輩。」

 それぞれの武器を構える僕達3人をみて、旭は歯軋りをした。

「チィ!3人がかりとは卑怯だぞ、悪人どもめ!」

 僕は横の2人をしっかりと見てから、目の前の今へと向き直った。

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