第7話 襲撃者

 僕は二階の、僕の部屋の、ベッドの上にいた。そして、ウィリーは一階の部屋にいる。

 従って、ここには僕しかいないのが正常な状態。

 しかしながら、目の前には見知らぬ男がいて――


 僕を見下ろす男は最初こそ僕と同じように驚愕の表情をしていたが、次の瞬間、無言で僕の首を締めてきた。

「うぐっ!?……」

 僕は男の手を外そうと必死にもがく。僕の上に馬乗りになってきた男の腹を足で蹴るが、びくともしない。僕の足の裏に男の鍛えられた身体の固い感触が返ってくるだけだ。頭の中にウィリー達の声が聞こえる。まだ仮想世界と繋がったままなのだ。何とか助けを……

 その時、電子音声が脳内に鳴り響き、接続が強制切断された。身体の異常を検知すると仮想世界から切断されるようになっているらしい。

 だんだんと視界がぼやけ、身体に力が入らなくなってきた。耳鳴りもしてきた。

一階で何やら物音がするが、良く聞こえない。

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 いったい何なんだ!新しい人生を始めようって時に、あんまりだ。

「……ぐっ?!」

 男が呻き声を上げ、なぜか少し手の力がゆるんだ。だがそれは一瞬で、またすぐに僕の首は力強く締め上げられた。意識が遠のく。

「ぐほっ?!」

 その時、何かが視界の端で動いたと思ったら、男が消え、僕は首を締め付ける力から開放された。解放された気道から肺に空気が供給される。咳き込み、肩で息をしながら未だにぼやけた視界で男の行方を探す。部屋の隅でぐったりと気を失って倒れているのが見えた。

「先輩、生きてますか?!」

 ウィリーが駆け寄ってきたのがその声で分かった。見慣れた少女の姿に安堵する。

「ハァ、ハァ、うえ。ああ、何とか、生きてる、よ。」

「ああ、良かった……!さあ、逃げましょう。先輩!」

「一体何が起きてるんだ?その男は誰?」

「わかりません。私の部屋にも別の人が。もしかすると、まだ仲間がいるかも、」

 そう言いかけたウィリーは言葉を切り、無言で部屋の入口を振り返り、睨みつけた。

「えっ?どうし……」

 何事か尋ねようとした僕の言葉を、「静かに」と手のジェスチャーで静止したウィリーは、音を立てないように静かに入口の横の壁に身を寄せた。

 すると、部屋の入口から一人の男がすっと入ってきた。男の手には細長い金属製の棒が握られている。

 ベットに座り込む僕を見つけた男は、表情を変えず右手の金属の棒の柄についたスイッチを操作した。バチバチと音がして、火花が散る。電磁警棒というやつだろう。無慈悲に現れた暴力に、僕は体が固まり声が出ない。

「させない!」

 その時、男の死角である入口の壁際に隠れていたウィリーが勢いよく蹴りを繰り出した。少女の細い足が男の右腕の電磁警棒を弾き飛ばす。足の速度に遅れて、ひらりとスカートが翻った。

「ちっ!」

 男は手を押さえながらウィリーと距離を取る。その隙に僕は無意識にウィリーの後ろに移動していた。そこが安全だと思ったから。

「先輩、下がっていてください。」

 言われなくてもそうします。と心の中で答え、さらに一歩後ずさる。僕には戦う力なんてない。

 だが、小柄な少女の姿を纏った知性イルカは幸い戦う力を持っていたようだ。

 ウィリーは男をにらみつけて正対した。電磁警棒が部屋の隅まで弾き飛ばされているのを横目でちらりと確認した男は、今度は懐からナイフを取り出し逆手に構えた。そして素早く距離を詰めたかと思うと、ウィリーの首に向かってナイフを繰り出した。

「!!!」

 男の動きは訓練された無駄の無さを感じさせた。ウィリーの細い首から赤い血が吹き出すシーンを想像してしまい、僕は声にならない悲鳴を上げる。しかし現実はそうはならなかった。

 キンッ、という甲高い音と共にナイフがはじき返される。しまった、という顔の男。スキを見逃さなかったウィリーは、足を高く降り上げて男の頭を蹴り飛ばした。男は壁まで吹っ飛び、気を失ったのか動かなくなった。

 あらあら、ウィリーって強いんだなぁ。

 少女が男を蹴り飛ばした目の前の光景にぽかんと口を開けて一瞬フリーズしていた僕だったが、我に返ってウィリーに駆けよった。

「ウィリー、大丈夫か!ナイフが!」

「ふう。先輩、落ち着いてください。アバター表示をONにしておいて正解でした。上手く姿に誘導されてくれたみたいですね。」

 人間の急所を正確に狙った男の攻撃は、正確であったが故に硬い金属製のポッドにはじき返されたのだ。

「っていうか、ウィリー強くない?」

「私はイルカですからね。緊急事態なので、ポッドのリミッターを外しました。あと、護身用にポッド格闘術を習ってましたから。」

 僕の回線が切断された後、何かあったと思ったウィリーが大急ぎで仮想世界からログアウトすると、ちょうどウィリーの部屋にも見知らぬ男が入ってくる所だったらしい。ウィリーがまだ仮想世界にいると思って油断していた男を倒し、すぐに二階に駆けつけた。そして、僕の首を締めていた男に蹴りをお見舞いして吹っ飛ばしたということだ。

 僕が偶然気が付かなければ二人とも一方的にやられていたかも知れない。僕は背筋が寒くなるのを感じた。

「ナイフじゃなくてこの電磁警棒で攻撃されていたら、ポッドは壊れてましたよ。不意を突けて良かったです。」

 ウィリーはさっき蹴り飛ばした電磁警棒を拾い、手に持っていた。

「でも、よく男が部屋に入ってくるのがわかったね。」

「あ、それも私がイルカだからですよ。エコーロケーションってやつです。超音波で下から人が来るのが分かったんですよ。」

 イルカは超音波を発して、その反射で物の位置を把握する。それがエコーロケーションだ。

「知性イルカもエコーロケーションの能力を持っていて、しかもポッドにはその能力をさらに拡張する超音波ソナーが装備されているんです。見えない場所の動きを察知できますし、素早い動きも認識できます。だから人間では私たちに格闘では普通勝てません。他にも、クレー射撃とか得意ですよ。」

「へえ……すごいな。まあ、とにかく、今は逃げて警察に連絡しよう!」

 仲間がまだいるとも限らない。ウィリーは確かに強くて頼りになるが、ポッドが電磁警棒には弱いということなら油断は出来ない。クレー射撃が得意と自慢げな顔で言われても、今は散弾銃なんて無いのです。

「あ、逃げるのは賛成なんですが、警察は……」

「え?」

 真面目な顔になったウィリーは電磁警棒の柄についたマークを見せてきた。どこかで見たマークだと思ったら、警察のマーク、旭日章というやつだった。

「へっ?こいつら警察官ってこと?」

「わかりません。盗んだのかも知れないし……あ、やっぱりこんな物も。」

 さっき倒したナイフ男の上着から、ウィリーは黒くて四角い物を取り出した。それは警察手帳のようだった。

「本物かな?」

「どうでしょうね……もし普通に警察が逮捕しに来たなら、こんな野蛮な真似はしないでしょうし……」

 その時、一階から大きな音が聞こえ、何かが割れる音が続いた。僕らは顔を見合わせて息を飲む。ここにいてください、と言われたものの、一階を覗きに行こうとするウィリーの後ろに付いていった。情けないが、なるべくウィリーから離れたく無かった。階段の途中でウィリーが立ち止まったため、思わずぶつかりそうになる。

「どうしたの?ん、この匂いは?」

「先輩、家が燃えてます!」

 一階からかすかにパチパチと木材が爆ぜる音が聞こえ、焦げ臭い匂いと共に、うっすらと煙が上がってきていた。最初は控えめだった煙の色はあっという間に濃さを増し、何かが壊れる音も次々と響きだした。

「証拠隠滅ってやつか?早く逃げないと!」

「先輩、待ってください。」

 階段をかけ降りようとした僕の腕をウィリーの手がつかんだ。

「火をつけた仲間が下にいるってことですよ。ここで飛び出したら思うツボ、ってやつでは?」

 さっき倒した男が僕らを襲う前に火をつけておいたということも考えられるが、確かに警戒したほうが良さそうだ。相手は明らかに殺意を持っている。理由はちっともわからないが。

「下に誰かいるか分からないか?」

「うーん……炎の熱で空気の動きが激しくて、エコーロケーションが上手く働かないんです。」

 これでは一階に降りるのは危険が大きい。だからといって、このままでは火に飲まれてしまう。

「となると、二階の窓から飛び降りるか……」

 二階からなら、飛び降りても死んだりはしないだろう。

「そのほうが良さそうですね。私が先輩を抱えて飛び降りましょう。任せてください。」

 僕の足をちらっと見てウィリーが言った。最近まで入院していた僕の足はお世辞にもたくましいとは言えず、飛び降りるとうっかり骨が折れてしまいそうだ。骨折していては逃げ切れないだろう。それに、飛び降りるのはやっぱり怖い。僕は無言で頷いた。

 二階に戻り、ちょうど家の裏の庭に面している僕の部屋の窓から下を覗く。誰かが待ち構えているということはなさそうだ。

 その時、二人同時にORCAシステムの通話機能が着信を告げた。相手はさっき知り合ったばかりのイルカの友達、アルだ。通信を繋ぐと脳内に声が響いた。

『おーい、お二人さん、大丈夫か?いきなりどうしたんだよ?』

「ウィムアルゼムィンスェ、ちょっと今は余裕が無いの。」

『何があった?』

「襲われたんだ、殺されかけた。今家が燃えてる。」

 呑気に話している余裕は確かに無い。下から上がってくる煙はさらに濃さを増していたし、煙にまぎれて襲撃者が今にも飛び出してくるかもしれない。ただ、もしそうなって僕らが死んだ時、すべてが闇に葬られるくらいなら誰かに情報を伝えておいたほうが良い、と思った。

『なんだそりゃ?お前ら、一体何をやったんだ?』

「わからないよ。警察手帳を持ったやつらに襲われた。今窓から飛び降りて逃げるところ。」

『警察手帳だって?』

「先輩、もう行きますよ!」

 ウィリーは有無を言わさず僕を抱きかかえた。片手で背中の後ろを抱え、もう片方は両足のひざ下に入れる。つまりはお姫様抱っこである。少女の細腕にひょい、とこんな格好で抱えられるのは妙な気分だったが、身体に伝わってくるのは硬い金属の感触なので、さらに不思議な感覚だった。

「やあっ!」

 ウィリーはなんだか少し気恥ずかしい気分の僕を抱きかかえたまま、一気に窓から飛び出した。実際は数秒のはずの滞空時間が、僕にはもっと長く感じた。思わず目をつぶる。

 ガシャン!という音がして地面に着地した。体にかかる加速度の変化で、ウィリーがひざを深く曲げて衝撃を吸収するのが分かった。無事着地したと思ったその時、バキッ!と嫌な音が響いた。

「えっ、右足が……!」

 そのままウィリーは横に倒れ、僕は地面に投げ出された。芝生を植えていない裏庭の土の上をゴロゴロと転がった。僕はその勢いを腕で止め、急いで起き上がり周囲を見回した。幸い、隙だらけの今の僕らを何者かが襲ってくる気配はなかった。

 ウィリーの方を見ると公共アバターの表示が乱れており、右足からは火花と煙、さらに何かの液体が漏れ出していた。着地の衝撃で壊れたようだ。

「ウィリー、大丈夫か?」

「大丈夫じゃないです!ああ、日常生活用のポッドで無理したからだ!」

 知性イルカのポッドはキックで悪漢を蹴り飛ばす用には作られていない。リミッターを外して無理な動きをさせた上に、二階から僕を抱えて飛び降りたせいで壊れてしまったようだ。

「もしかして、歩けないの?」

「えっ、バランサーも壊れてる……!?これじゃ歩くのは無理だ!どうしよう、どうしよう……」

 今まで冷静で余裕すら感じさせたウィリーが、一転して泣きそうな顔で取り乱していた。

『お二人さん、まだ生きてるかー?』

 呑気なアルの声が脳内に響く。そういえばまだ通信を繋いだままだ。

「生きてるけど、ウィリーのポッドの足が壊れて歩けないんだ!」

「ええっと、先輩、きっとすぐに警察と消防が来ます、から、それまで隠れましょう、どこかに。そうしましょう……」

 そう言うウィリーの表情はポッドが壊れかけた影響かノイズ交じりではっきりしない。

『ウィリェシアヴィシウスェ、警察はヤバいかも知れないぞ。』

「アル、どういうこと?」

「さっき警察手帳を持ったヤツがいたって言ってたよな?襲撃者は警察と繋がりがあるかも知れない。』

「そんな。」

『ミカゲ、俺を信じろ。さっき、俺の助手が警察の緊急通報システムを覗いてみたんだが、その家の警備システムの通報を誤報扱いにして消去したやつが内部にいた。』

 後から聞いたところによると、警察のシステムは基盤こそORCAシステムに近い強力なセキュリティになっているのだが、そこに昔から使っていたシステムを無理やり合体させて運用しているために一部セキュリティ上の穴があるそうだ。

『とにかく、警察に駆け込むのは一旦やめておけ。俺のラボに来い。ラッキーなことに近い。ただ、正面からは来ないでくれよ。今ルート送るから。』

 ここはアルに従おう。問題はウィリーだ。見るとウィリーはもう上手く働かないアバター表示機能を解除していた。ポッドの機械の右足が足首の所から変な方向に曲がっているのが分かる。

 僕はウィリーに近づき、ポッドの腕の下に肩を入れて持ち上げようとした。

「先輩……」

「って、重っ!」

 思わず声が出た。要は海水の入った水槽に手足が付いた金属のロボットである。たぶん僕より重い。

「私、一応女の子なんですけど。」

 ポッドの水槽の中から、イルカの姿のウィリーがこちらを睨んでいる。知性イルカも体重を気にするのだろうか。しかし、あまり呑気なことを考えている余裕は無かった。

「せーの!」

 掛け声をかけて背中にポッドを背負う。足がガクガクと震えるのは重さのせいか、恐怖のせいか……

 火は勢いを増し、僕らがいた二階も既に炎に包まれていた。気絶していた襲撃者の男がどうなったのかはなるべく考えないようにした。

 ORCAシステムで視界に表示させた近所の地図に、アルから送られたルートを重ねる。わざと迂回したり裏道を通っているようだが、それでも徒歩10〜20分といったところだろう。このくらいなら何とかウィリーを担いでたどり着けるかもしれない。

 ほとんど引きずるようにして足を踏み出す。その時、

「おい!」

 僕の背後から、知らない声が響いた。ゆっくりと振り向くと、オレンジ色の炎に照らされ、電磁警棒を持った無精ひげの男がこちらを睨んでいた。それは獲物を追い詰めた狩人の目だった。

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