第6話 イルカの友達

 俺はスーパーハッカーになりたかった。

 成長してからの「なりたいもの」というのは、合理性とか、実現性とか、世間体とかに選択肢を狭められてしまうものだが、幼いころの純粋な憧れはその束縛を受けない。子供は単純に憧れたものになることを望む。

 映画やアニメに出てくるハッカーは、カタカタとキーボードを叩くだけで重要な情報を華麗に盗み出したり、悪の組織のセキュリティを突破して主人公達を援護する、かっこいいヒーローだった。

 最初は単にヒーローに憧れた。だが、そんな職業が無い事を理解した後はヒーローの代替品をその幼い脳で探した。身体能力は並みのイルカ以下、脳波コントロール能力もパッとしなかった俺がヒーローになるには、知力と手先の器用さを活かすしかないと思った。

 結局自分がなれそうなものから憧れの対象を選ぶあたり、中途半端に大人になりかけていたのだろう。だが、今にして思えば未熟な憧れも、発達途中の柔軟な脳に成長の方向性を与えるには十分だったようで、俺は確かに同年代よりも科学技術やORCAオルカシステムには詳しくなることができた。

 だが、勉強をして知識を磨くほど、手の届かない世界も見えてくる。

 この社会を支えているORCAシステムの深層部分。そのセキュリティはまさに異次元レベルで、不正アクセスは理論上不可能と言われていた。最初はどこかに穴があるはず、俺ならそれを見つけられる!と思っていたが、そのセキュリティの基礎理論さえ理解出来ていない。得意だと思っていた分野でぶつかる天才との差に、唖然とした。

 だからと言って企業やORCAシステム管理局のエンジニアなんてつまらないものに収まり、負けを認める気も無かった。

 そういうわけで、今日もイルカ用のポッド改造や仮想世界関係のちょっとした裏の仕事で食いつなぎながら、いつかORCAシステムの深層部分をハッキングすることを夢見て仮想世界を徘徊しているのだった。もう意味なんて無い。ここまでくると意地だった。

「なんか、いい情報無いのかよ。」

「お前が欲しがるような情報はきっとここにはないよ。そうそう、有名アバターデザイナーSがこの街に滞在しているらしいぜ。」

「S?ああ、シロキか。どうせ作品は買えないし、興味ないな。あのアバターは見る分にはいいけどな。」

 俺は情報が集まる集会所に来ていた。仮想世界内にはこうしたコミュニケーション用の空間がたくさんある。昔で言うとインターネットの掲示板だ。思い思いのホビーアバターを身に着けた連中が好きな話題について集まって話している。ここは『地域総合 286』という部屋だ。俺の目標に対してはそこまで役に立つ情報が集まる場所ではないが、暇つぶしにはちょうど良い。

 それに今日はちょっとした用事があった。昔の友人に会うのだ。

 本名も本当の顔も知らない常連達との雑談に飽きたころ、集会所の端に見慣れたアバターがいることに気が付いた。隣には初めて見る男のアバターがいた。

「よ、ウィリェシアヴィシウスェ。相変わらず目立つアバターだな。」

「あっ、ウィムアルゼムィンスェ。久しぶりだねぇ。」

 こいつは、俺の学生時代の知り合いだ。よりにもよってORCAシステム管理局に就職したので、何か情報が取れるかもと思って交友を続けていた。最近は会っていなかったが、ある理由で久しぶりにコンタクトを取った。

「ウィリー、この人は?知り合い?」

 隣にいる男のアバターが俺の方を見て言った。ウィリー?妙なあだ名を付けたもんだ。

 よく見れば、一応破綻してはいないもののなんだか違和感のあるアバターを使っている。素人が作った物を5分でプロが直したような、そんな感じ。

 これが、俺、ウィムアルゼムィンスェと人間、浦幌御影との出会いだった―—


  仮想世界の砂浜でアバターを動かす練習を一通りした後、僕はウィリーと一緒に集会所という所に来ていた。たまに本当の身体が少し動いてしまうことはあるものの、仮想世界内を移動する分には問題ない程度には慣れてきた。

 意識を自分の内側に向け脳内で体を動かすという行為は、持って生まれた気質や普段の思考方法で得意不得意がかなり変わってくるという。活発で社交的、外で遊ぶのが大好き、というような子供はこのアバター操作が苦手なことが多く、それが思春期の悩みやいじめに繋がることもあるそうだ。その結果、性格が塞ぎこみがちになったとたんにアバター操作が上手くなる事が多い、というのは何とも皮肉なことだ。

 発病してからは一人ベッドの上でぐるぐると考え事をしていた時間が長かった僕も、おかげで仮想世界の操作への適応が早かったようだ。

 一階の自分の部屋からログインしたウィリーは、髪型が三つ編みになっているくらいで公共アバターとほとんど同じホビーアバターを使っていた。

 友達を作れる場所を教えておきます、と言って連れてきてくれたのがこの集会所だった。

 円形の大きなロビーを中心に、各ジャンルに別れた扉がずらっと輪になって並んでいるという様子で、それぞれの扉の前に立つとさらに細かく別れた部屋の名前が宙に浮かび、そこから入室したい部屋を選ぶようになっていた。政治、スポーツ、会社、漫画やアニメの話題、アバターの技術、脳波コントロール競技の話題、都市伝説など――様々なテーマが並んでいる。

「まずは地元のリアル友達を作ったほうが良いですからねぇ。」

 そういって連れてこられたのが、この「地域総合 286」という部屋だった。部屋内の会話はログとして保存され後から見られるのだが、ログが一定数を超えるとその部屋で話すことは出来なくなり新たな部屋が作られる。この部屋は286番目ということだ。

 部屋の中に入ると木製のテーブルと椅子がいくつも並んでおり、それらの椅子に座って話し込んでいるグループ、立ったまま輪になって話しているグループなどがいた。

 現実世界の公共アバターと違い、ホビーアバターはかなり自由なデザインが許されている。人間の姿のアバターは圧倒的に美少女が多い。現実世界では男性の場合でも、仮想世界では女性のアバターを使うことが多いそうだ。またホビーアバターは人型に限らない。動物をはじめ、ロボット、どうみてもモンスターというような姿でさえ、ホビーアバターでは可能だ。既に生き物ではなく、物や食べ物の姿をしている人もいる。今、僕の横をが通り過ぎた。仮想世界はカオスな世界なのだ。

 ざっと見た感じ合計で100人くらいはいそうだったが、仮想世界だけあってスペースは広く、天井も高くて解放感があるため窮屈な感じはしない。現実だと物理的に実現が難しそうな全面ガラス張りの天井から部屋全体に柔らかな光が差し込み、まったりとした雰囲気が流れていた。人が集まっている壁の一角を見るとそこは掲示スペースになっており、広告や、仮想世界内のイベントの告知などが表示されていた。

「ローカルな話題の集会所の割には人がいるんだね。」

 僕は人の多さに少し気後れしてしまう。

「ここは少ないほうですよ。同時に1000人くらいいる部屋もざらにありますからねぇ。」

 この部屋は落ち着いた雰囲気で治安も良い方なので、友達を作るには最適、とのことだ。

「私の友達とここで落ち合うことにしているんですが、まだ来てないみたいです。それまで適当にその辺の人と会話をしてみると良いですよ。友達が出来るかも知れませんよ。」

「ああ……そうだね。うん。」

 残念ながら、僕は積極的に初対面の人に話しかける性格はしていないので、いきなり見知らぬ人のグループに入っていくのはちょっと勇気がいる。とりあえず壁の掲示スペースの方に行って、イベントの告知を熟読してごまかす。ウィリーは少し不思議そうな顔をしながらも隣にいてくれた。


 「ホビーアバターを褒めあう会 毎週金曜日開催中」 

 一週間お疲れ様です。皆さんの自慢のホビーアバターを見せあって褒めあいましょう。特別ゲストとして、最近人気上昇中のホビーアバターデザイナー タケル氏が参加。参加希望者は管理人までフレンド申請を。


 「ORCAシステム規制緩和を求める集会 5月15日」

 自由な表現に向けて、窮屈な公共アバター規制の緩和を求めています。

 活動内容に興味がある人は是非参加してください。

 署名活動実施中。


 「美少女アバター受肉精神安定療法研究会 第36回春季大会 4月30日」

 なりたい自分になれるのがホビーアバターの良いところ。

 特に、美少女アバターを纏うことによって精神の安定がもたらされたり、積極性を得られたりなどの効果は昔から知られています。しかし、特殊な趣向を持つ人々の行為だと勘違いされている事もまだ多いです。我々はそんな現状を変えるため、医学的な側面からその利点を研究、発表しています。

 

 なかなか興味深いイベントの告知が並んでいる。気になるところだがイベント情報を見るのが目的ではない。そろそろどこか会話しているグループに参加してみないと連れてきてくれたウィリーに悪いな、と思い始めた頃だった。

「よ、ウィリェシアヴィシウスェ。こんなとこで何してんの?」

 気さくな雰囲気でウィリーに話しかけて来たのは黒髪の短髪、色白の肌に黒縁のメガネ、白いシャツにジーンスという出で立ちの男だった。僕の第一印象は、外資系のIT企業でコーヒー片手に仕事している人、だった。腕が四本あったりするアバターもいるこの仮想世界で、彼はずいぶん普通の恰好だった。

「あっ、ウィムアルゼムィンスェ。久しぶりだねぇ。」

 その後の二人の会話から察するに、彼はウィリーの学生時代の同級生とのことだった。名前から予想できる通り、彼はイルカだ。イルカの男友達。

「紹介するね。事情があって一緒に住んでいる人間の浦幌先輩。良かったらウィムアルゼムィンスェも先輩と友達になってよ。」

「へぇ、事情ね……」

 ウィムアル何とか、というイルカは僕のアバターを興味深そうに脚の先から頭まで確かめるように見ている。同居しているという点に特に反応しないあたり、ウィリーの彼氏とかでは無いようだ。

「ええと、初めまして、浦幌御影です。よろしくお願いします。ええと、ウイアル……?ウィ……」

 ウィリーの方を見て助けを求める。ウィリーはそんな僕の方を見て可愛らしく首をかしげていたが、数秒後僕の訴えが伝わったようでハッとした顔で言った。

「ああっ、先輩は知性イルカの名前が覚えられないし、発音できないんでした。許してあげてください!」

「そんな、僕がアホみたいに言わなくても……」

 思わず頭を搔こうとして、現実世界の腕をどこかにぶつけた。痛い。

「うん?まるで年寄りみたいだな。あ、だからお前のことウィリーなんて呼んでるのか。」

「あはは……」

 悪かったな、お年寄りで。

「じゃあ、呼び方を考えてやらないとな。でも俺もそうだけど、イルカの名前の8割くらいは『ウィ』で始まるんだぞ。なんでウィリーなんかにしたんだ?分かりにくいだろ。」

「へっ、そうなの?」

 ちらっとウィリーの方を見ると、そうですけど何か?という感じの顔で頷いている。

「うーん、じゃあ、途中から抜きだしたら?アルで良いのでは?」

「お前も安直だな……ま、俺はいいけど。ミカゲ、アルなら発音出来るよな?」

 なんか子供扱いされているようで引っかかるが、彼らの名前をうまく言えないのは事実なので仕方ない。しかし、姿は人間に合わせて暮らす知性イルカ達が名前については人間離れしたものを使い続けるのは不思議だ。それが彼らのアイデンティティなのだろうか。

「大丈夫だよ、じゃあアルさん、で。」

「アルで良いよ。よろしく、ミカゲ!」

 こうして、僕に新しく喋るイルカの友達が出来たのだった。


 僕たち三人――人間一人と知性イルカ二人――は、空いていた丸テーブルを囲む椅子に腰掛けた。隣のテーブルではラーメンとドラゴンとネコと女子高生が談笑している。人間だけが座る僕らのテーブルの方がこの場ではよほど異質かも知れない。

 アルはORCAシステムに詳しいとのことだったので、早速僕の困っている現状を話し、コードVについて聞いてみた。

「うーむ。やっぱりミカゲはORCAシステムの秘密を解き明かすきっかけになるかも知れない。」

「秘密?」

 アルがメガネの位置を指でクイっと直しながら言う。

「ORCAシステムは非公開のところが多すぎるんだ。たとえばハードウェア、つまり脳へのインプラントの仕組みも非公開だ。医者ですら仕組みを知らずに脳に埋め込んでて、仕組みを知っているヤツはそもそもいない、なんて言われている。」

「なんだそれ?よくわからない宇宙人の技術でも使ってるとでも言うの?」

「エラーは起きないから正常なんて言い張っているのは、そもそもORCAシステム管理局もよくわかっていない所があるからだと思わないか?どんな動きをするか分からないブラックボックスでも、何を入れると何が出てくるかを知っていれば、運用は出来る。」

「うーん、その隠された秘密ってのと僕のコードVが何か関係あるのかな?」

「俺はそう見てる。ORCAシステム管理局の上層部は何か隠している。副支局長なんかがこんな地方都市にふらっと現れたのがその証拠だ。」

 ウィリーは机に肘をついて手の上に顎を載せながらため息をついて言った。

「ちょっと、私の職場なんですけど?」

「そう、だから何か裏情報をだな……」

「そんなものないってば。」

 ウィリーもこういう風に砕けた感じで話すことがあるんだな、なんで思っていると、アルが僕の方を見て真剣な顔で言った。

「ミカゲ、仕事が無いなら、俺のアシスタントをしないか?俺は仮想空間内でORCAシステムの秘密を探ってるんだが、おかげでちょっとした情報通になっちまって。今じゃ支援者から依頼を受けてたまに軽い探偵みたいなことをしてるんだ。」

 その探偵業を手伝わないか?ということらしい。仮想空間内が活動のメインだが、たまに現実世界で情報を探る必要が出てくるそうで、その時どんな公共アバターでも使えるという僕が役に立つかも、ということだった。

「危なくないの?」

「まあ、合法な範囲でやってる、ことにしているが……危険がゼロとは言わない。」

「もしかしてまだORCAシステムのハッキングをしようとしてるの?先輩、絶対ダメですよ。やめてください。」

 ウィリーには止められてしまったが、正直少し興味を覚えた。もしかすると紗由が生きているか、今どこにいるか探ったり出来るかも知れない。加えて、このORCAシステムに依存するイルカとの共存社会に僕自身何とも言えない違和感を抱いており、その裏が知れるなら知りたいと思ったのも事実だ。

「うーん、ちょっと考えさせてよ。」

「ミカゲのコードVの謎もわかるかも知れないし、何か知ってるヤツとコネクションが出来るかも知れないぜ?いっそのこと、システムの中枢があると言われているパシフィス国のORCAシステム管理局本部に忍び込んでみるとか。」

「もう、ウィムアルゼムィンスェ、先輩を変なことに巻き込まないでよ!先輩もそんな子供みたいなキラキラした目をしない!この時代に慣れるのが先です。」

 ウィリーは腕を組み、頬を膨らませてこちらを睨んでいる。怒られてしまった。頭を搔こうとして、また動いてしまった現実世界の腕がにぶつかった。

 え?誰か?

 目と耳を覆っていた拡張デバイスをずらすと、現実世界の僕を見下ろす、見知らぬ男と目が合った。

「へっ、誰?」

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