エピローグ

第33話

 それから三人で話し合い、この屋敷から魔王城に移ることにした。

 きっとこの国の者は、守護者の喪失という大事件の責任を取らせるために、ジェイドと優衣を重罪人として探し出そうとする。

 ジェイドの体調が完全に戻るまでは、人の手の及ばない場所で彼を匿う必要があった。

 彼はそのまま三日ほど眠り続け、四日目の朝にようやく目を覚ました。

 優衣が手を握っていることに気が付いたのか、ぼんやりとした瞳のまま、名前を呼ぶ。

「……優衣?」

「うん。ここにいるわ」

 握った手に力を込めると、我に返ったのか、急に起き上がろうとした。

「……なぜ優衣がまだここに。俺は、生きているのか?」

「駄目よ。まだ完全に回復していないの。しばらくは安静にしていて」

 ベッドに寝かせようとしたが、優衣の瞳を見たジェイドが制止も間に合わないほどの速度で飛び起き、眩暈がしたのか、そのまま崩れ落ちる。

「出血が酷かったの。だから、無理はしないで」

「……ブレスレットを、使ったのか」

 優衣の瞳がどうして変わってしまったのか。彼はすぐに理解していた。

「どうしてそんなことを。あれはもう二度と作れない。もとの世界に戻れなくなったんだぞ」

「わかっている。自分で選んだから後悔もしていないわ」

 焦燥を滲ませる彼とは正反対に、優衣はとても落ち着いていた。笑顔さえ浮かべてそう言うと、ジェイドが戸惑う。

「帰るために頑張ってきたんだろう? それなのに、なぜ」

「あなたを愛しているからよ」

 そう言って彼の手を握り、頬に押し当てる。

「優衣……」

「愛しているわ。このままもとの世界に戻っても、きっとあなたを忘れられなくて、ずっとひとりで寂しく生きるだけ。それでもジェイドの負担になるだけなら、帰らなくてはならないと思っていたの」

 でも彼を救える力が欲しいと願い、それを叶えることができた。

 大切な人を守る力を得た。

「ジェイド。この力を継いだときにわたしが見たものを伝えるわ。あなたには知ってほしいから」

 そのまま直接彼の頭の中に、優衣が見たものを映し出す。

 愛している。

 そう囁いていたルクレティアの、優しい声色までも完璧に。

 生まれたばかりとはいえ、魔王である父親の力を受け継いだジェイドは、あのときの光景を覚えているかもしれない。

 それでも、母親の願いまでは知ることはなかっただろう。

「……」

 ジェイドの瞳から涙が零れ落ちる。

 それはとても無垢で、美しい涙だった。

 優衣は黙って彼を抱きしめた。

 彼の孤独だった時間もすべて愛で埋めたいと願いながら。

 やがてジェイドは優衣の手を握ったまま、それでも視線を優衣から少し離して、静かに問う。

「争いのない世界で生まれたお前が、俺のためにこの世界に留まるというのか」

「ええ。わたしがあなたを守るわ。そして誰よりもあなたを愛している。この世界で、一緒に生きていきましょう」

 笑顔を向けると、ジェイドが眩しいものを見つめるように目を細めた。

 目を閉じれば、望んだとおりに優しいキスが唇に触れる。

 初めてのキスは、別れの痛みが伴っていた。

 どんなに愛しても、一緒に生きることはできない。互いにそう思っていたからこそ、刹那的な愛だった。

 でも二度目のキスは、蕩けるほど幸せを与えてくれる。

 愛している。

 そして、もう二度と離れることはない。

 そう思うと胸が痛くなるほどの幸福感が押し寄せた。

 ジェイドの腕が背中に回り、強く抱きしめる。

 触れた体温が愛しい。

 そっと胸に頬を寄せれば、確かな鼓動が聞こえてくる。

 彼が生きている証。

 もう少しで失うところだった、大切なひと。

 彼を守るための力を得たことが嬉しい。

「ジェイド」

 そっと名前を呼ぶと、もう一度唇を塞がれる。

 今度は前よりも深く、吐息さえ奪うように激しく。

 それなのに、髪を撫でる手はどこまでも優しい。

「優衣、愛している。もう二度と離さないから、覚悟しろ」

 甘い束縛に、優衣は微笑む。

「大丈夫。絶対に離れないから」

 孤独だった時間を思い出せなくなるくらい、愛すると決めていた。




 それから優衣とジェイド、そしてルシェーとティラは、魔王城で暮らし始めた。

 彼の父は魔王だったが、魔族を統一する意思はなかったようだ。そんな魔王が六百年も生きていたのだから、魔族は統率が取れずに無法地帯になっている。

 魔族は今、絶対的なリーダーがおらず、大陸中に散らばって好きに暮らしている。そんな魔族と人間が共存するには、魔族の国を作る必要がある。ジェイドはそれを統一し、人間達のように魔族の国を作ろうと考えていた。

 これからジェイドが目指す道は、なかなか大変なものだ。

 ここまで関係がこじれてしまった魔族と人間が、今さら仲良くできるはずがない。

 しかもジェイドは魔王の力と記憶を受け継いでいるとはいえ、母親は人間。魔族の中にはそのことを侮り、反旗を翻す者もいるだろう。

 さらに人間側も、トップにいるのはあまり良い人たちとはいえない。

 ティーヌ王国は守護者が永遠に失われたことを公表せず、ひたすら隠しているようだ。

 また別の呪法を生み出すのではないかと、ジェイドは警戒している。大陸中を周り、ティーヌ王国よりも魔族に対して敵意を持っていない国を探して、少しずつ話し合いもしていきたいと言っていた。

 だがそれも、まず彼が名実とも魔王になることが必要となる。

 しばらくは魔族相手の戦いが続くだろう。

 それでも今のジェイドの傍には優衣がいる。

 優衣の守護魔法は強力で、生半可な攻撃では彼に触れることもできない。

 あれから彼は一度も傷付かず、魔力弊害にも悩まされていなかった。

 そうなればもう、父親譲りの魔力で無双状態だ。魔族統一も、案外簡単かもしれない。

 ジェイドは今日もまた、魔王の力を狙って襲ってきた魔族の男と戦っている。

「その程度の力で俺に挑むか。まったく面倒な。身の程知らずめ。さっさと立ち去れ」

 綺麗な顔で毒を吐く姿も、面倒だと溜息をつく姿も、出会ったときと変わらない。

 物陰に隠れて戦いを見守っていた優衣は、思わず笑った。

 ある意味、あれがジェイドの真の姿だ。

 優衣の両隣には、ルシェーとティラがいる。

 ふたりは、ジェイドが傍にいないときは優衣から離れるなと厳命されていた。

「わたしなら大丈夫だよ。ふたりとも、それなりに忙しいでしょう?」

 魔力障害から解放されたジェイドは強く、優衣の守護魔法も圧倒的だ。治癒魔法の出番などほとんどない今、ただこうして見守っているだけなので護衛は必要ない。そう伝えたが、ふたりは首を振る。

「私は「誓約」していますので、優衣様の傍を離れることはできません」

「僕も、ジェイドが怖いから優衣から離れられないよ」

「……そ、そう」

 何だかジェイドはすっかり過保護になってしまって、けっして優衣をひとりにしない。しかも他の魔族に姿を見られないようにと、魔王城の外では常にフードのついたローブを着なくてはならない。

「せめてこれ、脱ぎたいなぁ」

「駄目だ」

 いつの間にかジェイドの腕に抱きしめられていて、優衣は驚いて顔を上げる。

「あれ、ジェイド。戦っていた魔族は?」

「もう帰った」

「そう?」

 その「かえった」が、土にではないことを祈るだけだ。

 ちなみにジェイドが戻ると、ルシェーとティラはすぐにいなくなる。そうするように言われているらしい。

 なかなか我儘な魔王だ。

「ローブ、脱いだら駄目なの?」

「当たり前だ。優衣は魔族好みの容姿をしていると言っただろう。誰にも見せるものか。俺のものだ」

 腕の中に閉じ込めるように抱きしめられ、思わず笑みが浮かぶ。

 束縛も独占欲も、ジェイドが愛してくれる証拠だ。

 それを嬉しいと思っている。

 もちろん優衣もジェイドを独占したい。

 彼の傍にいることを許せる女性は、自分の他には忠実な部下であるティラだけだ。

「うん。わたしもジェイド以外に見られたくないわ」

 甘えるように胸に頬を寄せると、額に唇が押し当てられる。

 それが不満で、優衣は顔を上げた。

 目を閉じるとすぐに、優しいキス。

 幸福感が胸を満たしていく。

「ティーヌ王国では、まだジェイドを探しているみたい」

 優衣は異世界人なので、あまり重要視されていないようだ。

 もう二度と守護者を得られないあの国では、今でも呪法を生み出すための実験が続けられている。もちろんジェイドも優衣も、それを許す気はない。

「そうか。あの国が歪めた事実を、そろそろ正す必要があるな」

 ジェイドの両親は憎しみ合っていたのではなく、深く愛し合っていた。さらに彼がそのふたりの子どもであること。ふたりが何を願い、それをジェイドに託したのかを、広く知らしめる必要がある。

「そうね。ふたりはあんなに愛し合っていたもの」

 まだまだ先は長いかもしれない。

 でも半分は魔族であるジェイドと、巨大な魔力を受け継いだ優衣は、自分達の寿命が普通の人間とは異なってしまったことに気が付いていた。

 力を得たことによる思わぬ副作用に驚いたけれど、ジェイドをひとりにするわけにはいかないから、これでよかったと思っている。

 ただ魔力を使いすぎると彼の母のようになってしまうからと、よほどのことがないと魔法を使わせてくれないのは困ったものだ。

 でも、時間がたっぷりある。少しずつでも、目標に向かって進めたらそれでいい。

 ふたりで生きていく道は、これから途切れることなく続いていく。

 その果てがどうなるのか、今はまだわからない。志半ばで尽き果てる可能性だってある。

 何もかもが思い通りに動くとは、さすがに思っていなかった。

 でも愛する人の傍で生きるのだから、後悔することだけはけっしてないだろう。

 ジェイドの深い藍色の瞳に見つめられている。それに気が付いて、優衣は花のように微笑んだ。


 



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私を召喚した(無駄に美形な)イジワル魔導師が、いつのまにか最愛の人になりました。 櫻井みこと @sakuraimicoto

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