第20話
ハーフとはいえ、人間とは比べものにならない力を持つルシェー相手に、まさかの上から目線。もしルシェーが本当の魔族なら、この場で殺されてもおかしくはない。
(孤児院上がりの魔導師って、もしかしてジェイドのこと?)
意外と苦労していたのね、と優衣の中で彼の株が急上昇する。
もちろん、そんなことをわざわざ口にしたセクハラ上司のことは、初対面にも関わらず二度と会いたくないリストの殿堂入りだ。
「まぁ、もうお忘れですか?」
そんな殿堂入りに声を掛けてきたのは、驚いたことにミルーティだった。
「殿下が六年前に多額の寄付をしてくださったお陰で、建て替えすることができたあの孤児院ですわ。ふふ、ジェイドを女性と間違えて、跪いて求婚されたこともお忘れでしょうか。私はいまだに覚えています」
「なっ」
案の定、男はすぐに激高した。両脇のふたりの女性を振り切って、ミルーティに詰め寄る。
「お前ごときが、調子に乗るな。誰のお陰でここに居られると思っている」
「もちろん、私を選出者に推薦してくださった、ギータ王弟殿下のお陰です」
選出者、という言葉に力が込められていて、男もその意味を理解したらしい。どんな身分でも、選出者を害したら極刑になる。
そして男は何と王弟だったらしい。
彼は恐ろしい目でミルーティを睨み、守護者の選出が終わったら覚えていろよと言い捨てて去っていく。
(何というか、高貴な身分にしてはチンピラのような人ね)
圧倒的な力を持つルシェーを下に見ていたことといい、所詮小物なのだろう。
(それにしても……)
優衣は、青ざめるどころか挑発的な目で王弟を見返したミルーティを見た。
(さっきのって、ジェイドを庇ったの? まさかね……)
「言っておくけれど、私はジェイドなんて大嫌いよ」
そんな優衣の心の声が聞こえたかのように、ミルーティがそう言う。
「口は悪いし態度も悪いし、孤児院にいる義妹たちを養うため、泣く泣くあんな男の愛人になった十八歳の私に、就職先が決まってよかったな、なんて言うような男よ」
さすがにそれはひどい。
今まで悪役と呼んで嫌っていたミルーティにさえ、同情してしまう。
「でも十歳の頃から魔導師として、私達のために戦ってくれていたことには、少しは恩義を感じているの。だからよ。ただ、それだけ」
そう言い捨てて、彼女はさっさと歩いていってしまった。
「……ツンデレ?」
だが今の話を総合的に考えると、ジェイドとミルーティは同じ孤児院出身だということか。ふたりに共通しているのは性格の悪さだということを考えると、過酷な状況だったのかもしれないと少し同情してしまう。もちろん当人たちは優衣の同情など、鼻で笑いそうだが。
(でもジェイドに跪いて求婚って!)
笑い出しそうになって、慌てて俯く。
たしかに見た目は極上だし、少年だった頃は絶世の美少女に見えたのかもしれない。でも、中身はアレだ。どんな辛辣な言葉を吐いたのかと思うと、それだけで笑えてしまう。
「優衣?」
下を向いて震える優衣に、ルシェーが心配そうに声をかけてくれた。
「大丈夫?」
「……う、うん。ちょっと、笑えて……」
「え、笑う?」
「そう。ジェイドに跪いて求婚している姿を想像してしまって」
「!」
優衣の答えにルシェーも想像してしまったのか、噴き出しそうになっている。
「だめだ。ジェイドの顔を見ても笑ってしまいそうだ」
「それだけはだめよ。堪えて?」
落ち着くまで、ふたりで深呼吸を繰り返した。
「優衣、あとはどうする?」
笑いの発作がようやく収まったあと、周囲を見渡しながらルシェーがそう尋ねてきた。
「挨拶する人とか、まだいる?」
「あ、そうだった」
優衣は慌てて周囲を見渡した。
「マルティに紹介したいと思っていたの。どこにいるかな?」
ホール中を見渡して、ようやくその姿を見つけ出す。ホールの端にいたマルティは、他の魔導師と熱心に話し合いをしていた。
「じゃあ、もう少し後にしようか」
「うん」
そう答えると、ふいに会場内が騒がしくなった。
「え、何?」
咄嗟にルシェーの手を握る。
何か急ぎの知らせが来たらしく、国王と王妃のもとに武装した兵士が駆け寄り、大騒ぎになっていた。
「何かあったみたいね。それも、あまりよくないことが」
この世界に来てから、本当に波乱万丈すぎる。
それでもルシェーは守らなければ。
そう思って、事態を把握しようとして会場を見渡した。マルティや、他の魔導師たちが駆けていく。あのセクハラ上司もとい王弟と国王、王妃はすでに退出したようだが、招待客などは放置されたままだ。
「優衣様」
ふいに名前を呼ぶ声がして、振り返る。そこには控え室にいたはずのティラの姿があった。
「ティラ」
ほっとして、ルシェーの手を引いたまま、彼女のもとに駆け寄る。
「何があったの?」
「辺境の町が、魔族の襲撃を受けて壊滅しました」
「え……」
優衣の顔が青ざめる。
「ジェイド様は他の魔導師とともに、魔族討伐に向かわれました。優衣様はルシェーと一緒に、屋敷に戻っているようにとのことです」
「……」
壊滅。それはひとつの町が、魔族によって絶滅させられたということだ。
魔族がどれほど危険なものか、学んだつもりだった。
襲われたことだってある。あのときの恐怖は、簡単に忘れられるものではない。でも町が壊滅と聞いた途端、今までとは違う恐怖を覚える。
「大丈夫です。優衣様は、私が必ずお守りしますから」
ティラはそう言って恭しく、優衣の手を取った。
「戻りましょう。あの場所はジェイド様の魔力で守られています。ここよりも安全です」
見れば、周りの人達も皆、慌てて会場を後にしている。
(事情の説明もないまま、要人だけがさっさと避難するって、ちょっと勝手よね)
襲われたのは辺境の町であって王都ではない。だから今すぐ危険というわけではないのかもしれないが、警告くらいしてもいいのにと思う。
「さぁ、優衣様」
「うん、帰るわ。ルシェーも行こう」
促す声に頷き、ルシェーの手を引いて、先導するティラの後に続く。
彼女は最短距離で王城を抜けると、堂々と正面に止まっていた馬車にふたりを導いた。三人が乗り込むと、それを待っていたかのように馬車が走り出す。
優衣は馬車の窓からどんどん遠ざかる王城を見つめ、小さく溜息をついた。
(ジェイドがいてくれたら、一瞬で帰れるのに)
そう思った瞬間、自分の考えを振り払うかのように首を振る。
移動魔法。あれは恐ろしいものだ。あの便利さを知ってしまうと、現代に戻ったときにつらくなる。
「くっ……。何て恐ろしいの」
思わず呟くと、ルシェーにしっかりと手を握られた。
「大丈夫。僕は優衣の護衛だから。ちゃんと守ってみせるからね」
恐ろしかったのは移動魔法の便利さだったが、勇気を出して言っただろうルシェーの言葉を訂正することはできない。優衣は曖昧に笑いながら、ありがとうと言うしかなかった。
(そういえば、ルシェーはわたしの護衛だった。忘れていたわ)
そんなことを思ったなんて、絶対に言えない。
王都を出ると、途端に人通りがなくなった。
いつ魔族に襲われるかわからない状況なのだ。
そう思うとゆっくりすることもできなくて、優衣は馬車の中でずっと緊張をしていた。ティラとルシェーが守るとは言ってくれたが、だったら大丈夫と開き直れるほど 図太くはない。
無事に屋敷に戻ったあとも、その緊張は続いたままだった。
ルシェーが気を遣って何かと話しかけてくれたが、なかなか緊張は解けない。自分の気の小ささに呆れてしまうが、平和に慣れきっていた優衣に、魔族の襲撃の話はあまりにも衝撃的だった。
(ジェイドもその町に向かったのよね。大丈夫かな。……うん。ジェイドなら、きっと大丈夫だけど)
あれほど強く、しかも不遜で傲慢な男が、魔族などにやられるわけがない。
そう思うと少し気持ちが楽になって、優衣は目の前に置かれていたクッキーを口にした。さくっとした歯触りと、ナッツの組み合わせがとてもおいしい。
「あ、おいしい」
思わずそう言うと、目の前にいたルシェーが安堵したように表情を緩ませる。
「よかった。たくさんあるからね」
どうやらこれも彼の手造りらしい。
ありがとうと言ってふたつ目を口にする。いつのまにか、テーブルには良い香りのするお茶も置いてあった。
クッキーを食べてお茶を飲む。そんな優衣の姿を見てティラとルシェーがほっとした顔をしていたが、優衣はそれに気が付かなかった。
ルシェーとふたりで夕食を食べ、ティラの手伝いを断って、自分で着替えをして早々にベッドに潜り込む。
もともと貴族の令嬢ではないのだから、普通の着替えくらいはひとりで充分だ。
(眠れないなぁ……)
朝から夜会の準備をしていたので疲れているはずなのに、目が冴えてしまってなかなか眠れない。それでも朝方近くになってようやく寝付いた、と思ったところで、何かの気配を感じて目を覚ました。
「……っ」
思わず飛び起きる。
もう朝方近くだったので、部屋の中の様子はちゃんと見えた。自分の隣に横たわっていたのは、予想した通りの人物で。
(三回目! ありえない! 一応、女性の部屋でわたしのベッドですよ!)
声に出して叫ばなかったのは、時間帯を考慮したからだ。
優衣は慌てて上着を羽織って立ち上がり、自分のベッドで眠っているジェイドを見下ろす。
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