第21話

 たしかにこのベッドはものすごく大きい。ふたりでも余裕すぎるくらいだ。でも屋敷の主人である彼の寝室がないとは言わせない。きっとものすごく豪華で大きいものがあるはずだ。それなのにどうして、こんなところで眠る必要があるのか。

(むむ……)

 どうしてやろうかと考えていた優衣は、ふと彼があまり眠れないと言っていたことを思い出した。よく見れば、いつもよりも疲れているように見える。

(魔族と戦ってきたんだものね)

 ティラの話を思い出し、何だか怒る気もなくなってしまって、その隣に座る。その気配を感じたのか、ジェイドがゆっくりと目を開けた。

「ここ、わたしのベッドですけど」

 目が合った途端、何だか気恥ずかしくなって、優衣はつい、責めるような口調でそう言っていた。

「……知っている」

「知っているなら、ちゃんと自分のベッドに行ってください!」

 声を潜めてそう言うと、ジェイドはうるさいとでも言いたげな顔をして、眉をひそめる。あいかわらず、無駄に美形だ。

「お前は能天気で、単純だ。信じやすいし、騙されやすい」

「ほ、本人の目の前で堂々と悪口とは……」

 いきなりの攻撃に、少しだけ休ませてあげたいなどと思ってしまったことを、本気で後悔した。

「だから、お前の傍だと気が抜ける」

 それで、眠くなってしまう。

 でもそう言われてしまい、どう答えたらいいのかわからずに口を閉ざした。

(ちょっと、その攻撃は卑怯だよ……)

 あのセクハラ上司もとい王弟やミルーティから、彼は孤児院出身だったと聞いたばかり。

 正直、ミルーティに対するあの発言はどうかと思う。それでもみんなのために十歳の頃から魔導師として戦ってきたなんて聞かされると、少しくらいは仕方ないかな、なんて思ってしまう。

 こういう話にあっさりと絆されてしまうところが、能天気で単純だと言われてしまう理由かもしれない。

(ああ、もう。ただでさえあり得ないくらいの美形なのに、設定山盛りなの、本当にやめて。暗い過去のある美形に弱いのよ、昔から!)

 こちらの葛藤などまったく知らずに、目の前のジェイドはまたすぐに眠ってしまったようだ。普段よりも幼く見える寝顔を見つめて、大きく溜息をつく。

(仕方ないなぁ……)

 結局、許してしまうのだ。

 優衣は自分の単純さを笑うように、淡く微笑む。

 昨日は怖くて、あまり眠れなかった。

 でもジェイドがいると思うと、その不安はもう跡形もない。

 極悪非道な魔導師だが、自分を守ってくれるという信頼だけは揺らいだことがなかった。

(何だか安心したら、わたしも眠くなっちゃった)

 眠気のあまり低下した思考回路のまま、優衣はジェイドの隣にころんと転がって目を閉じた。すぐに意識が遠くなり、眠りに落ちていく。

 そのままぐっすりと、昼近くまで眠ってしまったようだ。

 目が覚めるともう隣には誰もいない……と思っていたが、まだジェイドがいた。もう悲鳴を上げることもなく、すっかり慣れてしまった自分が悲しい。

(うーん、いくら眠っているとはいえ、ここで着替えするわけにもいかないよね。でも、お腹空いたなぁ……)

 どうしようかしばらく考えた末、どうせこの屋敷にいるのはティラとルシェーだけだと思い直して、その恰好のまま部屋を出る。

「おはようございます、優衣さ……」

「ゆ、優衣?」

 ふらりと大広間に行くと、ふたりがいた。おはようと軽く挨拶すると、ふたりとも振り返り、ひどく驚いた顔をして立ち上がった。

「まずお着替えを……」

 今まで一度も慌てた様子など見せたことのなかったティラが、ものすごいスピードで近寄ってきてルシェーを跳ね飛ばした。

 ルシェーはわぁぁ、とか細い悲鳴を上げながら床に転がっている。

「うーん、着替えは後でもいいかな。お腹が空いちゃって」

「ですが、その……」

 優衣は自分の姿を見下ろした。別にきわどい恰好ではない。ふつうのネグリジェだ。裾は長いし、レースがついていて可愛い。むしろ休日ならば、こんな楽な恰好でゴロゴロしていたい。こっちのドレスは重すぎる。

「大丈夫。ティラさんとルシェーしかいないし、問題ないよ」

 きっぱりと言い切ると、なぜかようやく起き上がったルシェーがまた撃沈した。

「いえ、ジェイド様もお帰りですので」

「ジェイドなら、向こうでまだ寝ているから大丈夫」

「……」

 ティラはしばらく沈黙していたが、急に考えることを放棄したような清々しい顔で笑った。

「承知いたしました。すぐに食事の用意をいたしますね」

「お願いします」

 今日のご飯は何かなぁ、と呑気に考えながら、落ちているルシェーを見つめる。

「ルシェーはもう食べた?」

「……優衣」

「ん?」

「元気になったみたいだね」

 安堵したように言われて、首を傾げる。

 そう言えば、魔族の襲撃を聞かされたときからずっと怯えていたことを今思い出した。ジェイドが口にしていた、能天気、単純という言葉が頭の中を駆け巡る。

「うん、ごめんね。なんかジェイドの顔を見たら、どうでもよくなっちやった」

 彼がいるから安心した、なんて絶対言いたくない。

「そっか」

 その言葉にルシェーは小さく頷き、寂しそうに笑う。

「わかっていたけど、僕じゃジェイドには敵わないかな」

「何のことかわからんが、お前が俺に勝てるわけがないだろう、ルシェー」

 そんな言葉とともにふたりの間に現れたのは、優衣のベッドで眠っていたはずのジェイドだった。

「わっ」

「ひっ」

 思わず優衣もルシェーも、小さく悲鳴を上げて後ずさる。

「な、何のことかわからないのに自信満々ね」

「聞かなくてもわかる。ルシェーが俺に勝てるはずがない」

 寝乱れた髪のまま、当たり前のようにそんなことを言う彼に、少し悪戯めいた気持ちが沸き起る。

「じゃあルシェーよりもジェイドの方が、クッキーをおいしく焼けるのね?」

「……、……クッキー?」

 あまりにも予想外の答えだったらしく、ジェイドは困惑しながらそう呟く。

「そう。ルシェーの作るクッキーはとてもおいしいの。ジェイドなら、もっとおいしいものを作れるのでしょう?」

 少しでもふたりの会話を聞いていたのなら、まったく違う話だったと気が付くはずだ。だが本当に聞いていなかったようで。ジェイドがそれを指摘することはなかった。

 困った様子を見て少しの間だけ笑うと、彼の腕に手を置く。

「嘘よ。クッキーの話なんかしてないわ。でも、誰だって得意なものと不得意なものがあるよ。だから人は助け合っているんでしょ?」

 ルシェーが何のことを言ったのか、実は優衣もよくわかっていなかった。

でもそのときの彼の声があまりにも切なそうだったから、ルシェーだって(多分)頑張ってるよと伝えたかっただけだ。

 けれどジェイドは、見惚れるほどの美貌を皮肉そうに歪めて笑う。

「助け合いか。この国の人間に助けてもらったことなど、一度もないが」

 その声の冷たさに、思わず息を呑んだ。

 今までだって、いつも不機嫌そうだった。

 こんなふうに、ぞくりとするような冷たさを感じたことは一度もない。

 でも怖さは感じない。

 それよりも何だか切なくて、悲しくなる。

 たしかにジェイドほど強かったら、手助けなど必要ないのかもしれない。でも本当に彼は、今まで一度も誰かに手を差し伸べてもらったことはないのだろうか。

「孤児院でも?」

 思わずそう尋ねてしまうと、ジェイドが瞳を細める。

「どこで聞いた?」

「……えっと、夜会で。王弟? とかに絡まれてしまって」

 正直に答えると、彼はあれか、と呆れたような笑みを浮かべる。

「言葉でしか攻撃できない小物だ。あいつの言うことなど、心に止めておく必要はない」

「うん。それに関してはまるっと同意なんだけど、そのとき、ミルーティさんが反撃していたよ?」

 ジェイドを庇って言ったのだと思う。

 そう告げても、ジェイドの表情から冷酷さが消えることはなかった。

「あの女のせいで魔族に襲われたことを、もう忘れたのか?」

「それは……」

 正直に言ってしまえば、覚えているのは魔族に対する恐怖だけで、他はほぼ忘れかけていた。結果的に無事だったのだ。そう思っているのが伝わったのか、ジェイドは深い溜息をつく。

「本当にお前は騙されやすいな。ミルーティは昔から、自分の行動に後から理由を付けたがる女だ。他に何を言っていた?」

「えっと……。十歳の頃から魔導師として、私達のために戦ってくれていたことに、恩義を感じている、って」

 思い出しながらそう答えると、ジェイドはその美貌に冷たい笑みを浮かべる。

「昔から魔力の強かった俺を、魔族のようだと忌み嫌って追い出そうとしていたのはあの女だ。ギータの愛人に選ばれたときも、皆のためだと言いながら贅沢な暮らしを満喫していた」

「ええ……」

 ミルーティが語っていた美談とはあまりにも違い過ぎて、優衣は困惑する。

「周囲から、王弟に捨てられた愛人として見られることに我慢できずに、選出者に立候補したらしい。選出者となれば、この国では王族と同じくらい尊重される。どうしても選ばれたいのだろうな。お前達にも執拗に嫌がらせをしてきたはずだ」

「うん……」

 たしかにジェイドの言う通りだ。マルティに嫌味を言って、優衣を魔族のいる森に誘導した。

 俯く優衣に、ジェイドはさらに追撃をかける。

「大義名分を掲げているマルティも、所詮は自分のためだ」

「え、マルティも?」

 真剣な眼差しで理想を語り、優衣にも親しく接してくれた彼女が、ミルーティと同じだとは思えない。

優衣は慌てて首を振る。

「マルティは違うよ。だって真剣に、この国のために……」

「あれは功名心の強い女だ。魔導師として名を馳せたかったが、それには実力が伴わないと気が付き、他の方法を模索した。選出者となれば国に名が残る。だが、ミルーティとお前を見て、正攻法では無理だと判断した。そして目指したのが、守護者制度の廃止だ」

「……」

「この国の人間を信じるな。お前が信じてもいいのは、ここにいる三人だけだ」


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