第19話
温泉でジェイドに怯えていたのは、演技だったのかと疑いたくなる。この図太さは、少し見習いたいくらいだ。
「守護者候補を連れてきたって聞いたわ。どんな魔族なの?」
要はそれが聞きたかったらしい。
優衣は首を傾げて思案する。これはどう答えるべきか。
「優しい魔族ですよ」
ルシェーをひとことで表すとしたらそれしかない。だからそう答えると、案の定、ミルーティは馬鹿にしたように笑う。
「優しい、ですって? この状況で優しさが何の役に立つの?」
嘲笑うような笑みを浮かべ、ミルーティは同意を求めるように周囲を見渡す。ふたりの話に注目していたらしい女性達も、失望したような顔をしてこそこそと話をしていた。
「守護者候補すら連れてくることができない女よりはましだろうけど、これでもう勝ちは決まったようなものね」
マルティにも嫌味を言うと、勝ち誇ったような笑みを残して去っていく。
(ほんっとうに、典型的な悪役だわ)
むしろ感心しながら、その後ろ姿を見送る。
「マルティ、ごめんね。何かとばっちりで」
「……いいの。わたしが守護者選出に、何の役にも立っていないのは事実だもの」
優衣は、俯いてしまった彼女を慰めるように言った。
「大丈夫。マルティは、マルティの信念があって選出者になったんだから、あんなの気にすることないよ」
あとでジェイドに言いつけておくから。
そう言うと、ようやくマルティの顔に笑みが戻る。
「ふふ、そうね。わたしは自分の信じたことをやるだけだわ」
マルティは選出者になったことで、この国の重臣と色々話ができるようになったと言っていた。守護者制度の廃止を目指している彼女にとって、それが目的だったのだから、あんな挑発に乗ることはない。
ただ静かに事の成り行きを見守っていたティラが、黙ってミルーティを見つめていたのが少し怖かった。
そんなこともあったが、ようやく夜会の開始時間となった。
王城での夜会はどんなものなのか、少しだけ期待していた。
でも魔族が参加しているので、普通のものではないようだ。仰々しい入場も派手な演出もなく、ただ人々が集まって静かに話をしているだけだった。
(ちょっと拍子抜け……)
静かに聞こえてくる音楽が、どこか物悲しい。
いつもこんなに静かなのだろうか。
マルティに聞くと、今回は守護者が不在なのに開かれた初めての夜会らしく、魔族もこちら側も様子見をしているらしい。
それなら開催しなければいいのにと思うが、魔族を交えた夜会を開催しないと、他国にすぐにそれが知れ渡り、色々と不都合らしいのだ。
今まで独自の守護契約によって他国よりも強い守護者を手に入れ、他国にも強く出ていただけに、守護者が不在の今の状況はかなり危うい。
(どこの世界も、政治って大変よね)
壁に寄りかかって、溜息をつく。
優衣の黒髪はとても目立つらしく、あちこちから視線を感じる。
でも守護者を選出する候補という役目のせいか、もしくは保護者であるジェイドの存在のせいか、声をかけてくる者は誰もいない。
皆、遠巻きに見ているだけだ。
同じ選出者であるマルティが何度か声をかけられているところを見ると、どうやら理由は後者のようだ。
(うん、まあ。あのジェイドだもんね……)
関わらないのが一番だと、優衣だって思う。
そんなことを考えていると、ふいに周囲が騒がしくなった。何事かと思って顔を上げると、ルシェーがこちらに向かってまっすぐに歩いてくる。
彼の歩く先にいる人達は、慌てた様子で道を譲っていた。
やはりルシェーの存在、その魔力は圧巻で、中には青ざめて後ずさる者もいた。
会場内を見渡してみても、他に魔族の姿はない。
彼らは友好的な魔族だが、あまり力は強くないと聞いたので、ルシェーに気圧されているのかもしれない。
「あ、ルシェー」
そんな空気の中、優衣は手を挙げて気軽に彼を呼んだ。
周囲の人達があまりにも怖がっている様子だったので、怖くないよとアピールするつもりだった。でも逆に優衣まで恐ろしそうに見つめられてしまい、複雑な心境になる。
(ルシェーが怖かったら、他の魔族なんてもっと恐ろしいと思うけど)
彼は穏やかで優しく、しかも趣味はお菓子作りなのだ。
「優衣。大丈夫?」
「わたしは全然。ルシェーこそ大丈夫?」
そう声をかけると、彼はこくりと頷いた。
「うん。ジェイドに比べると全然怖くない。普通だった」
「それは……」
比べる対象が悪すぎる。
思わずそう口にしてしまい、ふたりで顔を見合わせて笑い出した。
「優衣」
そうして和やかに話しているところで、声をかけられる。
振り返ると、温泉に連れて行ってもらったあの王妃が、にこやかにこちらを見ていた。
「よく来てくれましたね。その方が、守護者候補の?」
「あ、はい。ルシェーです」
マルティにならまだしも、ルシェーをただの護衛だと説明することはできない。仕方なく守護者候補として紹介する。
ルシェーは視線を王妃たちに向けた。
おそらく紹介されたのだから、自分も挨拶をしようとしたのだろう。
だがその強い魔力を秘めた瞳で見つめられ、王妃はびくりと身体を震わせる。すかさず警備兵が駆け寄り、周囲は物々しい雰囲気になった。
周囲から上がる悲鳴。
でも驚いたのは王妃だけではない。
挨拶しようとしただけで、急に敵意を向けられたルシェーも戸惑い、怯えていた。
優衣は咄嗟に手を伸ばして、ルシェーを守るように抱きかかえる。
「大丈夫だから。ね?」
ジェイドは、彼の力が不安定だと言っていた。ここでもし、その力が暴走したら大変だと思ったのだ。それは正解だったらしく、強張っていた彼の背から力が抜ける。
「……ありがとう、優衣」
「ううん。巻き込んだのはわたしだもの」
ひとりでは不安だったとはいえ、ルシェーをこんなところまで連れてきてしまったのは間違いだった。そう反省していると、彼は笑みを浮かべる。
「違うよ。ジェイドだ」
「そうね。本当にその通りだわ」
全部、ジェイドのせい。
そういうことにしてしまおう。
顔を見合わせて、笑い合う。
ふたりのやりとりに、ようやく王妃も我に返ったらしく、慌てた様子で警備兵を追い払った。守護者候補に敵意を向けてはいけないなどと言っていたようだが、やはり彼女たちも心の奥底では魔族を恐れている。
「優衣、ありがとう」
王妃にお礼を言われて、首を傾げる。
どうやら今のが、激高しようとしたルシェーを宥めて、王妃たちを守ったように見えたらしい。
宥めたのは本当だが、ルシェーは激高したのではなく怯えていたのだ。
でもそれをわざわざ伝える必要はない。
ルシェーの力が強いのは間違いないだけに、変につけ込まれて利用されてしまうかもしれない。
彼は護衛のはずだったが、今のところ優衣に危険はない。ルシェーを恐れて、他の魔族も遠巻きにこちらを伺っているくらいだ。
「心配しないで。ルシェーはわたしが守るからね!」
力強くそう言った優衣に、ルシェーは何とも言えないような、複雑そうな顔をする。
「う、うん。ありがと……」
ふたりはそんな話を他の人に聞かれないように、寄り添って小声で話し合っていた。その様子を見て勘違いしてしまったのか、王妃は微笑んでこう言った。
「あなたたちの間には、もう信頼関係が築かれているようですね。力も申し分ないようですし、次の守護者が決まるのも、時間の問題ですね」
安堵したように言われてしまうと、即座に否定することもできない。王家の人間はみな、守護者が無事に決まることを心待ちにしているに違いない。
「あはは。でも、他にも守護者候補がいるようですし」
曖昧な笑顔は、社会人として生活している間に身についたものだ。それを駆使して微笑む。
「ええ、ミルーティも候補者を連れてきたようですね」
どんな魔族だろうと、少し興味が沸く。
会った瞬間襲ってこない魔族と、優衣も話をしてみたかった。
(そういえば、マルティはどうしたのかな?)
王妃の前を辞して、優衣はひとりで参加していた彼女にルシェーを紹介しようと思い立つ。彼女はどこにいるだろう。
「お前が異世界から来た女か」
周囲を見渡していると、ふと背後から声を掛けられた。
振り返ると、そこに立っていたのは大柄な男性だ。両手に美しい女性を抱えている。
(う、うわぁ。これはまた、いかにもな人が……)
たとえるなら、軽薄そうなセクハラ上司。外見は整っていると言えなくもないが、優衣の全身を舐め回すように見つめる視線といい、あまり関わり合いになりたいタイプではない。
(誰ですか?)
そう尋ねたいが、服装や周囲の人達の態度からして、かなり身分の高い人のようだ。優衣が異世界から来たということは知っているようだが、知らないと言えば激高しそうな、とても面倒くさそうな雰囲気を漂わせている。
とりあえず慌てたふりをして頭を下げる。これでひとまず大丈夫だろう。
男は横柄な態度で頷き、視線を傍らのルシェーに向けた。
(ルシェー、大丈夫だからね)
反射的に手を握る。ルシェーは縋るように優衣の手を掴んでいた。
「ふん、火竜か。少しは使えそうだな。孤児院上がりの魔導師でも、たまには役に立つこともあるようだな。どこの孤児院は知らぬが」
優衣は驚いて、その男を見つめた。
(中身も本当にセクハラ上司みたいなやつだった。こんなファンタジーな世界にもいるんだぁ……)
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