第14話

「……」

 ふと、マルティが真顔になった。

しばらく考え込んだあとに、そうね、と小さく呟く。

「優衣はこの世界の人間じゃないもの。知らないのも当然よね。でも、それに関する本はないわ。昔は少しあったかもしれないけれど、二十四年前にすべて焼き払われたの」

「え」

 本を焼き払うなんて尋常ではない。優衣は息を呑む。

「あなたには、その理由を話しておいたほうがいいかもしれない」

 そう言ったマルティの顔があまりにも真剣で、優衣は戸惑う。

「それ、わたしが聞いても大丈夫なの? マルティさんが危険になったりしない?」

 慌ててそう聞くと、マルティはくすりと笑う。

「本当にあなたって、平和というかお人好しというか。穏やかな世界で生きてきたのね。私なら大丈夫。だから聞いて」

「……うん」

 立ち話をするわけにはいかないと、ふたりは優衣が借りている個室に入る。向かい合わせに座ると、マルティは話し出した。

「人間と魔族の間に子どもができることは、稀にあるわ。でも、無事に産まれる割合はとても低いらしいの。理由はよくわかっていないけれど、たぶん魔族の血を引く子どもの魔力が強すぎて、母親の身体が耐えられないから。だから子どもができても、母親と一緒に亡くなってしまうことが多いと言われているわ」

「そ、そうなんだ……。守護者と選出者の間でも?」

「ええ。選出者の命を守るために、子どもを捨てたり殺したりすることもある。魔族は生存本能が強いけれど、守護契約を結ぶとその気持ちもなくなるらしいわ。ただ相手を愛し、住まう国を守るの」

 それは本当に愛なのだろうか。

 優衣は疑問に思う。

(どっちかというと、洗脳とか精神支配に近いような……)

 あの恐ろしい魔族をそこまで変えてしまうのは、本当に愛だけなのだろうか。

「ちょっと不自然、だよね?」

 思わずそう言うと、マルティは不思議そうな顔をする。この国の人間にとっては、それが当たり前のことなのか。

「無事に産まれることもあるらしいわ。でも力は不安定で、暴走の危険があるから、人間の街では暮らせないわ」

 ハーフは不安定だとジェイドも言っていた。人のよさそうなルシェーの顔を思い出して、少し切なくなる。

「ハーフについての本がすべて焼き捨てられたのは、二十四年前のある事件のせい。そのことは今でも禁忌になっているから、他で話したり、聞いたりしてはだめよ」

 マルティが、少しだけ声を潜めてそう言った。

「そんな話を、わたしが聞いてもいいの?」

「選出者には無関係な話ではないから。あなたは黒髪だし、魔族を引き寄せるからね」

 そう言って、語り出す。

「二十四年前、王妹殿下が、魔王に攫われたの。魔族は美しいものが好きだから、王妹殿下の美貌に目をつけたのね。王妹殿下はあまりにも美しくて、一度見た者は魂を抜かれたようになったらしいわ」

 優衣は、対面した国王の顔を思い出す。たしかに堂々とした偉丈夫だったが、それほど可憐で美しい妹がいたのかと驚いた。

「そのとき、守護者はいなかったの?」

「もちろんいたわ。でも、魔王のほうが遥かに強かった。それでも王妹殿下は、優れた魔導師でもあった。この大陸の中でも、彼女を凌ぐ者はいないと言われているほどの魔力を持っていたの」

 彼女は、ただ助けを待つだけのお姫様ではなかった。

 魔王と凄まじい戦いを繰り広げ、何とか隙をついて倒したらしい。

「す、すごいね。人間が魔族を……。しかも魔族の王を倒せるなんて」

 どれほど強い魔導師だったのだろう。

 思わずそう言うと、マルティの顔が曇った。

「でも、王妹殿下も無事ではなかった。国中から集めた精鋭部隊が何とか救出したあと、王妹殿下は、魔王の子を身籠っていたことがわかったそうよ」

「!」

 そう、魔族と人間のハーフの話をしていたのだと思い出す。

 だが、マルティの話はあまりにも衝撃的だった。

「王妹殿下の魔力は人としての限界を遥かに超えていたから、魔王の子どもを産むことができたのね。でも、それが限界だった。王妹殿下は出産で命を落とし、その子どもも死んだみたい。国王陛下は魔族と人間のハーフに関する本をすべて焼き払ったの」

 それだけ憤っていたのだろう。

「私に話せるのはここまでよ。優衣も充分、気を付けてね。魔族に襲われたら最後よ。あなたは黒髪だから、危険度は私達よりも高いわ。王妹殿下も美しい黒髪の女性だったから。」

「……ええ。ありがとう」

 あまりにも衝撃的すぎて、それしか言えなかった。

 マルティが去ったあと、優衣はひとりで考え込んでいた。

 この国には、こんなにも壮絶な過去があったのだ。

 最初の審議会で会った国王の顔を思い出す。そんなことがあったのなら、国がより強い守護者を求めるのは、仕方がないのかもしれない。

(でも……)

 優衣は考える。

 マルティの話は衝撃的だったが、いくつかの疑問が残った。

 まず、守護契約とは本当に安全なものなのだろうか。相手を支配して、自分の思うままに動かす洗脳のようなものに思える。

(何かまだ、隠された真実がありそうね)

 国王がすべて焼き払ったという本に、真実が書いてあった可能性もある。

(それに契約さえ結んでしまえば大丈夫って、やっぱりこの守護契約って、相手の魔族の意志を奪うものだったりして)

 いくら相手が魔族でも、そんなことはしたくない。もっと詳しく知りたいと思うが、そんなことが本に書いてあるとは思えない。

「ジェイドに聞いても、答えてくれるはずないよね」

 思わずぼつりと呟くと、背後から声がした。

「何をだ?」

「それは、守護……」

 はっとして顔を上げると、いつの間にか目の前にジェイドがいた。

 優衣は唖然として、存在することが不思議なくらい綺麗な顔を見上げる。

 いつも彼と別行動をすると、本当に迎えに来てくれるか心配になる。

 別れた瞬間、あっさりと存在を忘れ去られそうだと思っていた。だからこうして約束の時間前に、ちゃんと迎えに来てくれたことが嬉しい。

「ありがとう。迎えにきてくれたのね」

 思わず笑みを向けると、ジェイドは少し戸惑ったように視線を反らした。いつものように不遜な顔をすると思っていた優衣は、その反応に驚く。

(え、何それ……。不意打ちはやめてください……)

 もともと恐ろしいくらいに整った美貌だけに、心臓に悪い。

「何か聞きたいことがあるのか?」

「え……と……」

 わざわざ彼が、ありえないほど親切にそう聞いてくれているのに、優衣は躊躇ってしまった。

(マルティさんから聞いたって、話しても大丈夫なのかな。うーん、禁忌だって言っていたし……)

 彼女に害が及ぶようなことになったら、大変だ。そう思って優衣は、何でもないと首を振る。

「ううん、大丈夫! 何でもないよ!」 

思わず彼から離れるようにして後退りする。それが、やましいことがあると伝えていることに、優衣は気が付いていなかった。

「遠慮しなくてもいい。聞きたいことがあるのだろう?」 

声と言葉は優しいが、その瞳の奥底には警戒の色がある。優衣が何かを隠していると見破ったようだ。

(ど、どうしよう……)

 適当なことを言って誤魔化そうとしても、それができる相手ではない。後退する優衣を追い詰めるように、ジェイドは距離を詰めてくる。

(というか、無駄に綺麗な顔だなぁ、本当に……)

 その笑顔がとても怖いのに、どきりとするという、どう反応したらいいのかわからない感情に支配される。

「さあ、話してみろ」

 ジェイドはそんなことを言いながら、優衣の腰に手を回して抱き寄せた。

(ちょっ……。近い近い! 今までそんな素振りなんて見せなかったくせに、なんで急に接近してくるの?)

 パニックになりながら暴れると、耳もとで笑う声がした。

 いちいち色っぽいのでやめてほしい。

「ち、違うの。わたしはただ、心配になったから!」

 両手を突っ張ってジェイドから必死に離れようとしながら、ほとんど叫ぶようにしてそう言った。

「心配?」

「そう。もし万が一奇跡が起きて、わたしが魔族と守護契約を結べたら、本当に帰れるのかなって」

 もしかしたら嘘かもしれないと思ったと、正直に告げる。

 言うしかなかった。

「なるほど。俺の言葉を疑ったわけか」

「疑ったって言うか。大丈夫かなって思っただけで……」

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