第9話 純愛〜after story②〜marry me

 耳触りのいいその声が、好きだと思った。それ程好きではなかった英語の授業が苦痛でなくなる程度には。


「なんか違う」

 書き始めたラブレターを読み返したら、赤面するほど恥ずかしい。かっこよく書こうとして失敗している気がするな。

 苦痛でなくなるって何だ?

 もう最初っから好きだったくせに。

 若かったあの頃を思い出す。

「書き直そ」

 声は好きだったな、流暢な発音で教科書を読む姿が忘れられない。もちろん顔も仕草も、全部好きだった。

 違う、過去形じゃなくて今でも好きだ。

「うわ、だめだ書けない」

 明日にしようと、万年筆を置いた。



 文章を書くのは苦手だけれど、手紙を書くのは割と好きだ。というか、好きになった。

 貴女に告白して「三年待って」と言われたあの日から、手紙を書き始めた。

 連絡先を交換したから、スマーフォンでメッセージを送ることは出来るけど、すぐに読まれてしまうのがなんとなく恥ずかしくて、手紙という手段を取った。

 今日何をしたとか、何を食べたとか簡単なものだったけど、貴女も律儀に返事をくれた。

 声が聞きたくて、我慢できずに電話をしてしまった事も、時にはあったけれど。


『三年待つ』という約束を守り再会し、私たちは付き合い始めた。

 私は医大へ進学し貴女は島での生活なので、頻繁には会えなかったけれど。

 デートの日時や待ち合わせの場所を決めるためにメッセージアプリを使い始めたら、さすがに手紙の書く頻度は減っていった。私はバイトを始めた事もあり書く時間も余裕もなくなっていたのだ。


 久しぶりに、それも一世一代のラブレターを書こうと思っている。

 だからなかなか上手く書けない。

 貴女に出逢ってからの五年間の想いを伝えたい。

 あと少しで私は二十歳になる。

 その時に渡そうと思っている。



 今私は、最後の一文に悩んでいる。

 あれこれ書いてみたが、しっくりこない。

 今日はもう無理だな、また明日考えてみよう。




※※※



「大学の方はどう?」

「楽しいよ」

 初めてのデートは、梅雨に入った頃だった。雨予報だったため、映画を観てカフェに入った。

「医大なんて未知の世界だわ、勉強ばっかりやってるイメージだけど」

「まだ一年次だからそうでもないよ」

「六年もあるんだもんね、大変そう」

「先輩の話を聞くと、最後の臨床実習は忙しいみたいだね」

 まだ先の話なので実感はないのだけど。


「ゆみこさんの方は?」

「こっちも楽しいよ、あと一年だから思い残すことがないようにしたくて」

「そっか」

 先生として張り切っている姿が目に浮かぶ。

 島への赴任は最初から四年間という事が決まっていて、来年には戻ってくるという。

「一口食べる?」

「え?」

 唐突に聞かれたから驚いたけど、どうやら私は貴女のケーキをジッと見ていたらしい。

 顔を見つめるのが恥ずかしくて、手元を見ていただけなのに。

 でも。

「あーん」なんてされたら、思わず口を開けてしまう。美味しそうなイチゴを食べさせてくれる、優しいな。

 お返しに、私が頼んだガトーショコラを食べさせる。必然的に口元を見つめる形となり、咀嚼して形が変わる唇に視線がくぎ付けとなり勝手に顔が熱くなる。


「やっぱりチョコは好きなんだね」

 その言葉が意味する事に思い当たり、ごめんなさいと謝る。

「ううん、嬉しいの」と微笑んだ。

 中学三年生のバレンタインにチョコが嫌いと嘘をついた事、本当は貴女にあげるつもりだった事は手紙で告白していて、その年のバレンタインには手作りのチョコを贈った。

「今年も贈るね」と言うと、さらに目尻が下がり、片側の頬にエクボが出来た。


 ずっと見ていたいと思う反面、さっきからドキドキが止まらずにいる。ホントにこの人は心臓に悪い。視線をズラし窓の外を見た。

「雨、止まないね」

 もしもこのまま降り続いたなら……

「このくらいならフェリーは大丈夫そうね」

「……なっ」

 なんで分かるの、このままフェリーが欠航になればずっと一緒にいられるなんて思ったこと。

 貴女は、雨を見つめたまま小さなため息を吐いた。

 もしかしたら--

 貴女も同じように欠航を願っている?


「そろそろ出ようか」

 真相は分からないまま、レジへと向かった。





 夏--夏休みだからといって遊びまくれるわけではなく。

 それでも予定を擦り合わし、美術館デートにこぎつけた。

 外は暑いから、涼しい場所ならどこでも良かったのだけど、静かにゆったり流れる時間が心地良かった。


「少し痩せた?」

 貴女の言葉に喜んだのに。

「ちゃんと食べてる?」と続いた言葉に、さっきのは褒め言葉じゃなかったのかと落胆した。

「いっぱい食べてね、野菜も残さないでね」

 ランチで入ったパスタ屋さんで、お代わりする? なんて、まるで子供扱いだ。

「私を太らせたいの?」

「前は健康的だったじゃない」

「中学の時の話しないでよ」

 何年前の話だよ、今じゃ身長だって私の方が高いのに。

「そういえば、今日はメイクしてるの?」

「そりゃするでしょ」

「素のままでも、全然いいのに。日焼けも全然してないね」

 --なんだか。

「先生は私を中学生に戻したいんですか?」

 敢えて、先生という言葉と敬語を使って拗ねてみせる。

「あの頃、可愛かったもの」と満面の笑みで言われてもなぁ。

「今は?」

「今は綺麗よ」

「え--」

 思いがけない言葉にフォークを落としそうになる。

「気付いてないの? さっきから注目集めてるの」

 それは、貴女が見られてるんだよ。

「よく声とかかけられるんじゃない?」

「声?」

「ナンパとか」

「ないよ、普段はメイクしないし」

「そう」

 誰のために、気合い入れて化粧をしてきたと思っているのか。

 早く、貴女に相応しい大人になりたい。


 食後のコーヒーを飲み、会話が途切れた時。

「お食事中すみません」

 二人の女子高生が声をかけてきた。

「はい」

岐城きしろ先輩ですよね?」

「あぁ、はい」

「握手してもらってもいいですか?」

「どうぞ」

 二人は握手をすると戻って行った。


「へぇ」

 そう言ったきり、黙って見つめられた。

「高校の後輩だと思う」

 責められてる気がして、何でもないことをアピールする。

「岐城センパイ、人気者なんだ」

「生徒会長してたから目立ってただけだよ」

「ふぅん」

「何ですか」

「そんな顔するんだと思って」

 どんな顔してた? 普通に対応したつもりだけど、まさかニヤけてないよね。

「どんな?」

「普通の顔」

 あぁ、良かった。

「普通に、ああいうことあるの? 慣れてるみたいだったけど」

「女子校の中ではね、ただの憧れだよ」

 限られた空間の中の疑似恋愛のようなもので、一時的なもの。

 私が貴女に対する感情とは全くの別物だ。


 夜はバイトがあるため、早めに帰らなければならない。

 駅まで一緒に歩くけれど、いつもより会話が少ない。

「暑いね」

「そうね……でも手--」

 小さな声だったので聞き逃さないように近づいた。

「--繋ぎたいな」

 俯きかげんだったので表情が見えないけれど、耳が赤くなっていた。

「はい」

 そっと触れてきた手を絡めとるように握りしめた。


 一人の電車内、スマホの通知を見ればさっき別れた貴女からで。

『握手はいいけど、手を繋ぐのは私だけにしてね』

 なんだ、やきもち焼いてくれてたのかと嬉しくなって、今度は本当にニヤけてしまった。




 年末が近づいてくる。

 そろそろ来年度の事も考える時期。

 そして、恋人たちのイベントもある時期。


 先生というものは、学期末は何かと忙しいらしい。

 なので、今回は私が島へ会いに行く。

 期待してもいいんだろうか、しちゃうよね、クリスマスだもん。

 月に一度くらいのペースでデートを重ねてきたけれど、未だに手を繋ぐ以上の進展がない。キスはたった一度、あの再会した日に一瞬触れただけ。

 会えば、一緒にいられるだけで多幸感があるけれど、一人になった時の寂しさに、もっと求めたくなる。触れあいたくなる。貴女はそうじゃないの?


 フェリーを降りたらすぐに見つけた。小さく手を振る優しい笑顔の人。

「いらっしゃい。船、大丈夫だった?」

「また子供扱いする、そんな長い時間じゃないし酔わないよ」

 貴女に会えるなら、たとえ船酔いするとしてもそんなの大した問題じゃない。

「何もないところだけど」

「そんなこと言ったら失礼でしょ」

 貴女がここの人たちを大好きなのは知っているし、何よりここには貴女がいるのだから。

「そうね、いいところよ」

 嬉しそうに笑う。


 貴女の部屋へ荷物を置いて、夕食は食べに出る事になった。

「広いね、泊まってもいいんだよね」

「いいよ、お布団もあるから」

 教員の宿舎だというけれど、元々は旅館だったようで、お客様用に布団もあるらしい。

「なくてもいいのになぁ」

 聞こえるか聞こえない程度の声で口にした。

「なぁに、何か言った?」

「なんでもない」


「ん〜美味しい」

「まぁ、クリスマスっぽくはないけどね」

 チキンとかではなく海の幸が盛りだくさんなのだ。

「いやいや、地元のお料理は最高だよ。ゆみこさん、ありがとう」

 お腹も心も満たされてお店を出ると、すっかり暗くなっていた。あまり街灯もなくて海の方は当然暗闇で、そして静かだ。やっぱり街とは違うんだなぁと少し不安になる。

 それでも隣には貴女がいて、懐中電灯を取り出した。

「うわ、準備万端」

「ふふ、何年ここで暮らしてると思ってんの?」

「こんなに大きなの、初めて見た」

「そうね、古そうね。宿舎に置いてあったのよ、台風とかでも停電になること多いから必需品よね」

 大きいだけあって、明るくて。

 手を繋ぎながら歩く夜道は、全く不安じゃなくなっていた。


「少し寄り道していい?」

「はい、もちろん」

 二人でなら、このままずっとどこまでも歩いていける。

 しばらく歩いた後、貴女は電気を消した。

「こっち来て」

 真っ暗な中、貴女の声が響く。まるでこの世界には二人しかいないような錯覚に陥る。

 数歩前に歩く。

「うわぁ」

 突然、目の前に広がる眩い光。

「凄いでしょ」

「船?」

「そう、この時期だけ電飾着けるの」

 堤防に並ぶ船の煌びやかなイルミネーション。

「綺麗」

「綺麗ね」

 貴女と過ごす初めてのクリスマスに、心が震えるってこういうことなんだと知った。

「最高です」

 繋いだ手に力を込めた。





 宿舎に戻って、貴女が買ってくれていたケーキを食べて、プレゼントを交換する。

 私はマフラーと手袋を。

「島の冬は寒いって聞いたから暖かく過ごして欲しくて」

「ありがとう、そういう優しいところ好きよ」


 貴女からは、イヤリングを貰った。

「いいの?」

「そんなに高価じゃないから大丈夫よ、それに実は」

 そう言って、もう一つ取り出した。

「私のも買っちゃった」

「え、お揃い?」

「そう、離れていても寂しくないかなって」

「それ、むちゃくちゃ嬉しい」


 やっぱりクリスマスは特別な日だ。こんなに幸せな気持ちになれるんだもん。

 気分を良くした私は、以前から考えていたことを切り出した。

「ゆみこさん、来年度の赴任先決まったら、一緒に暮らそ?」

「えっ?」

「私もニ年になるし通学時間を考えて家を出ようと思ってるの、一緒に住んだら家賃とか節約出来るでしょ」

 貴女の具体的な異動先は決まっていないけど市内になるのは確実らしいから。

「何言ってるの、ダメよ」

「なんで、その方が効率的だよ?」

 断られるなんて思ってもみなかった。だから何かしら理由を付けたかった。

「そういう事じゃなくて。だって、まだ--」

「まだ、何? 未成年だから? 好きって言ってくれたのに、あれは嘘だったの?」

 こういうところが子供なんだろうか、大きな声を出してしまった。でも、だって、いつまで待てばいいの?

 さっきまでの幸せな気持ちは一気に萎んで、貴女は困ったような顔をして、その夜は別々の布団で眠った。


 翌日貴女は仕事があり学校へ行った。私はお昼の便のフェリーで帰る。長閑な風景を写真に収めながらゆっくりと歩いた。

「久美」

 出航時間の少し前、自転車でやってきた。

「わざわざ見送りなんていいのに」

 たぶん、お昼休みに抜けて来てくれたんだと思う。少し息が荒い。

「せっかく来てくれたのに、ごめん」

「会えただけで……」

 嬉しい、という言葉は涙が邪魔して言えなかったけど伝わったようで、抱きしめてくれた。

「また連絡するね、これからの事はゆっくり話そ」

「はい」

 ずっと一緒にいられるわけではないから、最後は笑顔で別れたい。

 今回は泣き笑いになってしまったけど、しっかり手を振った。振り返してくれた手には私がプレゼントした手袋がはめてあった。




「あれ岐城きしろ、またうどん食べてるの?」

「うん、好きなんだよね。安いしさ」

 学食で声をかけてきたのは同期のゆいだった。

 医学部は女子学生が少ないので話す機会が多く、その中でも気が合う子の一人だ。

「そんなに苦しいの?」

「ん?」

「バイトも毎日してるんでしょ?」

「毎日ではないけどね」

 唯には、家が母子家庭であるという事情は話してある。奨学金制度も利用しているから学費はなんとか大丈夫ではあるけれど。

「週5?」

「週6」

「ほぼ毎日か、それでよくあの成績保ってるね。まぁいいや、週1の空いてる日に合コン行こうよ」

「無理、デートだから」

「はっ? 嘘、岐城に相手がいるなんて。いいなぁ、いつ、どこで出逢うの?」

「私の場合は、中学」

「あ、同級生かぁ」

「いや、先生」

「はぁ? やば。いくつ上なの?」

「十歳かな」

「まじか、へぇぇ。先生が生徒に手ぇ出しちゃったかぁ、いや、いいと思うよ、うん」

「出されてない、まだ」

「は? 出した方?」

「出してない、まだ」

「はぁ? あ、そ。じゃ、合コン……」

「行かない」

「あ、そ。まぁ、いいや。がんばれー」


 何度か話し合い、一緒に暮らすという私の野望は先送りとなった。私には一人暮らしをする余裕はなく、実家から大学へ通っている。片道一時間ちょい。

 バイトが入っていない日で、ゆみこさんの予定がない日には会いに行っている。大学から近いのでご飯を食べたり、たまには部屋にお邪魔したり。

 今までよりも頻回に会えるから嬉しいのだけど、最近笑顔が少なくなった気がしている。最初は私が何か気に障る事をしてしまったかと思ったけれど、そうじゃないみたいで。

 基本的に仕事の話はあまりしないのだけど、時々、ホントにごくたまに愚痴ることもあって。島と違って、人数も多いし先生同士の人間関係も難しいのかもしれない。まだ大学生の私には相談に乗れないと思われてるのかな。

 そろそろ夏休みだから、貴女のストレスが少しは軽くなるといいなと願っている。


 今日はバイトの日だから、帰ったら電話してみよう。




「今日は団体さまが多いな」

「週末だしね」

 バイト先の居酒屋は、夏本番の暑さもあってビールの売れ行きが好調だった。

 私は奥の座敷の団体が気になっていた。入店の時にチラッと見かけたのは、間違いなく貴女で。学期末だから学校の先生たちの集まりのようだった。

 入店からニ時間程、奥の座敷から新たにお酒とソフトドリンクの注文が入った。ちょうど手が空いていたので届けに行く。ガヤガヤとした賑わいの中、隅の方から微かに聞き慣れた声がする。

「やめてください教頭」と。

 飲み物は適当な場所に置いて近づく。

「お客様お止めください」

「なんだ君は」

 貴女は驚いた顔をしていたが無視して、絡もうとしていた教頭らしき人に相対した。

「嫌がってますよね?」

「なんだと」

 相当お酒が入っている様子で、掴みかかられそうな勢いだった。

「教頭先生、その子は」

 貴女の言葉を制して。

「へぇ教頭先生ですか、私の兄の知り合いに教育委員会の人がいまして、確か名前はえっと何だったかなぁ、あ、そうそう--」

「あぁ、そうだ、トイレに行きたかったんだった」

 そそくさと逃げに入った教頭を見送り、放っておいた飲み物を配った。一瞬ゆみこさんと目が合ったけど何も言わずに厨房に戻る。

 その後すぐにお開きになったようで、15分後には片付けに入った。それが終わってレジに入って少しした頃、貴女が戻ってきた。私に近づいて小さな声で「何時まで?」と聞いてきた。

「今日は十時かな」

「向かいのファミレスで待ってるから、終わったら来て」

「はい」

 少し、いやかなり怒っている感じだったから、素直に返事をした。怒られるような事はしていない、つもりなんだけどな。


 店長に頼んで、少し早めに帰らせて貰った。ファミレスへ行くと約束通り待っていてくれた。

「少し話したいから、家へ来てくれる?」

 あぁやっぱり。お説教されるパターンじゃないか、これ。


「あの、今日はごめんなさい。私のせいで立場が悪くなったとか?」

 怒られる前に先に謝ったのだけど。

「その事については、先にお礼を言わなきゃね。助けてくれてありがとう」

 あ、そうなの。

「でも無茶しちゃダメよ、あなたに何かあったら嫌だもの、それにあんな嘘ついて」

「嘘?」

「お兄さんなんていないでしょ」

「さすが、先生! 家の事情バレバレかぁ」

 笑って欲しかったのに、やっぱり暗い顔だ。

「バイト、いつも遅くまでしてるの?」

「いつもは九時くらいで帰れるかな、今日は忙しくて」

「それでも家に着くのは十時過ぎるじゃないの。危ないわよ」

「うち、駅から近いし大丈夫だよ」

「そういう油断が危ないのよ」

 なんなんだ一体、今日は私だってイラついてるんだよ、いつもだったら笑って流せることも、心配してくれてるんだなぁって喜ぶところでも、今日はちょっと無理かも。

「だったら、一緒に暮らしてよ」

「それは散々話し合ったでしょ」

「だったらキスして」

「え」

「ちゃんと好きだって確証が欲しい、あと半年もすれば二十歳なんだよ、少しくらいいいでしょ、そんなに怖いの? 元生徒だから? 女だから? 私とのこと本気じゃないの?」

 いつの間にか詰め寄っていた。壁際に追い詰めていた。出会った頃とは違い、体格も力も私の方が上だ。このまま力づくで……

「アイツだって触ってたよね」

 さっきの教頭とやら、無理矢理ゆみこさんの身体に触れてた。私はずっと我慢してるのに。

 顔を近づけると、諦めたように目を閉じた。いいの? しても。

 数秒の躊躇いの後、私は……後退った。

「ごめんなさい」



 傷つけたいわけじゃない。無理矢理触れたって意味がない。

 わかっている。貴女が守ろうとしているのは、自分じゃなくて私の事だってこと。


「ごめんなさい、今日は帰ります」

「待って、遅いから今日は泊まって。お家の人には私から話すから」


 布団を並べて敷いて隣で眠った、ふりをした。貴女も気づいていたと思う。

「もう寝ちゃった?」

 小さな声でゆっくりと話してくれた。

「あなたの事大切なのは本当よ、でも私は弱いから怖いの。誰かに知られることもだけど、本当に怖いのはあなたの気持ちが離れてしまうことなの。人の気持ちは変わるから。いつだったか、あなたの後輩が声をかけた時に言ってわよね、単なる憧れのようなものだって。いつかあなたが大人になって私への気持ちがただ憧れていただけだって気付いたとしたら、それが怖いの。私はあなたの事を本当に……臆病者でごめんなさい」


 大人になるって大変なんだな、もっと単純に考えてくれてもいいのに。どうして私の気持ちが離れるなんて思うのか。

 私のことを信じてもらうためにどうしたらいいのか、どうせ眠れないのだからずっと考え続けた。

 もしも心が心臓にあるのなら、この胸を切り開いて見せるのに。

 ねぇ先生ならわかるんじゃない? 単なる憧れでこんなに長く想い続けるなんて出来ないと思わない?


 夜通し考えた結論、私の気持ちが本物だということを証明しよう。

 私が二十歳を迎えた時、もう一度口説き落とす。大人の自覚と責任を持ち、私の意思で。

 手段として選んだのがラブレターだ。



 それから私は、一世一代のラブレター作成に取り組んだ。大学の課題よりも真剣に。だがこれが、課題よりもなかなかに難しいのだった。



「ねぇ岐城、あれ進んでる?」

「心臓外科のレポートだったら、もう提出したよ」

「それじゃなくて、LLの方」

「エルエル?」

「love letter 略してLL」

「ちっ」

 唯にバレてしまったのが運の尽きか。

「それがさ、悩んでるんだ」

「お、珍しく素直じゃん」

「最後の一文が決まらなくて、ねぇ絶対堕ちる口説き文句って何?」

「馬鹿なの? そんなの人に聞いてどうすんの?」

「まぁそうか」

「それよりさ、成人式は振袖着るの?」

「あぁ、今週だっけ」

 季節は冬になっていた。




「いらっしゃーーえ、そのまま来たの?」

「振袖姿、見たいかと思って」

「うん、見たかった」


 成人式ーー今は二十歳の集いと言うらしい、その式典を終え、母への挨拶も済ませて、貴女に会いに来た。着替える暇も惜しかったから、そのままの格好で。

「皆んなの写真もあるよ、皆んなも先生 に会いたいって言ってたけど全力で阻止した」

「えぇ、来てくれても良かったのに」

「え?」

「嘘よ、二人でお祝いする約束だったもんね」

 私が膨れたら笑顔になっちゃって、ほんとになんというか、可愛らしい。


「お母さんには挨拶してきた?」

「もちろん、二十年間ありがとうございましたって言ったら泣いてた」

「そうよね」

「ゆみこさんにも、挨拶しても?」

「え、私?」

「だって先生だったでしょ、ありがとうございました、無事に大人の仲間入りが出来ました。誕生日はあと少し先だけどね」

「早生まれだったわね、今日はノンアルで乾杯ね」

「はぁい」

「素直でよろしい、誕生日にはちゃんと乾杯ね」

「え、誕生日にもお祝いしてくれるの?」

「当たり前じゃない」

「やった、ケーキもね」

「はいはい」


 振袖はやっぱり窮屈で、写真を撮った後すぐに着替えをした。

 今夜は泊めてもらう約束も取り付けてある。明日の授業の準備もバッチリだ。


 着替えの間、貴女はキッチンにいた。

「え、今日は手料理なの?」

「嫌だった? 何か食べに行く?」

「全然嫌じゃないよ、むしろ好き! ちょっと感動」

「そこまでハードル上げられると困るんだけど」

 大したもの作れないからね、と念を押されたけど、どんなものだって貴女が私のために作ってくれたのなら、それはもうご馳走で、美味しいに決まってる。


「あっ、醤油切れてた」

「買ってこようか?」

「いい、私が行ってくる。留守番してて」

「はぁい」


 暇だったので授業の予習でもしようかと鞄を開けた。書きかけのラブレターが見えた。そろそろ仕上げなきゃなぁ。どんな言葉なら刺さるだろうか、そんな事を考えていたらチャイムが鳴った。

「宅配便です」

「あ、はい」

 えっと、印鑑。確かこの辺に……あっ、あった。


「何これ」

 さっき印鑑を探した時に開けた引き出しに入っていたもの。

「変な顔」

 それは私の写真だった。

 中学の卒業式に、おそらく貴女が遠藤先生に頼んで撮ったもの。

 あの数日後、私は告白をしてーー

 あの頃の事が鮮明に蘇っていた。


 あぁそうか、あの時もそうだった。

 自分の気持ちを素直に貴女へ伝えていた。

 そうだ、そうしよう。


 私はラブレターの最後の一文を、ふと思い付いて、ごく自然に筆を執った。



【了】



※ひばりのお話は【耳触りのいいその声が、好きだと思った】で始まり【最後の一文を、ふと思い付いて、ごく自然に筆を執った】で終わります。

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