037 見える音、シャットダウンする

 ひと掻き。ふた掻き。

 鉛のような空気を掴んで腕が軋む。自分の体重が呪わしい。

 だが、腕の軋みと引き換えにぐんぐん高度は上がっていく。

 佳穂はあっという間にビルの3階ほどの高さまで昇りつめた。

「ひーっ!?」

――――怖い。下を見てしまうとクラクラしてくる。


「くそっ!」

 視界下で、バギーの男が叫んでいる。

 射出される蜘蛛の巣は、佳穂の足には届かず、しぼんで地面へ落ちていく。

「これなら……!」

――――行けるかもしれない。

 勢いそのまま、空気をつかんで後へ送る。体がぐんと前に出る。

 つかめばつかむだけ、スピードが上がる。

 倉庫が立ち並ぶ間を抜けると、あっという間に海上へと出た。

 眼下の海面を見下ろす。

 黒い海面に、港の赤いランプが反射している。現実離れした高さだ。

 もう、どうにでもなれとすら思えてくる。

 追手は──。来た!

 ジェットスキーの女だ。さっきより、少しだけ距離が稼げている。

 このまま高く飛ぼう、佳穂は思った。高さは恐ろしいが、間近でコルク弾に対するより、少しでも距離が離れていた方が良いだろう。

 パ、パ、パ、パ、パ、パ!

 女が砲撃する。連発された弾道がカーテンのように夜空に揺れて見える。

「─ ─ ─ ─ … ッ!」

 思った通り、先程よりもずっと躱しやすい。

 パ、パ、パ、パ、パ、パ!

 躱す。

 パ、パ、パ、パ、パ、パ!

 躱す。

 諦めきれないのか、女は何度も撃ってくる。そのたびに、旋回し空を翔ける。

「着いた!」

 A突堤だ。

 ベイブリッジに連なる、高速道路の明かりが灯っている。

 今の砲撃でずいぶん陸側に押されてしまってはいるが、これで間違いなく追手との距離は稼げた筈だ。

 やはり、飛べるということは圧倒的に有利だ。この調子で飛んでいけば、捕まりっこない。

────そう思った瞬間だ。

「── ─   ─       ッ!?」

 突然、見える音がシャットダウンした。

 宵闇だけが佳穂を包んでいる。

(え、え!?)

 一体、なにが起こったのか。

 今まで見えていたものが、見えなくなった。その不安にかられて、必死で声をあげる。

「… …  …… ッ!」

 微かに視界が赤く煌めいた。

(何か来る?)

 反射的に翼をひらめかし、避けようとしたその瞬間、それはいきなり左足に絡みついた。

 ネットだ! 衝撃に体が持っていかれる。

「────!」

 羽撃こうと腕を振るうが、体勢が完全に崩れてしまってどうにもならない。

「きゃああああっ!?」



「避けた!? U.S.ジャマー、効いている筈なのに!」

 長射程用の投網銃ネットランチャーのスコープから顔を上げた男────ハツが叫んだ。

 昨日の夜、バギーカーで助手席に座っていた男だ。

 ボックス型トラックの上で、コウモリが追い込まれて来るのを待ち構えてたのだ。

 U.S.ジャマー……超音波妨害装置。

 元々、自信はあった。

 更に昨日のサンプリングデータで微調整を加え、完璧に仕上げた筈だった。

 それでも、投網銃ネットランチャーの飛来を察知できたということは、今までの予想が覆されたという事に他ならなかった。

 コウモリはフラフラと夜の闇に落ちていく。

「すみません、姐さん! せっかく追い込んでいただいたのに、完璧に捉えられていません!  船溜まりに落ちると思われます」

 男は無線に向かって言うが早いが、 トラックから飛び降り、運転席に戻る。

──移動して、場合によってはもう一度狙い直さねくてはいけない。

 コウモリ追跡端末バットディテクターを手に取り、コウモリの位置を確認しようとする。

 しかし――――

「ん!?  電源が落ちてる?

 あ、あれ入らない!?」

もう一度、端末をチェックする。

「ダメだ……」

 やはり電源が入らない。

 よく見れば、端末がぐっしょり濡れている。

「え? え?」

 男は慌てて他の機器類をチェックする。

 だが、運転席に積まれていた、機器類はすべて使いものにならなくなっていた。

「ウソだろ……」

 男は天を仰いだ。

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