030 家に帰る
犬上の乗った車を送り出したあと、佳穂は学校への取り付け道路を歩き出した。
――――たしか、この先だったはず。
オープンカーは一般道に出たところに停まっていた。
便利屋が車の縁に腰掛けながらタバコをふかしている。
「よ! 生きてたか。コウモリ姉ちゃん」
「……コウモリはやめてください」
「悪かったな、いいじゃねえか。あの羽根で飛べたから生きてんだろ?」
――――自分で飛んで逃げたわけじゃない。最後は助けられた。
反論しても意味がなさそうなのでやめる。
それにしても、意外であった。
探そうとは思っていたが、向こうの方から探してくれていたとは思わなかった。
「何か用ですか?」
「用ですか? は、ねえだろ……いらねえのか?」
便利屋が、傍らに停まっているオープンカーの後部座席を指差した。
「あ!」
そこには昨日、置いたままになっていた佳穂の鞄があった。
「持ってきてくれたんですか!?」
「ふん……たりめえだろ。中もちゃんと揃ってるはずだ」
言われて中身を確かめる。財布にスマホ、家の鍵、全部揃っている。
「……ちゃんと、あります」
「なんだよ、その意外そうな顔は……。お前はオレに借りがあるからな。義理は通した上で、後から全額キッチリ払ってもらう」
「え!?」
「え!? じゃねえよ!! コイツの修理代だよ、修理代!」
そう言って、便利屋はオープンカーを指差した。
昨日、追撃者に蹴られてベコベコになったボディがとても痛々しい。
「私が払うんですか!?」
「昨日も言ったろ。お前がいなけりゃ、コイツがベコベコになることもなかった。だからお前のせい。修理代もお前持ち」
確かに昨日も同じ事を言ってたような気がするが、まさか本気だとは思わなかった。
「そんな……。大体、あなたを雇ったのは私で、その分のお金はもう支払われてるって話じゃないんですか?」
「それは、送り迎えの話だろ? 契約の通り、仕事はしてやるよ。ただ、コイツの修理代は別だ。これはオマエの仕事をやる上で発生した必要経費。別請求だ」
「そんなお金持ってません、只の高校生ですよ、私!」
「知るかよ。嵌められて泣きたいのはコッチだ。今すぐ金をふんだくらないだけ良心的だぞ。
オマエの契約完遂時の報酬。それでチャラだ。とにかく、何が何でもこの『鳥獣祭礼』とやら、最期までやり遂げてもらう」
「えぇ……」
最期までやり遂げたいのは佳穂も同じだ。
何が何でも逃げ切って、コウモリ女はきれいさっぱり辞めにしてしまいたい。その為にはくやしいが、この男のサポートがあったほうがいいのは間違いない。
不満はあるが、今は乗るしかないようだ。
「……わかりました。よろしくお願いします」
佳穂は頷いた。
「おう、よろしくな。んで──どうするよ? まだ日没には早いだろ?」
「……まずは私の家までお願いします。着替えを取りに行きたいんです」
「オーケー。 じゃ、乗れよ」
便利屋は後部座席を指差した。
「……………………」
乗り込んだ佳穂は身を縮めて、顔を覆い隠した。
オープンカーは恥ずかしい。夕方だった昨日と違って、今は真っ昼間だ。人目がダイレクトに突き刺さってくる。
それに、昨日から思っていたのだが、この車、後部座席が妙に狭い。いや、拷問レベル。乗り心地は最悪だ。実は単なる荷物置き場なんじゃないか、とすら思えてくる。
見れば前列の助手席はずいぶんとゆったりとしている。
おまけに空席だ。しかも、何やら紙袋が置かれている。
逆なんじゃないだろうか、紙袋と雇い主の席。
「な、なんだよ……。やらねえぞ!」
佳穂の視線が向かっている先を確かめた、便利屋が声を上げた。
なんの事だろう? 思った矢先。それは佳穂の鼻に届いた。
――――肉まんの匂いだ。
ぐううううううううーっ!
当たり前のように佳穂のお腹が鳴った。
「くっそ!」
便利屋はハンドルを叩いて悔しがった。
車は滑るように坂道を下っていく。
「ところで、さっきの車の奴、知り合いか?」
肉まんを食べながら便利屋が聞く。
「え?」
佳穂もモグモグしながら返事をする。
薄味の飾らない味。佳穂も知っている。これはあの店のだ。
「お前、朝行っただろ? あいつの家」
そんな所から見てたのか。佳穂は驚いた。
「中学校の時の同級生です」
「ふん。なんかおっかねえ奴らのようだが、ナニモンだ?」
「……わかりません」
犬上の家がどういう家なのか。
結局のところ何なのか、さっぱりわからない。
「なんだよ、知らねえのかよ。妙な黒服が出入りしてるから、アッチの方かと思えば、前警視総監の実家とか言う話だし……」
「え……? そうなんですか?」
警視総監というのが警察の一番トップの役職だというのはなんとなく知っている。
まさか犬上にそんな人が親戚にいるなんて思いもよらなかった。
「本当に知らねえんだな」
「す、すみません」
「あやまんなよ……。で、だ。何も知らないのに、なんの用だったんだ?」
「……しばらくあそこでお世話になることになりました」
「ええぇぇ……。なんとなく、オレはお付き合いをしたくねえヤツらなんだが……。どっか、ヨソで世話になれるトコ、ねえのかよ」
「ありません……。それに、私にだって事情があるんです」
便利屋は、犬上の姉が佳穂の父の知り合いであることを知らない。
打算的とはいえ、他でもない自分の身の上に関わることだ。知ることのできる貴重なチャンスは逃したくない。
「しゃねーな。警察関連は勘弁願いたいんだがな……」
「……何か困るような事してるんですか?」
「うるさい。詮索するな! 俺はあの家の前までは、送り迎えしねえ! 近くまでだぞ」
オープンカーはあっという間に、山手に到着した。
ガス爆発で陥没したという道路の工事は始まっており、規制線は解かれていた。
車を止めて門の中に入る。
「おー、ひでえことになってるな」
爆風のおかげで、庭は滅茶苦茶だ。悲しくなってくる。
「ほう………」
背後から突然声がした。
「事故現場にどっかで見た車が止まってると思ったら……」
振り返ると便利屋の車の脇に、一人の男が立っていた。
渋みのある顔をした中年の男だ。
ハンチングにコート、絵に描いたような「ある職業」の風体だ。
「ちっ!」
便利屋が小さくつぶやいた。
「なんだよ、会いたくねえって顔だな」
「けっ! 刑事なんか、家族以外に会いたいヤツなんているのかよ!」
「んあ? 嫁と娘にゃ、世界で一番嫌われている自信があるぜ」
「……バカバカしい! こっちは仕事中なんだ。邪魔するなよ」
「仕事!? チンピラがガス爆発現場で、何の仕事があるってんだ?」
「うっせ! オレは便利屋だっての!! 後片付けだ、後片付け!」
「嬢ちゃん、よしときな。 コイツは、ろくなやつじゃねえ。シッポ掴ませねえが、モメ事度んびにチラチラしやがるクセぇ野郎だ。便利屋ならもっと真っ当なのがいくらでもいるだろ」
便利屋をガン無視しながら、刑事らしい風体の男は佳穂に話しかけた。
「え、あ……あの」
横目で見ると、便利屋が後ろ手でアッチへやれという手振りをしている。
「あ、あの……。こ、この人でないと困る事があるんで……」
「ん? ただの片付けだろ。何が困るんだ?」
それが、困るのだから仕方がない。だが、本当の事は言えるはずもない。
「いえ、あの……その」
「とにかく! こちらの依頼人さんの希望なんだから、仕方ないだろ。さ、帰った! 帰った!」
便利屋は割って入ると、しどろもどろになっている佳穂の背中を押した。
くるりと向きを変えられた佳穂は、慌てて鞄から鍵を取り出した。
これ以上、詮索されたら困るのは佳穂も同じだ。
「ふん! 仕方ねえ……か。嬢ちゃん、オジサン、しばらくここにいるから、なんかされたらデカイ声出すんだぜ」
「未成年には手はださねえよ!」
後ろで喚いている便利屋をよそに、佳穂はドアを開いた。
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