031 着替える
「あー! うぜぇ野郎だな、まるで小糠雨みたいだ」
ドアを閉めながら便利屋がぼやいている。
『──警察関連は勘弁』なるほど、合点が行った。どうやら、いろいろとあるらしい。
嗅ぎ慣れた家のにおいだ。
不思議と気持ちが落ち着いてゆく。
見たところ玄関には被害はない。下駄箱の上には……。
無事だ。ちゃんと写真立てが並んでいる。
「ふーん……。お前、本当に一人暮らしなんだな」
「……どうしてわかるんですか?」
「下駄箱の上に、家族の写真を飾ってるヤツは一人暮らしと、相場が決まってる」
便利屋は、下駄箱の上に並んだ写真を見ていた。
「え……? そうなんですか?」
「ウソだ。ま、それも理由のうちだがな、勝手に同級生の男のウチに泊まるなんて普通、親は許さねえだろ」
「……そうですね」
「ふん。で、これがバアさんか」
便利屋は佳穂と祖母、二人で写っている写真を指差しながら言った。
「そうです。昨日言った通りドイツの大学で教授をしていて、今は日本にいません」
「ほー、凄えな。で、親はどうしたよ?」
「母は……。自分を産んですぐに亡くなりました」
──そのはずだ。
ちらりと、写真たてを見る。赤ん坊の佳穂を抱いた母親。その後にはもう一人の写真が挟まれている。
「父親は?」
「父は……。8年前から行方不明です」
「一人娘を放り出してか? ろくな父親じゃねえな……」
「…………」
――――反論することができない。
「…………ま、どうでもいいな。ここで待ってるから、急げよ」
便利屋は少しだけまずったかな、という表情をしたあと、クイと顎を上げ佳穂を促した。
「わかりました」
佳穂は靴を脱いで上に上がろうとした。
「おい、靴脱ぐなよ!」
便利屋が真顔で言った。
「え……?」
「ガラスだ、ガラス。爆風で上の窓が割れてただろ、足ケガするぞ!」
「……あ、そうか」
仕方なく靴を履きなおし、もう一度上に上がる
玄関に便利屋を残し、階段を上がる。
「……………………ど、どうしよう」
自分の部屋のドアを開けた佳穂は、その場で固まってしまった。
佳穂の部屋の中は滅茶苦茶になっていた。
道路に面していたせいで、窓ガラスが粉々に割れて床一面に散らばっている。
さらに爆風でクローゼットが倒れていて、肝心の着替えが取り出せない。
「……ん、くっ!」
起こしてみようと手をかけたが、ビクともしない。
これはムリだ。
佳穂は仕方なく、玄関の便利屋の所に戻った。
「おう! 早かったな」
「あ、あの……。すみません、手伝ってもらえませんか?」
「は?」
「クローゼットが倒れていて……」
「──ふん。規定外の仕事。別料金」
そう言って便利屋は、掌を出す仕草をした。
「……どうしてそんなにお金にこだわるんですか?」
「
「…………着替えがないと、いろいろと困るんです」
「何が?」
「そ、それは……」
「服なんて何でも良いだろ? 買えばいじゃねえか」
「………………大きな声出しますよ」
「は?」
「大きな声です。そ、外に聞こえるくらいの」
外にはさっきの刑事がいるはずだ。
「な…………。わかったよ。クソ! ツケとくからな!」
便利屋は渋々、佳穂に続いて二階に上がった。
さすがは男の力だ。クローゼットはひょいと起こされた。
「ほー。それにしても見事だな」
「何が見事なんですか?」
バッグに荷物を詰めながら佳穂は返事をする。
「話の通り、色の付いた服が一着もねえじゃねえか」
バッグの中には個性のない、同じようなグレーの服ばかりが詰め込まれている。
「み、見ないで下さい!」
「見られて困るような服じゃねえねえか!」
「そもそも人のバッグを覗くこと自体、失礼です!」
「へーへー。オレが悪うございました。
でも、なあ。お前、本当にそれでいいのかよ? その服じゃあ余計にコウモリそのものだぞ」
「…………」
反論ができない。
「だろ? オマケに、その前髪だ。この上なくコウモリだぞ、お前」
「そ、それは……」
「なんだよ、言ってみろよ」
「どうしても切れないんです」
「なんで切れねえんだよ? 美容院行って切ってくれ、って言うだけじゃねえか。何も難しくねえ」
「それが出来ないんです」
「はあ? 切りたいのに、切れねえ? ──意味がわからねえ」
「はずかしいからです。顔を見られるのが。赤面症だし、大勢の人前に出ると、全然言葉が出ないんです、私」
「そんな理由かよ?」
「私にとっては、昔からの大問題なんです!」
「昔って、いつからそんな具合なんだよ?」
「……8年前からです」
「8年前? お前の父親が失踪したとかいう頃か……」
「そうです……」
「じゃあ、原因は父親の失踪なのか?」
「……わかりません。何も覚えていないんです。父が行方不明になった日、私は、なにか事故のようなものに遭ったらしいんです。翌日、山下公園で倒れていたところを発見されて……。それから高熱が出て……。その時から人前に出るのも好きじゃなくなって……」
「で、そんなに前髪を伸ばして、地味な服しか着られなくなったのか」
「そうです……。事件以来、祖母に育ててもらって来たんですが、治るどころか、年々ひどくなってきました。中学ではあまりにも人前に出ず、逃げてばかりなので、友達と呼べるものは一人も出来なくて……」
「ふうん」
便利屋は、あきれたようなため息をついた。
「便利屋さん……。一つ聞いていいですか?」
「な、なんだよ……ど真剣な顔をして」
佳穂の態度に便利屋がたじろいだ。
「友達とか仲間……って必要ですか?」
「……………………な。
何、馬鹿な事聞いてんだ! 俺は、ただの便利屋だぞ! お前の親でもなければ、教師でもねえ! そんな難しい事答えれれるわけねえだろ!」
便利屋は、やってられないという風情で立ち上がり階段を降りて行く。
「さっさと着替えろよ! 玄関で待ってる!」
ひとり部屋に残された佳穂は、着替えをしながらため息をついた。
便利屋が言った通りだ。
一体誰に、何を言って欲しいのだろう。
『おしゃれしなさい』祖母はそう言っていた。
だが、本当に佳穂にやって欲しかった事は違うのだろう。
『いっぱい友達を作りなさいな』
わかってはいた。
『――――進学すれば友達は三桁』
歌は言っている。それが普通だ、当然だ。
だから、自分が変なのだ、と思う。
昨日、コルボで言われた事を思い出す。
――――自分が恥ずかしがり屋で、人前に出たくないのは呪いのようなものだ。この契約が完遂出来た際には、それが解かれる。
藁にもすがりつきたい。それが自分の本心なのではないのか。
コウモリにふさわしい、無彩色の服。
着替え終わった佳穂は、バッグを取り、階段を降りた。
「おう、済んだか?」
「はい………………。ごめんなさい。変なこと聞いて」
「ふん。ま、俺も悪かったよ。だが、答えなんか知らねえ。自分で探すんだな」
「はい」
「お前、結構大胆なトコあるし、ただのコミュ下手なコウモリ女ってわけじゃなさそうだ。だから逃げきれよ、最後まで」
「……コウモリはやめてください」
呪いと言われれば納得してしまいたくなる。
逃げることで、本当にそれが解かれるのか確証もない。
だけど、やらなければ本当に本物のコウモリになってしまう。
だから、逃げるしか選択肢はない。
「よし、行くぞ」
「はい」
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