029 決断する

 佳穂は先生に向かって一礼した。

「すみません、先生。私、犬上くんのところでお世話になります」

 寄宿舎の申し出はありがたい。制度があり、正当なものであるなら本来は採るべきであろう。

 だが、それを超えてなお気になるのはあの写真だ。

 図々しいかもしれない。厚かましいかもしれない。

 それでも、あの写真に写ってた『母』。あの人が知りたい。その気持ちは何ものにも代え難い。

「い、犬上くん。いいですか? お願いしても」

 佳穂は勇気を振り絞って言った。

「あ、ああ……。よろしくな」

 犬上は、そっぽを向きながら言った。

「そうですか…………。

 それでは仕方がありません。くれぐれも間違いなど起こさないように」

 教師は心底、残念そうな表情かおを浮かべながら言った。

「なんだよ……、間違いって。ウチがそんなとこじゃないの知ってるだろ!?」

 犬上が毒づいた。

「ええ、嫌味です」

「ったく……。もう、帰ろ」

 犬上が立ち上がる。

 シュナイダー先生と犬上。入学式の日にしては随分フランクな関係だ。『知っているだろ』とも言っていた。

 この二人。元々顔見知りなのだろうか? 佳穂は不思議に思った。

「月澄も帰るよな? 昼飯、中華だって」

 犬上が振り返り、歯を見せて笑う。

「え、ええ……」

 決めてしまえば腹を括るしかない。気持ちが少しだけホッとする。

 佳穂は頷きながら立ち上がった。

 窓からは広いキャンパスが見える。遠く海まで見渡せる風景。ここが毎日、自分の居場所になる。佳穂は気持ちを新たにした。

 その時、視界の端に見知ったものが入り込んだ。

 校庭のその先、学校への取り付け道路の入り口に、一台の車が停まっていた。

――――屋根のない車だ。

「ご、ごめんなさい、犬上くん……」

「ん?」

「やっぱり、私、一度、家を見に行きたいんです」

「あ……。

 そうだな。そっちの方が心配だよな」

「はい」

「じゃあ、送る。どのみちウチに帰るまでの通り道だ」

「え、あの……。ごめんなさい。歩いて行きたいんです。自分で。

 行ってみてもし入れるなら、着替えや荷物も持ち出したいし……」

 学校から自宅のある山手まで、徒歩で行けば30分くらいだろう。車で行ったら楽なのは間違いない。

 しかし、佳穂の鞄は、便利屋が持っているかもしれないのだ。大事なものが一式入っているのだから、何よりもまず優先すべきは、便利屋との合流。

 家に行くのはその後だ。

 佳穂は半ば嘘をついた事を、心の中で謝った。

「そうか……。

 わかった。じゃあ、終わったら電話くれてもいいし、直接家に戻ってきてもいいぞ」

 そういいながら犬上は、住所と電話番号をメモ書きする。

「これ、家の鍵な」

「え? いいんですか? 鍵なんて」

「ああ、のだからな」

 少し意味を測りかねたが、渡されたものなら仕方がない。佳穂はメモと鍵を受け取った。

「じゃあ、行くか。先生、帰ります! また、明日」

 犬上が教室のドアを開ける。

「先生。オリエンテーションありがとうございました。さようなら、また明日」

 シュナイダー先生に一礼し、佳穂も後に続いた。

 ドアの向こうに消える二人の生徒に向かって、教師も会釈する。

「はい、さようなら


 ……………………また、後ほど」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る