026 入学式で気を失う

 私立鳳雛ほうすう学園。

 横浜市南部、丘陵地帯の上にある名門校である。小中高大の一貫校であり、進学校、お嬢様・おぼちゃま学校、貴族校、天才校など、さまざまな名前で呼ばれている。

 仇名に違わない結果を生み出し続けている学校でありながら、非常に閉鎖的な校風を持つとされ、地元でよく知られた存在にもかかわらず、地元出身者には在校生、卒業生がほとんどいないという不思議な学校である。

 なぜ、このような校風なのか? 

 それはこの学校の誕生の地がここ、横浜ではないからだ。

 横浜どころか、日本ですらない。

 この学校は20年ほど前、海外から横浜に引っ越してきたのだという。

 今でも在校生の八割は外国人で占められており、それら生徒たちの出身国は国連加盟国全てを網羅すると言われている。

 それだけじゃない、残りの二割の日本人というのも全国から集まって来ているいう。

 そんなものだから、地元中学からの編入生というのがいかに珍しいものかということがわかる。

 佳穂と犬上は、この学園の高等部、定員50名の編入枠に合格したのだ。

 が、それにしても……。

 車寄せにはたくさんの送迎車が並んでいる。そこから出てきた生徒たち。ちょっと見渡しただけで髪の色、瞳の色、人種も何もかもバラバラだ。

 あまりにもバラエティに富みすぎていて誰が目立つということはないように思われた。佳穂がこの高校を選んだのも、ここなら目立つような事にはならないだろう、という予測の下であった。

 しかし――――

 佳穂と犬上が乗っている車が停車してからだった。

 明らかに周囲の人たち、生徒や入学式の付き添いに来ている保護者、それらを迎え入れる学校の職員と思しき人々の多くが、ざわついている。

 空気が変わったと言ってもいい。入学式を控えた賑やかしさが、棘をまとった何かに変わったような気さえする。そんなふうに佳穂には思えた。

――ど、どういうこと!?

 佳穂は固唾を飲んだ。


「馬鹿馬鹿しいな……」

 犬上がつぶやいた。

「ええ」と、運転手。

「耀兄ぃ、頼むよ」

 そういうと犬上は勢いよく車のドアを開けた。

「月澄さん」

 佳穂に向かって、黒スーツの運転手が小声で言った。

「ちょっと身を小さくしていて貰えますか? 申し訳ありません。どうやららしいです」

 この雰囲気、感じるだけで身が固くなり、動けない。

 佳穂はシートに背中を貼り付けたままズルズルと重力に身を任せた。

 バタン!

 犬上がドアを閉めて出ていった。

 背筋を伸ばし、堂々とした姿勢で階段を登り、校舎の入り口へ向かう。

 人々の視線が自然とその背中を追う。

「月澄さん、今です!」

 運転手が校舎とは反対側のドアを指差し、即す。

「は、はい」

 佳穂は音を立てないようにそっとドアを開けて車外へと出た。

 そのまま人ごみに紛れるように校舎へと向かう。


 ありがたいことに、注目を浴びるようなことはなかった。

 校舎の中に入って、初めて佳穂は安堵した。


 受付へ向かいながら佳穂は、運転手の言葉『ソウリョウは目立つ』を反芻した。

 ソウリョウ――――運転手は犬上の事を何度かそう読んでいた。

意味はわからない。犬上の名前は確か「そう」だったはずだ。では何かの愛称のようなものだろうか。

 では、目立つ、とは?

 言葉通り、犬上はそこにいる多くの人の耳目を集めていた。

 それほど地元からの編入生が目立つというのか?

 いや、そんなはずはない、それなら佳穂も同様のはずだ。

 それになぜ編入生だと言うことが元から知られているのか?

 ここは運転手の言葉通り、犬上本人に原因があると考えるのが妥当だろう。

 またしても、犬上の事に疑問が増えた。


 案内板によれば入学式の受付は、校舎をいくつか抜けた先、講堂の前だと言う。

 佳穂は通路のできるだけ端を歩いて行く。


 中庭を通る渡り廊下を歩いているとき、それは起こった。

 はるか遠く、校舎の端の方から怒号が聞こえた。黄色い悲鳴も聞こえる。

――何……!?

 遠目に見えるのは人集りだ。

 何があったのだろうか? 人々の声が漣のように寄せ、その内容が知れる。

「新入生が上級生と喧嘩」

 上品な学校だと思っていた。名家が通う学校とも思っていた。

 喧嘩なんてものが存在する。意外な出来事に佳穂は奇妙に感じたが、そんなことはどうでもいい。

 喧騒を横目に佳穂は講堂へ向かった。


 受付を済まし、指定された席に着く。

 海外式の階段のある半円形の講堂内。並んでいる生徒たち。小中高一貫校である鳳雛には、中学校からの内部進学の生徒もいる。どうやら外部からの編入生はこの場では纏められているようだ。前列の端に犬上の頭が見えている。

 やはり注目されているのは、犬上本人だ。この場おいても、視線は彼へと集中しているように思われた。


 佳穂は緊張していた。

 人混みは苦手だ。注目などされているわけでない。みんな前を向いているか、犬上の方を見ている。

 だが、これだけの人間が集まっているとなると、どうしても苦しくなってくる。

 海外の学校の多くでは煩わしい入学式など存在しないという。簡単な説明とクラス分けが発表される程度で、親が参加するなんて考えられないとも。

 海外からの移転校のはずなのに、こんなセレモニーがある。変わっているといえば変わっているのかもしれない。


――早く終われ!

 佳穂は意識を閉じて、何も考えないようにした。

 こういう席ではいつもそうする。そのうち、儀式は終わって退席の時間になるに決まっている。

 誰かの訓示。誰かの挨拶。プログラムは進んでいく。

 次は――最後の「讃美歌の斉唱」となっている。

 佳穂は少し疑問に思った。この学校は宗教系の学校ではないはずだ。

 通常の学校で言うところの校歌にあたるものなのだろうか。

 渡されている式次第には譜面と歌詞が書かれている。

 外国語だ。読み方もメロディもわからない。


 適当に口をパクパクさせて、聴いていればいいや――――。

 佳穂は思った。

 起立の号令がかかる。

 皆が立ち上がる。

 佳穂も立ち上がる。

 前奏が始まり、口を開く。


 視界が歪み、目の前の景色が壊れた。

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