025 車で登校する

 薄々感じてた可能性。あまり考えないようにしてた可能性。

 それが目の前にあった。


 来た時と同じく、黒塗りの車に揺られながら佳穂は考えた。

 電車は苦手だ。

 だから、車に乗せてもらうのはありがたい。

 だが、入学式の日からというのは、理解の範囲、対処できる範囲を完全に超えていた。

 前の助手席には鳳雛学園の制服を着た犬上が座っている。

 佳穂は、オーバーフローに陥っていた。


 車は来た時と同じ高速に乗る。向かうは市の南部にある鳳雛学園。

 中学校で同じ鳳雛に合格した生徒が他にもいた――――。

 佳穂にとってそんなことは、本来どうでもいいことであるはずだった。

 それが誰であろうとも、関係はない。そのはずだった。

 だが――――問題はあの写真だ。

 あの写真に写っている『もう一人の母』。あれは一体誰なのか?

 それを知るまでは。どうでもいい、関係ないなど言えるわけはなかった。


 今すぐにでも答えを知りたい、だが、先ほどは鳳雛の制服を着た犬上のインパクトにタイミングを塞がれてしまった。

――――訊こう、いつ訊こう、いつ訊こう?

 長年の疑問が解けるかもしれない――――その緊張が口を重くする。


 だから佳穂は無言。

 犬上も無言。

 運転手も無言。

 これも来た時と同じだ――――と、思っていたら、いきなり運転手が口を開いた。

「ソウリョウ。聞きましたよ」

「ん?」と、犬上。

「私は、ご希望の焼き魚を聞いてきていただきたいとお願いしましたが、お客人のご入浴の邪魔をしてほしいとは言いませんでした」

 なんだか運転手の声が怒っている。

「え? なにかダメだったのか? 耀兄ようにぃ!?」

「ダメだったのか? じゃない! おおダメです! どこの世界探しても、ご入浴中のお嬢さんからオーダーを取ってこいなんていう料理人なんていませんよ!」

「ええ!? いっつも、他のぃ達たちには、どこにいようとオーダーの即答求めてたじゃないか?」

「親族は別です! そういう事ならちゃんと入浴が終わられるまで焼きに入るのを待ちました!」

 佳穂は冷や汗をかいた。どうやら自分の事で揉めているらしい。

 取り繕うにも、どうしたらいいのかわからない。

「って、月澄に耀兄ぃの料理、早く食べてもらいたいって思ってただけだのに……」

「なにブツブツ言ってんですか! ダメなものはダメ!」

 運転手は断罪した。

「申し訳ありません。ウチのソウリョウがとんでもない間違いをいたしました。お詫びいたします。ウチは男ばかりなので不慣れなのです。特にソウリョウは」

 運転手は座席のヘッドレスト越しに謝罪し、ついでにルームミラー越しにウインクまでした。

「さ、ソウリョウも謝ってください」

「――――わかったよ。すまん。月澄」

「とととと、とんでもない」

 佳穂は恐縮した。

 なんなのだ、この二人は。一体どういう関係なのだろうか。

『耀兄ぃ』『親族』――会話から察しられるのは血のつながりだ。

 そういえば、この黒スーツの運転手、朝送り届けてもらった運転手と、格好は同じなのだが、髪の毛の雰囲気や背丈が違う。

 どうやら別人らしい。

 運転手が二人いる。黒塗りの乗用車。父と知り合いだというお姉さん。

 犬上の事がますますわからなくなる。


「で、どうだった? 月澄」

 そんな佳穂のぐるぐるした思いを全く解さず犬上が訊いた。

「え?」

 なんのことだかわからない。

「お美味しかったろ? 耀兄ぃの料理」

「あ、今朝の……朝食ですか?」

 会話の流れから想像できた。作ったのはどうやら運転手の男性らしい。

 佳穂は先ほどまでの幸せな時間を思い出した。

「わざわざ訊いていただかなくてもいいですよ、ソウリョウ。私は普通に作っただけです。残さず食べていただけただけで、十分満足しています」

 黒スーツの運転手が窘めるように言った。

「い、いえ! とってもおいしかったです!」

 佳穂は思わず声を上げた。

「だろ!?」

 犬上が得意げに言う。

「耀兄ぃの料理は絶品なんだ。特に味噌汁!」

「はい!」

 佳穂は珍しく話に乗っかった。話を聞くだけであの『神の味噌汁』の香りがするようだ。

「……あ、あれは。どうやって作ったんですか?」

 我ながら間抜けな質問だと思う。だが他の聞き方は思い浮かばない。

 心から、底から、どうやったらあの味になるのか想像できない。そんな味なのだ、あの味噌汁は。

「ありがとうございます。普通に作ったら、ああなっただけですよ。手順通り、丁寧に。素材だけはちゃんと選びましたけどね」

 そう言って黒スーツの運転手は鼻の頭を指で掻いた。

「そ、そうなんですね……。どこかで習ったのかと思いました」

 感心するほかない。

「さ、着きましたよ!」

 黒スーツの運転手が声を上げた。

 見れば、すでに市の南部に戻ってきてしまっている。

 坂道を登っていく黒塗りの車の窓の外に、鳳雛学園の敷地が見え始めた。


――――結局、聞きそびれてしまった。

 今は諦めよう……。

 佳穂は敷地に入る車の窓から、これから通うことになる学校のキャンパスを眺めながら考えた。

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