024 朝食をいただく

「食べ終わったら、ここのインターホンで呼んでくれ。8時半ごろまでには食べ終わるよな?」

 佳穂は頷いた。


 犬上が部屋を出て行く。

 先ほどと同じく、玄関とは反対側の扉だ。ドアの横には今ほど犬上が指差したインターホンがある。


 振り向くと、ダイニングのテーブルの上には、魅惑の朝食が湯気を立てて置かれていた。

 指定通りのカレイ。程よく焼き目のついた笹カレイの一夜干しが二枚、柳の葉のような薄いお皿に並んでいる。

 小鉢には見た目も可愛い春の色、菜の花のおひたし。横に並んでいるのは採れたての筍か。白い色がその柔らかさを物語っている。

 華を添える更なる脇役は、大粒の梅干しだ。

 だが、それら全てを上回り、後光を発するが如くテーブルに鎮座ましましているものがある。

 味噌汁だ。具はシンプルにワカメととうふ。後光のようにあたりを照らしているのは、その香りだ。


 ぐぅ。

 お腹の虫が大暴れしている。もう我慢できない。

――――ありがたく頂戴しよう。

 佳穂は椅子に腰掛けると、食事に向かい合い、口にできる事に感謝した。

「――――頂きます」

 佳穂は居ても立っても居られず、味噌汁のお椀を手に取った。

 お箸の先を少しだけ漬け、具を避けながらまずは一口、汁を口にふくむ。

――――おいしい!

 その瞬間は、まるで世界に花が咲き乱れたようなものだった。

 鼻腔に抜ける出汁の香りが、体に染み渡っていく。

 二口目は、ワカメと。三口目は豆腐と一緒に。

 これが噂の「神の味噌汁」か!?

 佳穂だって味噌汁は作る。祖母を喜ばすため、一人暮らしの準備のため、勉強して美味しくなるよう工夫した。

 だが、いくら頑張ってもこのお味噌汁には敵わない気がした。

 きっとこれは、プロの犯行だろう。そう思わなければやってられない。


 そして、そこからは、まさに瀧の如しだった。

 おいしい。おいしい。どんどん箸が進む。

 味噌汁だけではない、カレイはもちろん、小鉢に至るまで、一つ一つが丁寧に調理されていることが、口にする度、感じ取れる。

 この世の全ての幸せが、このテーブルの上にある、と思える時間だった。

 気がつけば、いつの間にか三杯もご飯を食べてしまっている。

 いつもの佳穂は少食だ。ご飯はお茶碗一杯が限度なのに、妙にお腹が空いている。いくらでも食べられそうなのが信じられない。


 佳穂は、四杯目のおかわりをよそおうとしゃもじを手に取りながら考えた。

 食べ終わったら、犬上を呼ぼう。

 お礼を言ってから、ここを出ていく。

 入学式は10時からだ。8時半というのはちょうど良い時間だ。

 いくら感謝してもしたりないくらいだし、四杯も食べておいて言うのもなんなのだが、これ以上は望むべきではない。

――――食器もそこのシンクで洗えるよね。

 佳穂は先ほどから目に入っていた、部屋の隅にあるアイランドキッチンを見遣った。

――――!?

 そこで佳穂は今まで無視していた違和感に気がついた。

 この部屋はだ。キッチンは室内にあり、レンジ台もちゃんと備わっている。

 では、このプロの犯行と思しき朝食は

 見たところ、ここで調理をした形跡はない。

 犬上も、先ほど「運ばせる」と言っていたような気がする。


 作ったのは犬上なのか? それとも犬上のお母さんか誰かなのか?

 いや、そもそも犬上はどこに行く為に出て行ったのだ?


 部屋を使っていい。犬上のお姉さんはそう言っていた、らしい。

 佳穂の理解が間違っていないのなら、それは、ここで何日間か泊まって良いという意味だ。

 しかし、そもそも血のつながっていない年の近しい男女が同じ屋根の下で生活しても良いのだろうか。そういう年頃でもある、間違いを犯さないとも限らない。

 それでも、実の姉が許可をしたのだ。

 つまり、その心配がないから、そういう事になったという事だ。そうとしか思えない。

 だとしたら、犬上は随分、姉に信頼されているというものだ。


 む――――。

 佳穂は眉を顰めながら考えた。

 いったい、犬上と、犬上のお姉さんというのはどういう人物なのだろう?

 佳穂は食べ終わった食器をシンクで洗いながら、部屋を探った。

 最初は単にスタイリッシュな部屋だとしか思わなかった。

 コンクリート剥き出しの壁面。扉は黒いアイアン。部屋の間仕切りはガラス。

 よくはわからないが、欧米の都会に似合いそうな造りだ。

 だがしかし、あらためて眺めてみるとこの部屋は、洋室であるというだけでなく、なんというか──

 そう────

 一言で、いえば「ロックな部屋」だった。

 造りだけじゃない。

 飾られたギターや、並べられたCDが部屋の持ち主の趣味を物語っている。

 これは家族のリビングなどでは絶対に、ない。

 完全に個人の趣味だ。


――――!?


 そう思い至った佳穂の視界の端を、『それ』が掠めた。

 サイドボードの上の写真立てフォトスタンド

 ガラスに挟まれた『それ』。

 よく見知った絵柄は、どんなに一瞬でも心にピンを打ち込んでくる。

 佳穂はその写真に釘付けになった。


 そう、『あの』写真だ。


 佳穂はボードに駆け寄り、夢中でそのフォトスタンドを手に取った。

 不自然に2/3に切られているところも同じだ。だが切られている位置が違う。

 家にある写真は左側。この写真は右側。ちょうど父が居なかったものとされている。

 映っているのは二人の女性。「あの人」と黒髪ショートの女性。

「あの人」をはさんで、父ともう一人の女性、楽しそうに笑っている三人の写真――――それがきっと一枚としての完成図。


 そして、その黒髪ショートの女性。それはどことなく犬上に似ていた。


「食べ終わったか?」

 背後でドアが開く音がした。

 ひっ――――!?

 佳穂は、心臓が止まるかと思うほど驚いた。

 フォトスタンドを落としそうになり、軽くお手玉しながらボードの上に戻す。

「あ、あのその。ちょ、ちょ、ちょっと気になって――――」

 適当すぎる取り繕い言葉。もう無茶苦茶だ。

「あ、それが姉貴な。左側の」

 佳穂の焦りを他所に、犬上があっさり言った。


「お、お姉さん!?」

――――やっぱりか!?

 佳穂は戦慄した。


 佳穂はボードの上に置いたフォトスタンドもう一度手に取って、振り返った。

 では――――この人は、この人は、誰?

 問おうとして、佳穂は固まった。


 犬上が制服を着て立っていたからだ。男子の。鳳雛の。

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