023 シャワーを浴びる

 服を脱いで、シャワーを浴びる。温かいお湯に体がほぐれていくのがわかる。

「はー」

 自然と出るため息。


 佳穂は、シャンプーをしながら考えた。

 昨日のことは本当にあった事なのだろうか?

 今でも信じることができない。バスルームの鏡にはいつもと変わらない暖簾髪の自分が写っている。

 しかし、何一つ変わっていない見た目とは裏腹に、体の中には変身の時に感じたあの漆黒の蕾が今もしっかり鎮座しているのが感じられた。

 昨日まではなかったものなのに、ずっと前からそこにあったような──不思議な感覚。

 何よりおかしいのは、それが自分の体の一部なのだと思えてしまうことだ。


「変なの……

 …………

 …

 え!?

 あ、あ、あ!

 きゃっ!?」


――――失敗だった。

 それがあまりに不思議なので、ついうっかり蕾に「開け」と考えてしまった。

 カチン! と留め金が外れたような感覚とともに、真鍮色の光があふれ、蕾が大きく咲き開く。


「どどどど、どうしよう……。変身しちゃった」

 まさかこんなに簡単に変身してしまうとは考えてもみなかった。

 どうやら、自分が望めば日没には関係なく、自由に変身することができるようだ。


 鏡にはすっかり変身してしまった自分が映っている。

 大きな黒いリボンのような耳、光を吸い込むなめらかな翼。

 鏡に写してみたのは初めてだ。どちらも違和感無く、佳穂の体につながっている。

 暖簾髪と相まって、どこから見ても正真正銘こうもり女だ。

「……」

 これはダメだ。やはり恥ずかしくてしようがない。一気に顔がほてってしまう。


その時だ。

佳穂の視界に、草原を渡る風の緑が輝いた。

「月澄――――!」

 いいいい、犬上くん――――――――????!!!!!!!

 佳穂は、口から出そうになった悲鳴をかろうじて両手で押さえ込んだ。

 声は、脱衣所の外、リビングの方から聞こえる。


「悪い! 焼き魚、アジか、カレイか、どっちにするか、どうしても今、聞いてこいだって!」

 リビングから声を掛けているのだろう。緑の風が風呂場中に煌めいている。

 それだけじゃない。犬上が声を上げるたびに、煌めく緑の光がドアの向こうの犬上の様子をぼんやり透過させて『見せて』くれる。

 例の「『見える』と『聞こえる』の中間の感覚」だ。このリボンのような大きな耳のせいだろう。

 ひ――――!

 ドア2枚を挟んではいるが、手に取るように感じられてしまう犬上の存在感は、佳穂の心臓のbpmを一気に爆上げさせた。

「おい、月澄?」

 こっちからは『見える』犬上の姿。向こうからは見えないはずだが、まるで見られているように錯覚してしまう。

「っかしいな。居ない――のか?」

 犬上は、ドアの前に立ってしきりに首を傾げている。

――――へ、返事しなきゃ。

 佳穂は焦った。

 変に思われたら、間違いなく大変な事になってしまう。

「カ、カレイで……お願いします!」

 風呂場のドアを少しだけ開けて、佳穂はかろうじて声を上げた。

「お、おっけー。わかった。カレイな!」

 犬上が部屋を出ていくのが感じられ、佳穂のピンチはとりあえず遠退いた。


 まだ心臓がドキドキしている。

 犬上には悪気がない。それは、声から感じ取れた。ドキドキしているのは、まるっきりこっちに原因がある。

 そうだ。こっちに原因がある。

 あるに決まっている。

 バレたら――――。

 動物園だろうか? それとも見世物小屋か?

 馬鹿な妄想、休むに似たりだ。

――――早く、変身を解かなきゃ。


 今朝、変身の解除をした時はどうだったのか。

 佳穂は思い返してみた。

『──心を落ち着かせて』

 浮かんだのは羊の青年ウリアルの言葉。

 佳穂は両手を胸の前に置き、大きく深呼吸した。

「──元に戻れ!」

 佳穂が強く念じると、真鍮色の光が佳穂を包み込んだ。光の粒子が渦を巻き、黒い花びらが溶けて消えてゆく。

「も、戻れた……」

 なんとか変身は解けた。落ち着きたいが、そうこうしている時間はない。一刻も早く、立て直さなければ。

 シャワーから出ると手早く体を拭き、脱衣所でクローゼットから出していた制服を着込んだ。犬上が言った通り、サイズは2サイズ近く大きかったが背に腹は替えられない。急いでドライヤーで髪を乾かすと佳穂は脱衣所のドアを開けた。


「お、おう……」

 扉の外には犬上が立っていた。

「うわわわわわ~!」

 佳穂は思わず声を上げた。

(覗かれた!? いや、見られた!?)

 いや、そんなはずはない。

「そんなに大きい声、出すなよ」

 犬上には別段、驚いた様子はなかった。

「ご、ごめんなさい……。ちょっとびっくりして」

「悪かったな。唐突で」

 犬上は、そっぽを向きながら言った。

「朝飯、そこ置いといた。――――残さず食えよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る