015 本牧埠頭が回転する

「畜生! なんで俺の280SLカリフォルニア・ロードスターがこんな目に遭わなきゃいけないんだよ!! お前のせいだ!」

「なんで、私のせいなんですか!? 蹴ったり、ぶつけたりしているのはあの人たちでしょう!?」

「うるせえ! お前がいなけりゃ、コイツがベコベコになることなんかなかった! だからお前が弁償しろ!」

「えええっ!? こんなの直せるお金ありません!!」

「知るか! 最後まで逃げ切れば、結構な金が残るだろ! だから、逃げろ! 俺の車のために絶対、逃げ切れ!」


「姐さん! のこりあと30秒です!!」

 細い道を決定打なく追いかけるバイクとバギー。くねくね曲がる住宅街では追いかける方が難しい。

「くっそう! 今日はもうダメか!?」

 バイクの女が舌打ちする。

「せっかく一番クジを引いたのに あの飛鼠女ひそおんな! 飛べるクセに、車なんか乗りやがって! 許せねえええええ!」

 まばゆい光がバイクの女を包む。


「わあっ! ダメ!」

 緋色の光を感じた佳穂が叫んだ。

「何がダメなんだ!?」

「風が!!!」

「風!?」

 ビョオオオオオオ!

 オープンカーに風が襲いかかる。

「うわわわわ! なんだ、なんだ!?」

 便利屋はハンドリングとアクセルワークで、オープンカーをなんとか立て直す。

「あいつも、お前の同類か!?」

 バックミラーを確認した便利屋が訊く。

「知りません! それより、なんでわざわざオープンにしてるんですか!?」

 佳穂はシートにしがみつきながら抗議した。

「うるせえ! 俺の勝手だ!」

 便利屋がハンドルを切る。


「この! この! この! この! この!」

 女は半ばやけくそだ。

「うわわわわわ!!!」

 オープンカーは風のラッシュに翻弄される。必死のハンドリングでこらえるも、揺れはだんだん大きくなる。

「あははははっ! これで終わりだ!!」

 女がひときわ大きく羽敲いた。渦巻く突風がオープンカーめがけて迫りくる。

「うわあああっ!」

 便利屋の車は大きく蛇行すると、ガードレールに激しくぶつかった。

「きゃあああっ!」

 衝撃に佳穂はオープンカーから放り出された。

(──っ、翼を……)

 佳穂は飛ぼうと目を見開いた。


 港の水銀灯白色LEDが輝いている。ミナレット警告灯赤色LEDが瞬いている。橋を走る点線ヘッドライトが流れている。背後で雨粒と火炎が煌めいている。

 佳穂の周りには何もない。あるのは煌めく光だけ。

 ああ、こんな、気持ちになったのは何年ぶりだろう――――。

 佳穂は大きく息を飲んだ


 だが、しかし──高い。高すぎる。

 投げ出されたのは山手の崖の上。はるか足下には民家の屋根が並んでいる。

 本牧埠頭が回転する。

「きゃああああっ!」

 佳穂の視界は暗転した。


 *    *    *


「ポンプ車放水確認!」

「よし!」

 あたりは消防士の怒号が行き交っている。


 は、鼻を天に向け匂いを嗅いだ。

 ガスの匂い、ものの焼ける臭い、たくさんの人間の臭い。

 あるものは呆然とし、あるものは戦慄し、あるものは落胆している。

 だが、その中に求める匂いが見つからない。

(そんな……バカな!?)

 いつだってこのあたりまでくれば、それはあった。

 遠い日のひだまりと痛み。

 記憶の彼方を刺激する、この匂い。

 それが丸ごと消えている。


────あるべきはずのものが無い。

 を走らせる動機にはそれで充分だった。

「……月澄」

 は再び駆けだした。

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