007 黒いつぼみが開花する

 車は坂道の途中で停まった。

 道の真ん中には通行止めの仮説標識が立っている。

「なんでだよ!? どこからも近寄れねえじゃねえか」

 便利屋が悪態をいた。

 もう三箇所目だ。

 佳穂の家は、小高い丘の上、山手の高台にあった。

 だが、そこに向かう道は全て通行止めになっていた。


「ガス漏れです。安全が確保できるまで立ち入りができません」

 二ヶ所目の標識のところに立っていた警官はそう言っていた。


「仕方ねーな」

 便利屋は舌打ちをすると車をバックさせた。

「ぁ、あの……私、ここでいいです」

 オープンカーの後部シートに身を縮めながら、佳穂は便利屋に言った。

「いいのか?」

「ここからなら、近道通れば5分ほどで歩いて帰れますから」

「──そうかい」

 便利屋は助かったとばかりに、表情を緩ませ、車を降りた。

「ところで、なんでそんな格好で乗ってるんだ? お前」

 必死で身を隠す佳穂の姿を不思議に思ったのか、便利屋が問いかける。

「知りません。それより、なんでオープンにしてるんですか? 目立つじゃないですか……」

 人目が苦手な佳穂にとって、オープンカーの存在自体が拷問だ。

「開けてなきゃオープンカーじゃないだろ……」

 便利屋はボソリとつぶやいてから、助手席のシートを前に倒した。

「おらよ……」

「ありがとうございます」

 佳穂は車を降り、会釈えしゃくをした。


 春の太陽が沈み始めている。

 金色の光が便利屋の車を照らす。

「じゃあな。夕立に気ぃ付けなよ、コウモリみたいな姉ちゃん」

 便利屋がぷらぷらと手を振る。


(コウモリ……)

 コルボで佳穂が契約書にサインしたのは、この男にそう言われたからだ。

 結局、佳穂にはそれがふさわしい生き物なのかもしれない。

────嫌な気分だ。

 それでも、ひっそり目立たず生きていくことに何の問題あるというのだろか。


 明日、入学式が終わったら、もう一度コルボに行こう。佳穂は思った。

 契約したのだから、コーディネートはしてもらえるはずだ。

 それで写真をとって送ればいい。


「さよなら、便利屋さん」

 佳穂は少しだけ笑った顔で会釈をした。

「お、おう……」

 便利屋が面食らった顔で応じる。

「なんだかわかんねえけど、その……悪かったな。コウモリだ、なんて言って」

 佳穂が微笑んだことが意外だったのか、 バツが悪いという体で中折れ帽で顔を隠す。

「いいんです。私はコウモリだから」

 そうだ、いくら外見を変えさせられたって、生き方までは変えさせない。

――――私は私だ。

 これまで通り、コウモリのように生きていく。佳穂は顔を上げた。


 そして──日没。

 光の弧が山手の崖に消えてゆく……。


 その時だった。

(……え!?)

 佳穂の視界の中で、突然何かが輝き始めた。

 音だ。

──春の風

──車のアイドリング

──佳穂と便利屋の鼓動

 すべてが反射し、回折かいせつし、輝いている。

 音と光が入り乱れ、佳穂の周りに干渉縞かんしょうじまを作り出し、覆い尽くしてゆく。

「……っ!」

 頭がクラクラする。

 まるで頭を揺さぶられているようだ。佳穂はたまらずふらついた。


「おい? どうかしたのか!」

 その様子を見て、便利屋が車から飛び出した。

 その途端、近づく者を排除するかのように、音と光が吹き荒れる。

「うわっ!」

 音圧と光圧に圧倒され、便利屋は尻餅をついた。


(な、なに……これ?)

 音と光の洪水。輝きすぎて何も見えない。まるで真鍮色の闇だ。

 その輝く闇の中に、『それ』はあった。

『それ』は、黒いつぼみ。

 真鍮色の輝きの中にあってなお、全てを吸い込む黒いつぼみ。

 どういうわけか、佳穂にはそれが懐かしく、愛しいと感じられた。

 佳穂はそれを自らの手に取り、胸に抱いた。

 こぼれる涙が光の中で浮き上がってゆく。

「……っ!」

 僅かに感じる胸の痛み。

 それに呼応するかのように、つぼみは大きく成長し、ついには佳穂を覆いつくした。

 そして、光の渦の中心に、漆黒の花が咲いた。

 それは、佳穂自身の姿だった。

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