008 コウモリである

──光の渦が晴れる。

 残った音子おんし光子こうしがキラキラと渦まいている。


 圧力の衝撃で転倒していた便利屋が頭をさすりながら声を上げた。

「なんなんだよ、これは!?」

 その途端──便利屋の上げた声が水色の光を放って輝いた。

 曇天どんてんから降る雨粒を思わせる輝きが、佳穂の視界いっぱいに満ち溢れている。

 今までに感じたことがない不思議な感覚だ。


 佳穂は、思わず声を上げた。

「きゃ……っ!?」

 今度は自分の声が、金管楽器の真鍮ような光を放って輝く。

「っ……なにこれ?」

 輝きは佳穂の視界の中で、辺りを照らしながら消えてゆく。まるで乗り物に酔ってしまったときのように頭がクラクラする。

(気持ち悪っ……)

 佳穂は、思わずバランスを崩してよろめいた。

 バサッ!

 その途端──身体を支えようと伸ばした腕から、何かが大きくひらめいた。

 クラクラする視界に耐えながら、佳穂は「それ」を見つめた。

「な、な、なな、なに、これ?!」

 それは、光を吸い込む巨大な漆黒の花弁──

 だれの目にもそれとわかる、色と形。

「コウモリの……」

「──翼?」

 便利屋が驚きの声を上げる。開いた口から察すると、彼にも見えているのだろう。確かに感じる存在感。間違いなく「それ」は佳穂の腕から広がっていた。


 いったい、自分に何が起こってるのか?

 感覚と体の変化。思い当たるのは、ランカスターの事務所での出来事しかない。

「べ、便利屋……さん」

「な、なんだよ……」

 目の前のものが信じられないという風情の、便利屋が返す。

「これ……さわってみてくれませんか?」

 信じられないのは佳穂も同じだ。恐る恐る「これ」を便利屋に向かって差し出した。

「えっ!? 俺が確かめるのかよ!」

「怖いんですか?」

「怖かねえよ! いや、そもそも、一番怖がってるのはお前だろう!」

 図星だ。顔が引きつっているのは自覚している。自分に何が起こったのか確かめたい。しかし、怖くて自分では触れない。

「いいから、触ってみてください!」

「ったく、なんで俺が……」

 便利屋が立ちあがる。

「いいか? 触るぞ」

 佳穂は覚悟を決めて身を固めた。

「……どうぞ」

 緊張に思わず声が震えてしまう。しかし──

「う、ひゃあああっ………!!!!?」

 佳穂は不意打ちを食らいのけぞった。突然、思いもよらぬところに、くすぐったい感覚を感じたからだ。

 触られたのは、翼ではなく、耳だった。

「どどどど、どこ触ってるんですか!?」

 佳穂は触られた耳を押さえて、便利屋を睨みつけた。

「触ってみろって言ったのは、お前だろ!」

「触ってみてくださいって言ったのは、こっちです! 耳じゃありません!!」

 佳穂は片手で耳を押さえながら、腕をぷらぷら振って抗議した。漆黒の翼が閃いている。

「そんな気味悪いの触れるか!? そっちで勘弁しろ!」

 便利屋は、痛そうに手をさすりながら言った。

不意に耳を触られ、佳穂は思わず手を出してしまったのだ。

 しかし。

(──耳?)

 佳穂は違和感に気がついた。なぜなら、佳穂は自分の頭の天辺てっぺんを押さえていたからだ。

「え……!?」

 思わず両手で確かめる。

「えええっ?」

 自分が押さえていた物の意味がわかり、佳穂は愕然となった。何か大きなリボンのような形のものが頭の上にある。しかも、それは自分の耳だと感じられるのだ──。


 あわてて、佳穂は本来の耳の場所をさわってみた。

 しかし、そこはつるんとしていて、耳らしいものは存在していなかった。

「耳が──変!?」

「なんだ、気付いてなかったのかよ?」

 便利屋が呆れ顔をしている。おかしなことが起こっているのは腕だけではなかったのだ。


 佳穂はあらためて自分の腕を見た。

 そこにはやはり、真っ黒な翼が広がっている。

「便利屋さん……」

「なんだよ? 今度は」

「私──。 いったいどう見えます……?」

「どう、って……。コウモリ……ねえちゃん」

──想像通りの返答だった。

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