01夜

006 後部座席で目が覚める

 リズムを刻む振動。頬を撫でるまだ冷たい春の空気。

「──ん」

 心地よい刺激に佳穂は目を覚ました。

 ぼんやり映る景色がかすかに滲んでいる。

 明滅しているのは赤いランプ。

 見慣れた明かり。港のキリン。ガントリークレーンだ。

 ぼんやりしていた頭が徐々にはっきりしてゆく。


(ここは――――どこだろう?)


 佳穂は頭をもたげ、キョロキョロ周りを見回した。

 景色は流れるように動いてゆく。

 いや、景色が動くはずはない。動いているのは佳穂のほうだ。


(車?)


 低いエンジン音。路面のつなぎの振動音。佳穂は車の後部座席に座っていた。

 周りがよく見えるはずだ。車には屋根がない。

 オープンカーだ。傾いた陽光が眩しい。


(って、誰の!?)


「気がついたか……。できればそのまま寝といてくれた方が良かったんだがな」

「え? え?」

 突然かけられた声に、佳穂の頭が混乱する。

 佳穂は前の座席、運転している人物を見た。見覚えのある中折れ帽。

「さ、さっきの配達の!?」

「便利屋だ」

 佳穂の言葉を男が遮る。

「便利屋?」

「そうだ。頼まれりゃ配達もするがな。本来は何でもする“Jack of all trades何でも屋” だ」

 では、自分はなんだってその便利屋の車に乗ってるのだ?

 ありったけの想像力を働かせてから、佳穂は身を硬くした。

「言っとくが、誘拐したわけじゃねえぞ!」

 佳穂の想像を察したのか、便利屋の男が文句をいいながらハンドルを切る。タイヤが鳴き、サスペンションが軋む。随分、粗っぽい運転だ。

「コルボの奴らに頼まれたんだ」

 コルボ。

 男の言葉に佳穂は思い出した。

 契約書にしたサイン。

 あの時、契約書から光が溢れ出て、気を失ったような気がした。


(私どうなっちゃったんだろう……?)


 佳穂は慌てて自分の姿を見下ろした。服装は変わってない。明日から通う高校の制服のままだ。

 身を起こして、オープンカーのバックミラーを覗き込む。

「……なんだよ?」

「な、なんでもありません!」

 あわててシートに身を沈める。鏡に映っていたのは、いつもの通りのメカクレの自分だ。


 変わっていなかった。何も、全く。

 佳穂は安堵した。

(――――って、ダメじゃん!)

 とどのつまり、何も解決はしていない。

「は────」

 ため息が出る。


「…………お前さ、コルボで、なんかやらかしたのか?」

 バタバタと焦っている佳穂をよそに、便利屋が声を掛けた。

 そうだった。

 自分の格好も心配だが、それより今は置かれた状況が問題だ。

「ゎ、私、なんで車に乗ってるんですか!?」

「言ったよな。俺は便利屋だ。コルボの連中に頼まれたんだ」

 便利屋が続ける。

「日没からおおよそ、三十分。横浜から出ないように、車で連れ回せ。何があっても、絶対に車から降ろすな。いろんなことが起こるはずだが、無視して運転しろ。その後は、どこでも好きなところで開放してやれ、だとさ。────意味がわからん」

 便利屋はヤレヤレという顔で、チラリと佳穂の方を見た。

 佳穂にも意味がわからない。

「ま、どうなろうと知ったこっちゃない。寝てりゃ、そのまま湾岸をグルグルするつもりだったが、起きちまったものはしょうがない。面倒事と未成年は勘弁願う。お前、ウチどこだ?」

「ぃ、家ですか?」

「送ってやる。それで、終わりだ」

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