芋みたいな人権活動

広河長綺

第1話

私が掲げる看板に足を止める人は、誰もいなかった。


人通りが少なかったからじゃない。

むしろ、ここ、O駅東口は夏の暑さを悪化させそうなレベルの群集が通り過ぎていく。


インテリそうなサラリーマン。学校帰りの女子高生グループ。小走りの配達員。

人のバリエーションも多い。


問題は、その人たちがみんな、自分の人生に集中しているという点だ。

私やプラカードには目もくれず、歩き去ってしまう。


この地域で「選択的夫婦別姓反対の署名をお願いします」と書かれたプラカードを掲げて立っているのは、毎日の事だったが、今日は特に不調だ。

いつもなら、1日の「活動」で数人は足を止めて署名に協力してくれるのに。


活動予定時間が残り1時間となった段階でも誰も立ち止まっていない、と気づいたときは、さすがに、プラカードのデザインを間違えたかと疑った。


手を下して、改めて確認してみるが、プラカードにはデカデカと「選択的夫婦別姓反対!」の文字があり、周囲をモールで飾りつけている。


注文通りの派手なデザイン。


やはり、デザインは正解だ。だからスルーされるのは、私の責任ではない。


そう考えると気分が楽になる。


お陰で残りの時間、穏やかな気持ちで「選択的夫婦別姓反対」のプラカードを掲げ続けられた。


「でも、私の気持ちが穏やかになっても、反応はもらえないんだよなぁ」


プラカードを掲げながら1人でぼやきつつ、活動後の電話報告に思いをはせる。


――署名が貰えなかった事を何て報告しようかなぁ


成果0で今日の活動が終わる、嫌な未来が頭に浮かぶ。


時間が経つにつれて、私の責任じゃないという言い訳を、罪悪感が上回ってくる。


そして、1時間後、危惧した通りになってしまった。

貰えた署名0で、終了。


こうなった以上は仕方ない。


私は重たい足取りで、O駅近くの電話ボックスへ歩いていった。

綺麗に舗装された歩道の上で、昔から残っているその電話ボックスは異物感がある。


今時珍しいが、これを使って報告せよという契約だ。


10円入れて、電話が繋がった開口一番で「反応はなかったです。すいません」と謝罪した。


「お疲れ様」

電話の向こうから、労いの言葉が返ってくる。

鈴のように、静かで透き通った声。



私は電話越しだから無意味だとわかってても、反射的に媚びた笑顔を作って、頭を下げた。「こちらこそ、有意義な活動に関われて幸せです」


「元気いっぱいですね」電話の向こうの女は、少し笑ってくれたようだ。「明日はO駅の西口で同じ活動をして欲しいと思っています。それから、原則としてやり取りは今まで通り電話で行い、本当の非常事態の時だけ例の場所に来て下さい。それから、もし批判してくる群衆がいたら…」


明日の予定の説明の後は、細かい説明が延々と続く。


毎日の「活動」の後にはこういう、電話の業務連絡がある。


正直言って、内容をちゃんと聞いた事はない。

美しい声を味わうことに集中しているから。


声自体の美しさもそうだし、世の中をよくするためにこういった活動を主導しているという彼女の生き方にも惚れていた。


気品ある声を耳にした私は、フワフワとした幸福感に包まれていく。



「…以上で、説明は終わりです。が、明日もこの活動を続けてもらえますか?」

女が説明を終えたことを伝える声が、私を現実へと引き戻した。


「もちろん」私は慌てて頷いた。これも受話器越しでは無意味なのに。「続けますよ。私の活動が選択的夫婦別姓を邪魔できてるなら嬉しいです」


ウソをついた。

本当は、選択的夫婦別姓なんてどうでもいい。そもそも興味ない。


興味があるのは、この時間だけ。

「人権活動家」の声のためだけに、私はプラカードを掲げている。


しかし、幸いなことに、私の無関心は向こうに伝わらなかったようだ。


「それじゃあ、これからもよろしく」

そう言って、通話は終了となった。


幸せの余韻を噛みしめながら公衆電話ボックスを出ようとして、私は足を止めた。目の前に女子高生が立っていたからだ。


一般的な女子高生のような若さからくる「かわいさ」ではなく凛とした威圧感さえある「美しさ」がある子だった。


制服をオシャレに着こなすイマドキの長髪女子高生が、電話ボックスの前にいることに強烈な違和感がある。


どこか怒ったような表情も。私が電話ボックスから出るのを邪魔しているのも。


色々、おかしい。


そして、一番意味が解らないのは、手にナイフを持っているという点だ。

刃先が私を向いている。


「え、え、え?ナイフ?」

「安心してね」女子高生は、狼狽える私を鼻で笑っていた。「私の言うこと聞いてくれたら何もしないから」


「えっと、要求は、何ですか」

「あなたに指示している人の居場所」


私は息をのんだ。「それは」


――本当に緊急のときだけ、例の場所に


女の声が頭のなかで響く。


「あなたは、フェミニストで、選択的夫婦別姓反対論者が気に入らないから、こんな事してるの?」


私の質問に女子高生は笑って「興味があるだけ。どうしてそこまでして、選択的夫婦別姓に反対しているのか」


興味。


それは私にもある。電話での会話にうっとりしながら、いつか会いたいと思っていた。


「私も、興味があります。一緒に行きます」


思わず、本心を口にしていた。




女子高生は瑞理と名乗り、私が同行するのを許可してくれた。私からすれば「脅されたから仕方なく、この場所を言ったんです」という言い訳が成立する。


電話の相手に会える。そう考えると瑞理とかいう女子高生に感謝しないと。


瑞理さんを連れて歩きながら、無理やりなポジティブ思考をしていると、指定されていた「例の場所」についた。


「ここ?」

瑞理さんが首をかしげた。


「私はこの場所を教えられてます」

私は慎重に答えた。


そこからは、速かった。


瑞理さんはドアに飛びつくと、針金のような道具をカチャカチャ動かし、あっという間にドアを開け、部屋の中へ走りこんでいく。


流れるような犯罪行為。


私はドン引きしながらも、恐る恐るついて入った。


「何ですか!貴方たちは!」

いつも電話越しに聞いている声が、叫んでいる。


アパートの奥には中年の女性が腰を抜かして、こちらを見ていた。手が震えている。


私は、自分でも驚いたことに、罪悪感より先に失望が胸の中に広がっていた。


確かに声の主は、年齢の割に、そしてこういうボロアパートに住んでいる割に、美しい。


でも、それだけだ。

人権活動のために頑張る、気高さのような物が感じられない。


失望の余り突っ立っている私の横で、瑞理さんは「じゃあ、貴方に電話していた人を教えて」と尋ね始めていた。


「え」

「やっぱ、知らないだね。この人も貴方と同じで、電話で指示された通りに動いてただけで、何の信念も・・・」


瑞理が最後まで言い終わる前に、私は中年女性を平手打ちしていた。


ぱぁん。

気持ちのいい音が響き、私の手のひらに中年女性の化粧の粉が付いた。


何の正当性もない。この人も私も同じことをしているのだから、私にこの人を叩く資格はないのだろう。


それでも、怒りを抑えられなかったのだ。


瑞理さんは「スゲー」と笑っていた。


コレが平手打ちした女の、1人目という事になる。


私も瑞理さんも、ここだけで満足することはない。

私が本当の意味で憧れていたのは、人権活動を頑張る姿勢だ。


つまりこの女性は電話の受話器と同じ。

私が憧れていた相手は、この女の向こうにいる。

だから私は、まだ瑞理に同行したいと頼んだ。


瑞理は「むしろ一緒に来てほしいよ」と、了承してくれた。

瑞理は「なぜ選択的夫婦別姓がダメなのか」という質問に答えて欲しいのに、答えてもらっていない。


満足できないのは、瑞理も私も同じだった。


1人目が喋った住所に行き、そこでも瑞理がドアを開き、私が乗り込んで行って、2人目の女を平手打ちして「お前に電話で指示出してたのは誰?」と尋ねた。


その女も、信念があって参加してたわけじゃないので、簡単に喋ってくれる。


次の3人目もそれの繰り返しだ。


瑞理がドアの鍵破り。

私が平手打ち。

2人で尋問。


鍵破り。

平手打ち。

尋問。


鍵破り。

平手打ち。

尋問。


6人目を超えたあたりで、私の心の奥にあった「私が惚れた人に会いたい」という願いは、怒りに変わっていた。


私が惚れた女と私の間には、あまりにも多くの電話がある。

こんなの人権活動システムを作る女が、気品があるとは思えない。


私が勝手に憧れて、勝手に幻滅して、勝手に怒っている。


「私は純粋な知的好奇心だけど、貴方はすごく自分勝手な動機だね」と瑞理さんには笑われた。


でもその身勝手さだけで、私は突き進んでいる。


電話の主を遡っていけばいくほど、私の平手打ちはパワーを増している。


この芋づる式人権活動のスタートの女を平手打ちする時には、どんな力になっているのだろう?

もしかしたら、首の骨を折ってしまうかもしれない。

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