返して…

〈ユキナ視点〉










「・・・・・・」






ある集団を見つけて

思わず出しかけた足を引っ込めた






( ・・・残業って… )






朝…彼女らしき相手に

残業が終わったら会いに行くと言っていた

甲斐君は男女数人で

今から何処に飲みに行こうかと

話合っていて…

とても仕事の雰囲気ではない…




定時退社だとエレベーターは混むし

他部署の人とあまり顔を合わせたくなく

いつもの様に階段を使って降りて来たけれど

ドアの少し先に営業課の集まりが見えて

またドアの向こうへと姿を隠した





( ・・・5分もすればいなくなるよね… )





腕時計をチラッと見て

扉にもたれかかり

時間が経つのを待っていると

背中を預けていたドアが急に開き

「え?」と驚きながら後ろに顔を向けると…





( ・・・どうして… )





アスカ「・・・・・・」





ドアを開けたのは青城君で…

私がさっきドアを開けた時に

見られたんだと分かり

余計に恥ずかしくなって背を向けた





エレベーターが混んでいて

急いでいる時なんかに階段を使う人はいるけれど





きっと…私がどんな理由で

階段を使っているかは青城君にも分かっただろうし

人を避けてコソコソと階段を使っているなんて

彼には…知られたくなかった…





「・・・・・・」





アスカ「・・・・・・」






何も言わない青城君の向こうから

「どうした?」と近づいてくる

甲斐君の声が聞こえぎゅっと目を瞑った…






カイ「なんかあっ…

  あっ!あぁ!!経理のお局さんね!笑」






「・・ツッ…」





どんどん声が…

複数の声が耳に届き出し

足が小さく震え出した





カイ「急にどっかに歩いて行くから

  何かと思えば…笑

  あのな!お局さんみたいなタイプは

  階段使って帰りたいんだよ

  そっとしていたい人なんだから

  そっとしてやるのが1番なんだぞ」






奥から「ウケる」と笑う声が聞こえ

息がしずらくなっていく…






【 見て…また一人で食べてる…笑 】





( やめて…ヤメテッ… )





周りの目にも…

笑う声にも耐えられなくなり

階段を駆け上がって行くと

下の方から「逃げちゃっただろうが」と

笑っている甲斐君の声が聞こえ

唇を小さく噛んだまま

4階の経理課のある階まで走った





地味に…

目立たなく過ごして来たのに…






暗くなっている経理課のドアを開けると

そのまま床に膝をついて座り込み

震えている拳をもう片方の手で

ギュッと握りしめた…





「・・・ッ……ナンデ…」





あの場にいたのは

きっと、皆んな私よりも年下のはずだ…




年下の社員達から逃げて

こんな所で泣いている自分が情けなく感じ

「なんで…」と何度も口からでてくる…





( ・・・なんで…ウチに来たのよ… )





この1週間…

望んでもいないのに…

周りから見られる…





暗い部屋に明かりが差し込み

私の直ぐ後ろにある扉の開く音が聞こえ

誰かが入って来たんだろう…





遅れた領収書や書類を持って来たのなら

「お疲れ様です」とドアを開けるだろうし…



そもそも、明かりの消えた

この部屋のドアを開けたりしないだろう





経理課の人間ならば

直ぐ電気をつけるし

こんな所で座っている私を見れば

「どうした?」と言う筈だ…





「・・・・・・」





扉を開けた人物は

何も言わないままドアを閉めて

ゆっくりと私に近づいて来たから

「ゃめて…」と震える声で呟いた…





「コッチ……来ないで…」





アスカ「・・・・・・」





こっちに…来ないでよ…」






何で来たのよ…

今あなたの顔を見たら…





「コナイ…でッ…」





( きっと…言ってしまう… )





アスカ「・・・先生」





「ッ…先生なんて呼ばないでよッ!」





( ダメ…ダメだよ… )





青城君が悪いわけじゃないんだから

こんな事を言ってはいけないと分かっていても

震える手と同じ様に

喉の震えを止める事が出来なかった…






「わたしッ…キミの先生なんかじゃナイ…」





アスカ「・・・・・・」

 

 



「そんな風に呼ばないでッ」






ダメだとは分かっているのに

言葉が止まらず…

どんどん…自分の中の黒い何かが

喉元に上がってきている…






「アレは…ただの教育実習なのッ…

 ただの…実習でッ…仕方なくやってた先生なのッ…」





( 違う… )





「ホントの…先生じゃないし…

 もう私にかかわらないでよッ…」






ギュッと閉じた目からは

熱い涙が落ちていき

さっき感じた恥ずかしさを

彼にぶつけているだけだと

自分でも分かっている…





乱れた呼吸を整えながら

流れ落ちてくる涙を手で拭き取っていると

「ねぇ…」と低い声が聞こえ

ビクッと肩が揺れた…





( ・・・怒ってる… )





青城君は私の前へと歩いて来て

顔の高さを私に合わせると

顎の部分をグッと掴み…






アスカ「・・・返してよ…」





「・・・ぇ…」





アスカ「あの日の告白…返してくれない?」






彼の言う「あの日の告白」も…

返せと言っている理由も分かり

顔を下げようとすると

許さないとでも言うかの様に

更に強く顎を持ち上げられ

目に映る彼の顔は…

とても…怖かった…






「あっ…あの…」





アスカ「・・・返せよ」






そう言うと顎を掴んでいる手に力が入り

少し痛い位に感じる顎の痛みは直ぐに薄れた…






( ・・・えっ… )






唇に感じる熱に戸惑い

手で彼の肩を押そうとしても

頭の後ろを強く押さえられていて

重なっている唇が離れる事はなく






「・・・ンッ……ヤメッ…」






必死に彼の肩や胸元を叩いて

抵抗していると

ようやく彼の顔が私から離れ…





可愛く見えていた厚みのある唇には

細い唾液の糸が付いていて

きっと私の唇にもついているんだろう…






アスカ「昔っから…アンタは最低だったよね」






「・・・・・・」






苛立ちを含んだ笑みを溢してそう言うと

青城君はスッと立ち上がって

部屋から出て行ってしまった…





( ・・・昔…から? )










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