第2話
「踏んだり蹴ったりだ。ついてない」
連れに聞こえないようにアベルは愚痴る。
噴水に突き落とされた後、アベルは唖然として相手をみたが、相手はそれは可愛い女の子だった。
長い金髪を背中でひとつに括っていて、可愛いエプロンドレス姿。
一見して良家のお嬢さんといった風情だった。
アベルにぶつかって噴水に突き落としてしまったことでオロオロしていた。
さすがに怒るに怒れず、アベルは気にしなくていいと笑ったのだが、どういうわけか相手の少女は気に病んで引かなかった。
幾ら責任感が強い少女だったとしても、ちょっと異常なほどに。
それでそれとなく探りを入れると、どうも少女は行くアテがないらしかった。
ここで出逢ったのが救いとばかりに、アベルに懐いてきた次第である。
呆れて突き放そうかと思ったが、その事情を聞いた瞬間、少女のお腹がなった。
少女は赤くなってお腹を何度も叩いていたが、これには怒る気も失せてしまった。
それで結局、孤児院まで連れていくことになっている。
まあ元々が身寄りのない人々の集まりのようなところだ。
ひとりやふたり増えたところで困る人はだれもいない。
しかし相手のことをなにも知らない状態で連れていくのも変だ。
さりげなく振り返る。
少女は後ろをついて歩きながら、物珍しそうにキョロキョロしている。
その様子から見て、絶対に行くアテがないなんて嘘だろ、と、アベルは内心で突っ込む。
おそらく帰る家はあるのだ。
あるのに帰る気がない。
もしくは帰れない。
そんなところだろうか。
どこかの裕福な家のお嬢さんが、親とケンカして家出でもしてきた。
そんなところかなとアベルは考える。
「きみ……名前はなんていうの?」
「名前……ですか?」
突然話しかけられた少女は、幾分、身構えた様子をみせた。
「そう。名前。呼ぶ名前がないと不便だし。あ。俺はアベル。アベルっていうんだ」
「アベルさ……んですか。素敵な名前ですね」
微笑んでそう言ってから、少女はすこし間をあけた。
「わたしはレティといいます」
答えてきた少女にアベルは一瞬だけ視線を向けたが、なにも言わず「そう」と答えた。
本名じゃないなと読み取りながらも。
「これから俺が帰る家は孤児院だがら、ちょっと騒がしいかもしれないけど、あんまり気にしないで」
「孤児院?」
「身寄りのない者が集まって暮らしてるところだよ」
わからないかなと思って説明すると少女は赤くなる。
「そのくらいわかります。わたしにだって」
ブツブツと口の中で愚痴っている。
どうやら意味が通じたらしい。
「でも、それだとわたしが行ったら、ご迷惑ではないですか?」
「困ってる人を助けるのが教会の役目だから」
「教会? さっきは孤児院って……」
「教会が孤児院を兼ねてるんだ。この辺だと珍しいらしいけど」
「確かに珍しいですね。普通は孤児院と教会は別々だし」
そこまで言ってから、少女は首を傾げた。
「それだと生活はどうやって? 教会への寄付金だけでは食べていけないのでは?」
「あー。うん。その辺は適当にね」
「適当……」
適当でなんとかなるのだろうかと、少女の声に出ている。
しかしそこまでの内情を明かす必要性を感じなかったので、アベルはなにも説明しなかった。
「とりあえず怒られる覚悟だけはした方がいいな」
「どうしてですか? あ。それはわたしが怒られるのはわかりますけどっ」
「いや。数少ない余所行きの服を汚したから、姉代わりのシスターに責められるんだよ」
ここまで言ってアベルは肩を竦めてみせる。
「この服を買うのに、どれだけのお金が必要だったと思ってるってね。それにこの服は普通に洗濯できないし」
カードが届く前に出掛ける準備を整えていたので、アベルはパーティー用の正装を着ていた。
アベルにしてみれば、かなり奮発して買った服だ。
それはエル姉も知っているので、この系統の服を汚すと、それはそれは責められる。
本当に普通に洗濯できないらしくて、使う洗剤やら洗い方やら、すべて特注になるらしい。
高価な服というのは扱いも特殊らしいのだ。
その辺はフィーリアに任せきりだから、アベルは詳しくは知らない。
だが、だからこそ、このことで責められると強く言えないのだ。
フィーリアに迷惑をかけたと責められると言い返せないので。
しかしアベルが思索に耽っているあいだ、少女はふしぎそうに首を傾げていた。
「せんたく?」
意味を知らないと言いたげな声にアベルが振り返る。
少女はそれは不思議そうな顔をしていた。
(もしかして?)
「洗濯……知らない?」
「あ。いえ。知っています」
「ふうん。知ってるんだ?」
白々と問えば少女は必死になって頷いた。
どうやらこれで誤魔化せると思っているらしい。
思っていた以上の箱入り娘だ。
これは早々に迎えがくるに違いない。
それまで丁重に相手をすればいいかと、アベルは早速覚悟を決めた。
こういうお嬢さんの道楽には、まともに相手をしないに限る。
でないとエル姉がキレるし。
教会がみえてきて隣に建っている大きいが古ぼけている建物の扉を開ける。
少女もおっかなびっくりついてくる。
「フィーリア。ただいまー」
声を投げるときも、どうしてか「エル姉、ただいま」とは言えなかった。
いつもなら「エル姉、フィーリア。ただいまー」なのだが、このときばかりはエル姉の名前は出せなかった。
「あっ。お帰りなさい、お兄ちゃんっ!!」
シスター姿のフィーリアが現れた。
金髪を肩で揃えていて瞳は紫。
自慢の妹だ。
「ただいま、フィーリア」
頭を撫でるとフィーリアが幸せそうな顔になる。
まだ14歳。
それなのに家事をすべて任せて、おまけにシスター見習いとしての仕事もある。
苦労させてるなとつくづく思う。
「お兄ちゃん、その人、だれ?」
「ああ、うん。レティっていうんだって。行くアテがないとかで、腹を空かせてたから連れてきたんだ。なんかある?」
「んー。お夕飯の残りなら。あ。お兄ちゃんの分もちゃんとあるよ?」
「わかってるよ。フィーリアが俺の分を食べるとは思ってないから」
「それからお姉ちゃんがお兄ちゃんに謝っていてほしいって」
「……」
「お姉ちゃん、とても後悔してたよ? 自分の価値観を押しつけたって。全部お兄ちゃんのお世話になっているくせにでしゃばりだったって。お兄ちゃんが出て行った後で泣きそうな顔してた」
「……そっか」
エル姉はたしかに貴族がきらいで、貴族絡みだと暴走してしまう。
だが、感情で動いても、こうやって反省することのできる女性だ。
だから、アベルは彼女をきらえないのだ。
どれほど苦労させられていても。
今頃、教会の掃除でもして反省している頃だろう。
後で慰めておこうと心に決める。
そうして控えめに立っている少女の方を振り向いた。
「こっちにおいで。食べさせてあげるから」
「ごめんなさい。ご迷惑でしょう?」
レティがそう言えば、あからさまに怪訝な顔になって、フィーリアがアベルの耳許に囁いた。
「お兄ちゃん。このお姉ちゃん、帰る家がないなんて嘘でしょ? こんな上品な孤児みたことない」
「ああ。多分家出だと思う。まあ本人が家に帰れないって言うんだ。今は面倒をみておいて迎えがきたら、そのときに考えればいいだろ? 本人が帰りたがるかどうかは別として」
「エルお姉ちゃん、怒るよ? もしこのお姉ちゃんが貴族だったりしたら」
「そうだったとしても、困ってることには違いない。エル姉がそこで追い出すのは、シスターとして失格だろ? そこはフィーリアも説得しろよ。とにかく飯も食えないくらい困ってるのは確かなんだからさ」
「食べられるだけのお金があって食べないのに困ってると言われても……」
「あのな、フィーリア。貴族って案外、金持ってないものなんだ」
「そうなの?」
きょとんとした顔になるフィーリアにアベルは重々しく頷いた。
「金持ち金持たずっていうのかな。貴族は出歩くときに金を持ち歩かない。つまり家出なんてしても、食べるお金は持ってないってことなんだ」
「それで家出してなんとかなるの?」
「普通なら悪い奴に攫われて終わり、なんだろうけど、この娘の場合、俺と逢ってるからな。その分、運がよかったってことで」
「お兄ちゃんの貧乏クジを引く損な一面変わってないね」
呆れたように言われて、アベルは慌てて咳払いした。
「とにかくっ。飯だ、飯っ!!」
アベルは大股に歩いて行ってしまう。
フィーリアはクスクス笑って、呆気に取られているレティの方を振り向いた。
「お兄ちゃん、先に行っちゃったから追いかけよう?」
「あ。はいっ」
慌てて返事をするレティに世間知らずな一面が覗いて、フィーリアは改めて実感した。
レティの運のよさを。
アベル以外に拾われていたら、今頃どうなっていたか。
その辺をわかっていないらしいので、レティの運のよさも本物だと感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます