銀髪ハーフの上司がいびってくる裏で俺をダメにしようと甘やかしてくる

しのびかに黒髪の子の泣く音きこゆる

本編




 うーん、あれ。

 さっきの客。ナゲットのソース、入れ忘れたな。


「あ、ヤベ」


 ヤベ!

 俺は自分のミスに気付き、そのことについて声を出すと言う更なるミスを犯した。

 客席にいた先輩が即応そくおうする!


「オイ! 新人!」


 カウンターまで駆け込んできて、憤怒ふんぬ形相ぎょうそうだ!


「は、はい」


「またやったんやな!?」


「す、すいません」


 キツい状況だが、俺を助ける人はいない。

 ここは田舎のショッピングセンターのマクドナルド。

 しかも平日の夕方。

 せわしく夕食を買い求める人々しかいらっしゃらない。


「これで何度目や!?」


「えと、覚えてないです……」


「しょうがない奴や! どうせまた人生について考えてたんやろ!!??」


 あー始まったよ。


「か、考えてないッス」


「いやキミは考えとる! 自分はホンマはマックでバイトするような人間やないて。自分はもっとすごい、みんなからめそやされることする人間やて。そんなありもしない理想にうつつを抜かし、本当のことから目を反らしとるから、キミは失敗し続けるんや!」


 先輩は俺のどんなミスに対しても人生論でなじってくる。

 女子高校生のくせに。


 人生や社会のこと何も知らねーくせして。

 小柄で短い髪を二つ結び。若者言葉なのかエセ関西弁で何時いつまでも俺をさいなんでくる。


「キミ、もう三十四やろ!? ええ年した大人が二か月もやって何でそんなミスするんや!? 理想ばっか見とるからや! 大事なのはこっち、見ないとアカンのはこっち、額に汗して働くことや!」


 なんて言われても、バイトは結局バイトに過ぎない。

 俺には本当にやるべきことがあるのだ。


「ええか、キミは人生考えとるフリして実際は人生舐めとるんや!!」


 その時、客席から声が飛んできた。


「おーい、早く戻ってきてよー!」


「あ、ゴメーン!」


 先輩はテーブルで駄弁だべる友達らに謝る。


「三十秒以内に戻ってこないと強制的に大貧民ダイヒンミンねー!」


「えー、ちょっと待ってやー。 ……オイ、聞いとんのかキミ!!!」


 と、トランプを握る両手を振り上げ、彼女は俺を威嚇いかくする。


 ……。




 人生舐めてんのはお前の方だろ!




 ……なんて言わない。

 言うと説教が延びる。


 耐えていると、今度はカウンターの奥から声。


「先輩ちゃん、もういいよ」


 鈴の音のように美しいが、氷のように冷たい、身の毛もよだつ声だ。

 先輩が驚愕きょうがくに目を見開く。


「ボ、ボス!!!」


 ボスは先輩が勝手につけたあだ名。

 俺は“本部の方”と呼んでいる。


 なんか、あんま理解してないけど、オーナーが経営改善の為に呼んだ人。


 そんなエラい奴が、調理機材の陰からのっそり現れた。


高橋タカハシさんには私からから」


「は、はいやで」


 先輩はそそくさと大富豪に戻る。


 カウンターには二人。俺と本部の方だけ。


 彼女がしばらく無言で俺を睨むので、俺も様子をそろそろとうかがう。


 まるで雪女、人でないような美貌びぼうの女だ。

 俺より背が高くて、グレーのパンツスーツはスリーピース。

 カッコよさと凛々しさと、少しの近づき難さ。


 そして、銀髪。


 長い白銀の髪をシニョンにまとめて、まなこあおく。色濃い異邦いほうの血。

 だが、顔の造りにどこか親しみやすさもある。

 まあその愛嬌のある顔は、ここではずっと不愛想に凍り付いてんだけど。


 沈黙。

 彼女は目蓋まぶたを閉じ、溜め息をフーッと吐いて口を開く。


では……高橋さんみたいな人にこう言います」


 開眼かいがん




「お前は人生を舐めているッ!!!!!!」




 デス説教が始まった!!







 それから散々怒られ、かつ失敗もし、アパートに帰ったのは二十一時過ぎ。

 ポストにはローンの督促とくそくだけ。

 風呂の後、LINEの通知が来たと思ったら飲み屋のクーポン。

 着信ちゃくしん履歴りれきにはケアマネの佐々木ササキさんだけ。


 友達はもうほぼいない。

 みんなこの街を出て、家庭ができて、構ってくれなくなった。


 でも、寂しくはない。最近彼女できたし。


 それに今の方がやりたいことの為に多く時間が割ける。

 若い頃は色々なことを気にし過ぎた。

 生涯を賭けるに値する大事なことには、一途いちずに集中しなければいけない。




 そう、大事なこと…………。




 ………………スライムをクチャクチャに潰すASMR動画の撮影には!




 お清めのバーリアル発泡酒を一本飲んでから取り掛かる。

 今日は試作だ。


 ノートにまとめたアイデアから、一押しをピックアップ。


 でっけーあわあわスライムを近頃のパンケーキみたいに飾り立てて、一気にヌトォオオッ。

 これだ。


 俺の手で視覚と聴覚の楽園を作り出す。


 今は三桁再生が限界だが、いつか絶対にYouTubeを登り詰める。


 そう、俺がスライムASMR界のヒカキンになるのだ――。






 コンコン。



 陶酔感とうすいかんに浸りながら創作に没頭していると、唐突に部屋にノックの音が転がってきた。


 時計を見ると二十三時過ぎ。

 なんだ、もうか。


 俺は服を着ると、ドアを開ける。


「やっほー、ロウ君」


 と、笑顔で俺に右手を振るのはグレーのスーツの女。

 銀髪をたなびかせ、左手にはファミマの買い物袋。


 俺も呼び返す。


「よお、アリサ」


 それが“本部の方”、最近できた俺の彼女の名前。







「蛍光灯、けたらー?」


 実家の物置部屋をまさぐっていると、戸口にもたれるアリサが声を掛けてくる。

 確かにスマホの灯りだけだと探しにくい、が。


「ダメだ、明るいと親が起きるかもしれない」


 まあアリサの車で庭まで乗り付けたので、本当はもう気付いているかも。


「そんな泥棒じゃないんだから」


「会いたくないんだよ、声も小さくな」


「三十四でまだ反抗期?」


 スキーのストックやほうきなどのたばを掻き分けながら、五歳年下の女の溜め息を聞く。


「バドミントンやりたいって言ったのはお前だろ?」


「そうだけど。昼にしようよ、休みの日の」


「深夜に男女がやることつったら、バドミントンしかないでしょ……お」


 束の中からラケットを発見。

 今度はシャトルだ。

 段ボールを幾つか開けていると、また彼女が何か言いたそうにしている。


「どうした」


「ねえ、聞いていい? さっき突き当りの部屋に『現実』って書いてあったよね、あれ何?」


 気付きやがったか。


「……あーそれ現実ゲンミ。俺の母親の部屋ね」


「えっと、何て?」


「……現実ゲンミ


「ん? ん?」


「疑うんなら今度謄本とうほん見せてやる」


「……」


「何だよ」







「フフ……現実ゲンミちゃん!」


 アリサは近所の公園に着いてからもまだ笑っていた。


「人の母をちゃん付けすんな!」


 俺は思いっきりラケットを振り、シャトルが梅雨入り前の夜気やきを切り裂く。

 この時期の長野ナガノはまだまだ肌寒いが、遊べない程ではない。


「今度会わせてよ、挨拶したい」


 渾身こんしんのスマッシュは難なく打ち返される。

 彼女は運動神経も良い。


「ヤダよ、笑うだろ」


「笑わないって。おしとやかにするから、三つ指つくし」


 思わず手元が狂って、シャトルを逃した。


「そんなタマじゃねえだろ、今日も散々怒鳴りやがって」


 仕切り直してもう一度。


「ごめーん、でもロウ君が仕事ヘタクソだからいけないんじゃーん」


 彼女はクスクス笑顔で打ち返す。


「限度がある。あんな怒り方じゃ客も近付けない」


「まああれはオーナーさんにやってる感出す為だからね」


 ポンポンと打ち合いながら、彼女の表情は柔らかい。

 仕事中とは大違いだ。


「別に嫌なら飛んでもいいよ? 養ってあげる」


「頼もしいなあ」


「いや本当に。前の彼氏もヒモにしてやったんだから」


「へー、バンドマン的な?」


「ううん、麻薬取締官マトリ


 またシャトルを落としてしまった。


「公務員辞めさせたんだ。URウルトラレアだね……」


 ダメだ。

 この女、バドミントンもエピソードも強過ぎる。


 アリサはこれ見よがしに胸を反らす。


「私、付き合う男がみんなダメになるんだ!」


「自慢するようなことかよ」


 でも、本当のことだ。

 三月にバ先で会って意気投合して以来、デート代はいつもあっち持ちだし、車も出してくれるし。

 なんか本当、理想のような彼女。


 何でも、夢のある男に弱いらしい。

 本人曰く、『父の国では貴方みたいな人を大器晩成型と言うんだよ、先行投資だよ』と言っていた。

 大器晩成は日本でも言うけど。


 俺はシャトルをポンと高く打ち上げてから、彼女に告げる。


「……いや、でも、仕事は続ける。今の方が調子いい気がするんだ」


 そうだ。

 二十時まで働いて、二十三時までスライムを弄り、それから一時まで彼女と遊ぶ。

 最近の俺の生活は充実しているのだ!


「へえ」


 そんな俺に、アリサは立派なものを見るかのように微笑む。


 高速で打ち込まれたシャトルが俺の足元に転がった……。







 それからもスライムの試行錯誤を重ねていたある日。


「……全く、キミは本当、煮ても焼いても食えん奴やな!」


 ヒントは意外にも、バイト中、先輩の口から転がり出た。


「今なんった?」


「何やその口の利き方は!?」


「わっスイマセン!」


 その場で平謝り。

 その後も常連のピクだく(バーガーにピクルス山盛り)を忘れてアホ程叱られるなどして、帰るなり俺はすぐに動画を撮影開始した。


 “煮ても焼いても”


 スライムASMR界にはスライムを煮るのも焼くのもあったが、煮てから焼く動画はこれまでついぞ見たことがない。

 これだ!


 俺はメラミンスポンジに染み込ませたタイプのスライムを煮沸しゃふつしてバーナーで焼く動画を作り、即日投稿。






 ……二日で、三万再生!




 それから俺は先輩の説教を元に動画を作った。



『そこはウチが何度もんで含めるように教えてやったところやん!』


アブハチ取らずや、横着おうちゃくしてどっちもやろうとするから!』


『オドレ、諏訪スワ沈むかっ!?』



 全部大ウケ、俺のチャンネルは悲願ひがんの収益化実現。



 スライム×説教。

 正直どこがいいのかわかんねえ。


 でもインターネットってのはこういうのじゃないと商売にならねえんだ。

 手間てますきかけていいもん作っても内容にヒステリーがないと売れない。

 変なとこだよ、インターネットここは。



 まあ上手く行けばそれでいいけど。

 ビッグになるぜ!




 だが、栄光の日々は梅雨明けと共に終わる。




「ウェッ!?」




 ある朝パソコンを見るなり、俺のチャンネルの凍結BANが発覚したのだ。

 しかも理由は、俺が裸の女がスライムでネトネトになる動画をアップロードしたからというもの。


 それはツイッターでの同好どうこうの反応を見るに本当らしい。

 だが、そんなことした記憶は少しもないのだ。


 ハッキング!


 ハッキングされたに違いない。


 だが、ノートン先生セキュリティソフトまもりは万全で、直接パソコンに触れでもしない限りアカウントには入れないはず。


 俺の家を知っているのは……現実ゲンミと、ケアマネの佐々木ササキさん、バ先のオーナー、アリサ。


 現実ゲンミ勿論もちろんオーナーも来るわけがないし、佐々木さんにはいつも居留守いるすを使ってる。




 そうなると、後は一人。







「そうだよ? 私がやりました」


 その日のバイトの休憩中、アリサに詰め寄るとアッサリ白状はくじょうした。


「な、何で……」


 情けなく聞くと、彼女は腕を組み、無表情を崩してフフンと笑う。


「だってロウ君が成功しちゃいそうだったから」


「え、成功しちゃいけないの?」


「いや、それじゃ面白くないじゃん」


「え?」


 対面の女の笑顔は、妖艶ようえん


「私、本当はさ」


 見惚れてしまうようで、『見てはいけない』と脳のどこかが警鐘けいしょうを鳴らす。



 そんな笑み。







 その場では『そ、そうなんスネじゃ、バイト戻るスチーッス』と完璧な撤収てっしゅうをしたが、俺の心は千々ちぢに乱れていた。



 アリサ、ヤバー!

 どうもあんな美人が俺のこと好きになるなんておかしいと思ってたんだよ。

 おかしい奴だったんだ。


 あの美貌と才能で今までの彼氏も手玉に取ってダメにしてきたに違いない。

 そう、麻薬取締官マトリすらも……!





 そして、翌日からも奴の魔の手は伸びてきた!


 まずSNS上に俺への悪口が匿名でばら撒かれる。

 これにより俺はスライムASMR界隈かいわいから破門はもん


 アカウント凍結解除の申し立ても却下きゃっか

 作り直すことさえできない。

 それどころか、七年前のきのこの山厨への殺害予告を通報され、ツイッターまで凍らされた。


 被害はインターネットに留まらない。


 バイトのシフトが、明らかに減った。

 俺にとって唯一の収入源。

 社会との窓口。


 それが断たれた。


 困窮こんきゅう、孤独。


 俺はバイトの無い日は一日、水を飲み、布団を被って過ごすだけ。

 そして、二十三時になるとが来る。




 コンコン。




「ロウく~ん」


 ドアから猫なで声。


「開けて~」


「ひっ、ひいっ」


「ご飯買ってきたよ~」


「か、帰れェ!」


 ドアを開けてはいけない!

 開けたら……ダメになってしまう……。







 数少ないバイトの日、空腹でヘロヘロの俺。

 カウンターにうなだれていても、先輩は容赦ようしゃなかった。


「何へばついとんのや! また人生考えとるやろ!?」


「い、いや、彼女を……いや、何でもないっス!」


「えっ?」


 すると、先輩が急に目を丸くした。


「……タ、高橋タカハシサン、彼女いるんでっか!?」


 彼女は鳩が豆鉄砲食らったみたいな顔で、こちらを見てくる。


「え、ま、まあ……」


「意外や! 彼女のことで悩んでるん?」


 恋バナが好きな性質たちなのだろうか、興味きょうみ津々しんしんな様子だ。

 というか、アリサ本人も調理機材の隙間からこちらを見ている。

 楽しげに凝視ぎょうししている。


 クソッ、もうヤケクソだ。

 思い切って話すぞ!


「うーん、彼女が俺のことを甘やかして、ダメにしようとしてくるんスよね」


「は?」


 先輩は眉根まゆねを寄せていぶかしみ、しばらくしてから俺をビシッと指差した。




「いや、高橋サンは誰がどう見ても最初からダメやんけ!!!」




 !!??




「ダメやんけ!!!!!」




 !!!???




「三十四なのにバイトで低収入で、高校生に毎日叱られてて、友達いなくて、親とも上手く行ってへん。純度100%の“ダメ”や!」 


「おま、なんで知ってんだよ!」



 俺が叫ぶと同時に、機材の方からガシャンと物音。

 先輩と二人で駆け付けると、バーガーを載せるトレイをひっくり返したアリサが手を震わしていた。







「私、昔から男を見る目が無くて」


 その日の晩。

 俺達は俺の家で膝を突き合わしていた。


 かたわらには地酒、真澄マスミの大瓶。

 腹を割った話し合いに必要なものだ。


 アリサはさかずきを大きくあおってから、また口を開く。


「付き合う男がみんなダメになっていく……。それで荒れてたら仕事も上手く行かなくてこんな田舎に左遷させんされちゃったし。もういっそ、今度は男をダメにしてみるかと思ったら、まさか、最初からダメな男を引くなんて」


「あんま人をダメダメ言うな」


「動かぬ事実でしょ」


 彼女は子供っぽい不機嫌さで唇を尖らせた。


「そっちも飲んで」


 そう言われて杯を傾ける。

 んだ酒精しゅせいがクワッと内臓を温め、俺も言う気になった。


「で、どうすんだこれから」


 俺達の関係。


「さっさと終わらせるべきだ」


 だが、彼女はまた飲んでから首を振る。

 小さな声で呟いた。


「……して」


「え?」


「なんか面白い話して」


 と、目のわった赤ら顔。


 こいつ、酒弱いな!


「え~」


「面白かったらまだ付き合ってあげてもいいよ」


 これではもう今日はまともな話し合いは無理だろう。


「面白いったって、例えば?」


「例えば、じゃあ、何でそんなダメ人間なのかとか、何で母親と会おうとしないのかとか」


 それで、俺も酔いが回っていたから、つい。


「高校の頃、親父が心臓の病気になって。すぐ寝たきりになって、現実ゲンミと二人で看病してた。親父、発作ほっさの度に物凄い苦しんで叫ぶんだ。のどからデカい長い声と血があふれて。現実ゲンミがその口を塞ぐと、もっと怖い声が出た。その声が、好きだった親父の苦しむ顔が怖くて、耐えられなくなって家出した。山梨ヤマナシの叔父の家に行って、一月ひとつきして、親父が死んでから帰った。

 玄関で俺を見て、現実ゲンミは言った。


『お前はずっとそうなんだよ。大事なものからはいつも逃げて、目を背けて、うすらぼけた一生を送るんだ』。


 まあ、そんな感じ。そんな感じの俺です」


 聞いた後、アリサは吹き出して一言ひとこと


「だっさ」


 その言い方があまりに優しかったので、俺も笑う。


「そうだよ。お前もダサい話しろ!」


「ないよ。君よりずっと上手く生きてきたし、父の国ではそういう話はしないことになってるの」


「何だそりゃ。じゃあ面白い話だ!」


「ええ?」


「例えば、本当ならどういう恋がしたかったのかとか!」


「本当なら……」


 もうどっちも酔っ払いだ。

 俺の適当な注文に彼女は真剣に悩んでから答える。


「本当なら私だって君なんかじゃなくて、顔とデキの良い後輩とサシ飲みして、三軒さんけんめぐって熱い仕事論とか話してさ、気付いたら『終電、なくなっちゃったね…』、それで……みたいな恋したかった!」


「それはどっちかっていうと男の妄想じゃない?」


「会社って男社会だから」


「他にもあるのか?」


「本当なら君なんかじゃなくて、高校でハーフの私だけクラスで浮いているんだけど、隣の席の目立たないけどカッコいいクラスメイトが優しくしてくれてるのね。で、ある日、国語の朗読の発音がおかしくてクスクス笑われてるのを彼が一喝してくれる。私もキュンとくるんだけど素直になれず照れ隠しで、ボソッと『Спасибоスパシーバ』……みたいなね!」


「もう完全に妄想だし、お前の父親、確かロシア関係無いだろ!」


 そのツッコミもどこ吹く風、彼女はまとめた髪を降ろし、足も崩した。

 乱れた銀髪を一度搔き上げ、彼女は答える。


「そう、私の父の国は、リオモ」


 切れかけの蛍光灯が瞬いてわずかの間消え、代わりに窓から清風と月光が差し込んだ。

 すぐに点く、でもその間だけ目の前の女が、この世の者とは思えず美しい。


「リオモ? 聞いたこともない」


「こことは大違いだよ。全てがきらめいて、素敵なところ。水道料金がゼロ円」


「漢字で書くと?」


コトワリのリにオモいのオモで理想リオモ


 彼女は杯から静かに唇を湿らせ、まだ話し続ける。


「十代の頃は父の国にいたの。でも逃げ出した、水が合わなくて。私の半分は母の国だからね。あのウキウキするような、光るような日々を生きることが耐え難くて」


 『だから適当に生きて適当な夢を追ってるロウ君が羨ましかったよ』と、はにかみ、それからまたねたような表情を作り直した。


「でも、この国でもこんなザマ。理想リオモから逃げて、普通に生きようと思ってもこんなもの」


 と、瓶から真澄をもう一杯注ぎ、今度は思いっきり飲み干す。


「実は父には前から『戻ってこないか』と言われててね。会社とも調整を進めてたんだけど、来週の今日、二十時ちょうどのあずさ二号でこの街を出よう思ってる」


「酔ってるな。あずさ二号はもう無いし、あれは東京トーキョーから長野ナガノに行く歌だ」


「確かに酔ってる、歌も忘れた。でも私は理想リオモを目指す、逃げるのを止めて」


 俺はヘラヘラ笑うのを止め、アリサをまっすぐ見つめた。


「貴方もいい加減目を背けているものと向き合ったら?」


 とっぷり酔った表情で、碧い眼だけが冷徹に俺を見下している。







 その後二人とも吐くまで飲んで、翌朝起きるとアリサはもういなかった。

 それから彼女は俺に会いに来なくなる。


 バイトのシフトは元に戻ったが、彼女はほとんど職場に来ない。

 YouTubeのチャンネルも解放されたが人気は戻らず、俺の暮らしは元通り。


 先輩はポテトの横領おうりょうがバレてクビになった。


 突然のように彼女と付き合ったから、やはり突然のように終わるのだろう。

 それほど悲しくはない、フラれるのはこれで四度目だし。


 俺はここで適当に働いて、適当に夢を追う、それだけの話だ。






「オウ、はようテリヤキとレイコー持ってこんかい!」


 一週間後の閉店近く、アリサもおらず一人で店を回していると、カウンターの向こうから声。

 元先輩と、その友達らだ。


犯罪者センパイ、よく毎日ここに顔出せますね」


「ウチは立つ鳥跡を濁しまくる主義なんや!」


 先輩は唾飛ばしながらまくしたてる。


「もっと濁したるで! ボスの秘密を曝露ばくろや!」


「は?」


「ボス、二十時にここで仕事終わってからいつも何しとると思う?」


「え、それは。オーナーとか本部と話したりとか残業じゃないのか」


「ちゃうで。永明寺エーメージヤマに行くんや、灯りも持たず、ヒールの足で」


 永明寺エーメージヤマはこのショッピングセンターの裏の小さな山。

 公園と……墓地ぼちがある。


「ウチら見たで。スーッと山を登って、後追ってもいつの間にか消えるんや。せやから」


 先輩はゴクリと唾を呑んでから、結論を告げた。


「ボスは……幽霊なんや!」


「バカ、そんなわけねーだろ! 大体お前らこそ夜の永明寺山で何してんだ!?」


 友達の一人が答える。


「UFO探してます」


「超バカ!」


 と、言いながらも俺は何となく胸騒ぎがした。

 この世の者ではないようなあの銀髪の女が、本当にこの世の者じゃなかったら。


 理想リオモってもしかして……。


 考え込みかけたところで、今度は背後から声。


「オイ、高橋クン」


 オーナーの爺さんだ。


「何か、電話。ケアマネだって」


 佐々木ササキさん!?


 無視しまくってたらついに職場に来やがった!


 謝罪の言葉を考えながら急いで奥にある受話器を取ると、彼女は切羽せっぱまった様子で喋り出した。


『ああっ! 朗太ロウタさん、大変なんです、現実ゲンミさん、お母さんがいなくなっちゃって!』


「ええっ」


『夕食のヘルパーさんが来たら、もう。隣の人に聞いたら、四時頃に家に車が停まってて、髪が銀色の女性と乗るのを見たって……』


 思わず受話器を落としかける。



 どういう展開!?



 佐々木さんはその後の対応など報告してくれたがろくに耳に入らない。

 とりあえずお礼を言って切ると、カウンターの方に駆け出す。



「先輩、お願いがあるんですけど!」







 俺はオーナーに頭を下げ、制服のまま外に飛び出した。

 先輩とその二人の友達と共に永明寺山へ走る。

 店の駐車場にアリサの車があって、そこしかないと思った。


 時刻は十九時三十分。



 『二十時ちょうどのあずさ二号』



 行き先は……あの世とか……。

 どんどん嫌な想像が膨らんでいく。


 先輩からアリサがいつも行く道を教えてもらう。

 そのコースの先はやはり、墓地。


 どんどん時間が過ぎていく。

 先輩達の懐中電灯が暗闇を細く千切り、その合間あいまを踏みしめた。


 山道は当然上りのみ。

 若い奴らに追いつけなくて、息が上がる、すっ転ぶ。


「イッテエ!」


 血の出たひざさすりながら、溜め息を吐く。




 なんで俺がこんな目に!


 あいつとホイホイ付き合ったから!?

 いい年してバイトだから!?

 人生舐めてたから!?




『お前はずっとそうなんだよ』





「高橋サン」


 顔を上げると、先輩が俺を見下ろしていた。


「何」


「人生のこと、考えとるやろ?」


 こまっしゃくれた顔。


 クソッ、人生や社会のこと何も知らねーくせに!


「考えてねーよ!」


 俺は立ち上がって、先輩は微笑み。

 ゼエゼエ息を切らして走る。




 やがて、墓地が、見えてきた。







 こんな夜に人気ひとけがあるはずもなく。

 親父の墓の前に二人いるだけ。


 アリサと現実ゲンミ


「そうなんですね! 彼って子どもの頃は可愛いとこもあったんだ」


 何やら話に花を咲かせていた。

 俺達が近付くとアリサは気付き、こちらに背を向けたまま声を掛けてくる。


「やっほーロウ君」


「お、お前何やってんだ、で、電車は?」


 息もえな俺に彼女はのん気に言う。


「ギリギリだけどまだ間に合うよ」


「嘘つけ、後五分しかないぞ」


 いやそんな話してる場合じゃなくて!


「お前、人の母親拉致らちすんなよ!」


「いいじゃない、恋人同士なんだから」


 先輩が飛び上がった。


「高橋サンの彼女カノジョってボスなん!?」


「今その話はいいんだよ! ……いくら何でも乱暴すぎだ!」


「ごめんね、最後に会ってみたくて。そしたら、墓参りしたいって言うから」


 彼女は相変わらず現実ゲンミと親父の墓を見たまま喋り続ける。


「ロウ君、お母さんさびしがってるよ」


「いいから、帰るぞ、お前も。何か知んねーけど、車出せよな」


「自分でやったら?」


「え」


「自分の母親でしょ、ちゃんと向き合いなさい」


 と、俺の厳しい上司は腕組みして仁王立ち。

 高校生達の方を見ても困惑するだけ。



 現実と、向き合う?


 体中に震えが走った。


 ずっと見ないようにしてきた。

 その為だけに適当に生きてきた気さえする。


 でも、ここで目を背けていいのか。 

 アリサと共に理想に、俺の手の届かないところに行ってしまうのでは?



 気付くと、俺の足は前に進んでいた。



 前に。




 緊張した面持おももちのアリサを通り過ぎ、現実の背後へ。





 そして、俺はのハンドルを握った。





 現実ゲンミの乗る車いすをクルリと旋回せんかい、元の位置に戻る。






 ……。




「車いす押してれば、現実ゲンミと向き合う必要ないんだな」




「何それ!?」


 アリサはひっくり返らんばかりに失望した。


「お前はずっとそうなんだよ」


 現実ゲンミはポツリと呟いた。


「そうだよ」


 俺は苦笑して答えた。



「最後に仲直りさせてあげたかったのに」


 拗ねる彼女に俺は向き直る。


「悪いな」


 俺も最後に。


「俺さ、お前のこと待ってるから。適当に働き、母親の車いすを押し、待ち続ける。俺は待つ男。現実げんじつとは目を合わさず、理想りそうにはほど遠く。でもいつか戻ってくるお前を迎え、祝うことができる。それでよくないか?」


「そうかな……」


 彼女が悩んでいると、高校生達が騒ぎ出す。


「ん、あれ、何や!?」


 彼女達の指差すまま星空を見上げると、大きい円盤えんばん


「アダムスキー型だ!」


 ビカビカ光って、まさにこの山から今飛び立ったところ。

 強風を吹きつけながら、宇宙へ。


「あ!」


 アリサの焦った声。


 え、もしかして。



「あずさ二号……?」


「あちゃー」


 アリサは頭を抱えていた。

 が、しばらくすると何かひらめいた顔で笑い、俺の耳元でささやく。




「終電、なくなっちゃったね」



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