三十四話 夜の一時

「寝れねぇ……」


 うす暗く、されど見慣れた天井と睨めっこすることかれこれ一時間近く。気が付けば時刻は深夜の十二時を優に超えていた。

 いつもならとっくに眠りについている時間だが、こと今日に関しては妙に寝付きが悪かった。

 予め言っておくが、間違っても不眠症などではない。何故なら今日、今に至るまでこんなに寝付きが悪かったことはなかったからだ。

 とはいえ、原因らしい原因に心当たりがない訳ではない。むしろあり過ぎると言っても過言ではない


「はぁ……」


 このまま目を閉じて無為に眠気が来るのを待っていたらいつまでたっても眠れない上、不必要に時間を浪費してしまう。

 そう考えた俺はベッドから下り、部屋の電気を付ける。暗闇に慣れていたせいか付けた直後、あまりの眩しさに思わず片目を瞑ったが、数分としない内にそれにも慣れ、今はベッドに背を預けながら読みかけのラノベを読んでいる。

 眠れない時の過ごし方は人それぞれだと思う。ゲームをする人や勉強をする人、はたまた外に散歩に行く人。人の数だけ過ごし方には幅がある。

 俺の過ごし方は昔からずっと変わっていない。と言うよりかは、変わろうと思わなかっただけ。俺自身、ゲームにそこまで興味がある訳ではなく、その上、机に向かって勉強をするほど高尚な性格も持ち合わせてはいない。散歩に関しては時折、やってみようかな、とは思うことがあるが、この学園に来てからは何よりも門限と言うものに気を遣わなくてはいけなくなった関係上、夜、特に深夜は迂闊に外に出れない。それに散歩するのに周りの目を気にしていては上手に楽しめないだろう。


「ん?」


 読み始めて三十分ほどが経った頃だろうか物語も終盤に差し掛かり、これから盛り上がりを見せるだろう、そんな時、スマホが鳴った。

 誰かからメールもしくはメッセージが来た証拠だ。とはいえ、今は深夜の十二時。後数十分もすれば一時になる。そんな時間に誰だろうか。

 思い当たる人物を探ってみるが、それらしい人物は思いつかない。と言うよりかは、そもそも片手で数えられる程度の数しか連絡先を持っていないので、むしろ思い当たる方が不思議な話だ。


「……」


 枕元に放り投げられているスマホを拾い液晶を見た時、正直、驚いた。圭地や蓮、柳に紺や響ならまだ、辛うじて分かるが、そこに映し出されていたのは【灯香】の二文字。予想外もいいところ過ぎて、あまりの事態に固まっていると、スッとメッセージが消えた。否、消された。

 たった数秒しか表示されていなかったメッセージの内容が脳裏に強く残る。とはいえ、一行程度のメッセージを覚えていないと言う方がおかしな話な訳で。

 そこには在り来たりと言えば在り来たりな言葉で、確かな疑問文が確かな疑問形と共に添えられていた。


『起きてるよ』


 栞を挟みそう返すと、一分もしない内に返信が来た。そこには一言『驚いた』と言う言葉があるだけだった。

 文面だけでは木皿儀の抱えた驚きがどれほどのものが測りかねるが、不思議と僅かに目を見開き、口を手で覆っている木皿儀が容易に想像出来てしまった。


『今、何してるの?』


『ラノベ読んでるよ』


『そう』


 返って来た端的な言葉に思わず苦笑が漏れる。いつもと変わらない感じの返答に木皿儀はどちらでも木皿儀なんだな、と安心に似た何かを抱く。


『そっちは?』


『勉強をしてるわ』


『さすが』


『普通よ。これくらい』


 ここで『ゲームをしてる』なんて返って来たらそれはそれで面白いが、『勉強をしてる』と見て木皿儀らしいと思った。

 しかも、それを普通と言っている辺り、やはり木皿儀は俺とは違うところに立っているなと思う。言い方を変えれば、強者感が凄いと言う奴だろうか。


『眠れないの?』


 それから少しの間、トーク画面に動きはなかったが、五分ほどが経った頃、新しいメッセージが送られて来た。


『それはお互いさまじゃないか?』


『否定はしないわ』


 認めたくない、という意思を文の端端に感じる。


『眠いけど、眠れない感じか?』


『そんなところ。あなたは?』


『似たような感じだな』


 ベッドに身を預け目を閉じても眠気は来るどころか逆に冴えていってしょうがなかった。何でだろうか。


『そう。電話いいかしら?』


 本日、二度目の驚き。まさか木皿儀がそんなことを言うなんて思ってもみなかった。せいぜい伸びても一時間くらいで『おやすみ』と送られてくるものだと思っていたから予想外故衝撃はそれなりにデカい。


『いいけど』


『けど?何?』


『いいです……』


『そう』


 その返信を最後に俺のスマホは鳴らなくなった。数分経っても一向に電話はかかってこず、またからかわれているのかと思ったが、木皿儀は誰よりも嘘が嫌いだし、自分で言ったことを反故にするような性格ではないことは俺も知っている。

 となれば、木皿儀の方で何か問題でも起こったかもしくはスマホの充電が切れたか、そのどちらかだろう。

 あまり想像はしたくないが、もし前者なら、と思うだけで心配が絶えない。いっそこちらからかけてしまおうかとも思ったが、気分が乗らなかった。

 もし自分で考えた最悪の結果が電話口から聞こえてきたら、と思うだけで、スマホに手が伸びず、虚しく宙を切る。

 もちろん、考え過ぎなのは自覚している。しかし、一度そう考えてしまったら最後、いくら頭を横に大きく振ろうと、その考えは上手く払拭されず、脳内にこびり付き細かな根を張る。


「……!」


 そうこう考えていると、不意に電話がかかってきた。誰か、なんて考えずとも分かる。俺は慌ててスマホを手に取り電話に出る。


「ごめんなさい。トイレに行ってて遅れたわ」


「……っはぁ~」


 電話口から聞こえて来た木皿儀の声に安堵からか全身の力が抜けていくのを感じる。重く深いため息を遠慮なしに吐き、「ははっ……」と短く笑う。気張っていた分、気疲れも酷く、今なら五分と経たず眠れる自信がある。


「一言目がため息って酷くないかしら?」


「悪い」


 むすっとした声音にそう返し、スマホを耳から少し遠ざける。


「まあ、いいわ。もしよければなんだけど、少しの間、話し相手になってくれないかしら?」


「眠れなかったからいいよ」


「……付き合ってもらって悪いわね」


 そうして始まったのは眠るまでの少し長い夜の一時。


「そう言えば、明日のこと何も決めてなかったわね。ちょうどいいわ。それについて色々と決めておきましょう」


 他愛のない雑談に花を咲かせていると、話題は明日の買い物のことへと切り替わった。


「何か決めることなんてあったか?」


 目的は決まっている訳だし、特に話し合うことなんてないと思うけど。


「仮にもデートなんだからそれらしいことはしとくべきだと思うのよ。例えば、どこで落ち合うかとか何時に集合するのかとかね」


「ああ」


 そう言えば決めてなかったな。誰かと買い物なんて長いこと行ってなかったから、そこまで考えが回ってなかった。


「とりあえず、待ち合わせは分かれ道のところでいいわよね?」


「そうだな」


 分かりやすくて集まりやすい。待ち合わせにはピッタリだと思う。


「それで集合時間だけど、遅くても十二時くらいを予定しているけど、いいかしら?」


「いいけど。少し遅くないか?」


 普通と言う方はあまりしっくり来ないかも知れないが、多くの場合、集合時間は九時、十時辺りが相場な気がする。


「今こうして夜更かしをしている分を入れてるからそれくらいがちょうどいいでしょう?それに早すぎてもあなた起きれないじゃない」


「うっ……」


 その通りで。思わず唸り声が漏れた。


「いっそ午後に集合でも良かったんだけど、それはそれで違う気がするし」


「そうか?午後でも別にいいと思うぞ?」


「……はぁ。あなたねぇ」


 電話口から聞こえる呆れ交じりの声音とため息に?が浮かぶ。何で呆れられたんだ?


「それに午後に集合なら昼食食べた後だから、その分、お金浮くぞ?」


 浮いた分で何冊の漫画が買えるのやら。


「あなたの言い分も一理あるけれど、忘れてないかしら?これは仮にもデートなのよ?さっきも言ったでしょう?それらしいことはしとくべきだって。買い物ついでにファミレスとかで食べた方がそれらしく見えるでしょう?」


 気のせいだったら申し訳ないが、ファミレスとかで、の部分がやけに強調されていた気がするのは俺の考え過ぎだろうか。それとちょっとの早口。


「それはそうだけどさ。……分かった。十二時集合な」


「分かればいいのよ」


 もしかしてだけど、ファミレスで昼食食べたいのか?なんて口が裂けても聞けなかった。それを聞いたらきっと不機嫌にさせてしまうから。

 しかし、これはあくまで仮説だが、木皿儀にも年相応というか可愛らしい部分があるんだな。……なんて気付きは今更か。


「答え合わせは明日だな」


 特に根拠のない仮説に一人小さく笑う。


「何か言った?」


 そうすると電話口からそんな声が飛んで来る。


「いや、何も」


「そう。なら、いいけれど。それはそうと集合場所と時間は決まったわね。後は……どこで買い物をするかだけど」


 一番肝心と言ってもいい部分がまだ、決まっていなかった。とはいえ、ある程度の目星は立ててある。


「それならあそこでいいんじゃないか?ほら、駅の奥の」


「あのショッピングモールのこと?確かに店舗数はそれそれなりにあるし、買い物には打ってつけだけど……」


 木皿儀はそこで言葉を区切り、「でも……」と小さく呟いた。


「何か心配事か?」


「そういう訳ではないけれど、ただ、ちょっとね」


 曖昧に濁しながら、その上で聞こえて来るのはやはり「けど……」と言う小さな言葉。


「深くは聞かないけど、あまり考え過ぎるなよ」


「ええ。……ねぇ」


「ん?どうした?」


「あなたってどこまで私に付き合ってくれる?」


 質問の意図が分からず首を傾げる。もちろん、周りには誰もいない。なのに怖いくらいに自然な動作で首が動いた。

 こういうのをなんて言うのだろうか。条件反射?条件反応?それとも小難しく言ってパブロフの犬とかか?……ってそれは違うか。


「どういうことだ?」


「言葉が足りなかったわね。正確にはどこまで私に着いて来てくれる?が正解だったわ」


「どこまでもって言った方がかっこいいか?」


「それは任せるわ。無理強いするつもりなんてないから」


 任せると言われてもなぁ。


「仮に「じゃあ、着いて行かない」って言ったらどうなるんだ?」


「その時はそうね……とりあえず、二度と約束を反故に出来ないよう、私が持てるありとあらゆる手段を行使してあなたを追い詰めて私に逆らえないようにするわ」


 やっぱり冗談に聞こえないんだよなぁ。


「そっか……」


「それを聞いて来たってことは少なからず、その気があったってことよね?」


 電話口から聞こえる冷えた声音にスッと背筋が伸びる。


「……まさか」


「本当?」


「ああ。ちょっと聞いてみただけだ。知的好奇心って奴」


 好奇心は猫をも殺す。言い得て妙だ。それを身をもって実感した。


「聞いて来た時点で言い訳の余地はないと思うけど……」


「どこまでも付き合うよ。そういう約束だろ?」


「……そういうことにしておくわ」


 どうにか最悪の事態は避けられたみたいだ。安堵。


「それで?言いたいことあるんだろ?」


「ええ、明日の買い物なんだけど、隣町のショッピングモールでもいいかしら?」


「別にいいけど、何かあるのか?」


 駅奥のところと大差はない気がするけど……本屋の充実度は同じくらいだし。


「隣町には映画館があるのよ」


「確かにあるな」


 何度かお世話になっている。ただ、電車に乗らないといけないのは少々手間だ。あ~あ、駅の奥のショッピングモールにも映画館出来ないかな。


「……」


「それで……?」


 それを最後にうんともすんとも言わなくなったけど。


「映画館があるのよ」


「聞こえてるよ?」


 復唱されても……。


「つまりそういうことね」


 どういうことだ……。


「とにかく、隣町のショッピングモールで決まりね。異論は認めないわ」


「ああ、うん……」


 何も分からないまま目的地が決まった。木皿儀にしてはらしくない端的かつ大雑把な言い分に熱でもあるのかと疑った。

 それほどまでに言葉足らずだったのだ。


「ちなみに聞くけど、お金は大丈夫?まさか一円もないなんて笑えないわよ?せめて三千円くらいはあるわよね?」


「俺を何だと思ってるんだよ……。それくらいはあるよ」


 買う時は後先を考えず無鉄砲そのものだが、脳内はそれなりに冷静で、財布には最低でも五千円は残るようにしている。

 

「なら、良かったわ。彼女に出させるなんてクズじゃなくて」


 木皿儀の中の俺は、それなりにクズ男のようだ。何故?


「ある程度は決まったわね。と、なると後は服かしら?」


「服?服なんてそう議論することでもない気がするけど」


 明日買いに行くんだし。


「私じゃなくてあなたのことを言っているのよ?あなたのセンスは図り切れないけど、せめて私の隣を歩くに相応しい恰好をして来てって言ったでしょう?」


「そう言えば」


 言われたな、そんなこと。


「と、言われてもな。その辺はよく分からない。まあ、でも大丈夫だろ。出来る限りそれなりの格好はしてくるつもりだし」


「人の言葉にここまで信用が置けなかったのは初めてよ……」


 こめかみに手を添えている木皿儀が容易に想像出来てしまう。


「もしあれだったら私が選んであげましょうか?って前にも似たようなこと言った気がするわね」


「魅力的な提案だけど、それだと場所と時間を決めた意味がなくなるだろ?せっかく決めたんだし、使わないと」


「それはそうだけど。あなたが起きれなかったらどっちにしろ無駄になるのよ?二つに一つしか選べないなら、私は迷わず服を取るわ」


 木皿儀にそう言わせるほど、俺のセンスは信用されていないらしい。まあ、自分でもセンスがある方とは思ってないから、それくらいが妥当なのか?


「頑張って起きるし、服もどうにかするから、そこまで熱くならないでくれ」


 木皿儀が熱を上げる度、悪意を含まない言葉の棘が俺に刺さるんだ。


「じゃあ、こうしましょう。待ち合わせ場所も時間もちゃんと使う。けど、私が納得しなかった場合、即刻寮に帰ってもらうわ。安心してその時は私がちゃんと選んであげるから」


 何がじゃあ、なのだろうか。木皿儀が納得しなかった場合、せっかく決めた場所も時間も結果的に無駄になるではないか。

 そうならない為には俺の頑張りが必要不可欠だが、人によってセンスは違う。俺がいくら頑張っても木皿儀が容赦なく首を横に振る可能性の方が高い。

 後、何で、選んであげるから、のところちょっと嬉しそうだったの?俺の気のせいだったらいいんだけど。


「その時はまあ……頼むけど」


 自信がないのは変わってない。


「ええ、任せて。私の隣に相応しい恰好を選んであげる」


 そこにふんすっと鼻を鳴らし、得意気な顔をしている木皿儀がいたらどれほど面白かっただろうか。

 まさかそんなことはないはずなので、想像の中だけに留めて置くことにする。


「……ふぁあ~」


 それからまた、少しだけ他愛のない雑談に花が咲く。この頃にはもう、あくびが漏れることが自然になっていた。


「そろそろ寝るか?」


「……」


「灯香?」


 時刻は気が付けば一時半を超えていた。互いに限界が近いだろうと思い、そう聞くと返事がない。名前を呼ぶが、物音一つしない。スマホを近づけ耳を澄ますと、「すぅ……すぅ……」と規則的で可愛らしい寝息が聞こえて来た。

 限界はとっくに超えていたらしい。


「……おやすみ」


 それだけ残し通話を終える。枕元にスマホを放り投げ、ベッドに横になると俺の意思とは関係なく、それなりの速さで瞼が下りて来る。

 この調子なら目を閉じた瞬間、寝てるな。そんなことを思いながら何度目かのあくびを落とす。

 この時間だと諸刃も出て来ずらいだろう。けど、絶対はない。無理を承知で脳内に語りかけてみる。


『頼むぞ』


『……仕方ねぇな』


 そんな言葉を最後に眠りについた。

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