三十三話 そうならないように頑張るよ
翌日。
「起きなさい」
揺れる体に瞼を開けると目の前に木皿儀の顔があった。飽きれているような困っているようなその表情を瞳に収めながら寝起きの頭では状況を理解するまでに相当の時間を要した。そうして昨日のことを思い出し一人納得する。
「やっと起きた?まさかここまで眠りが深いなんて思わなかったわ」
小さくため息を零す木皿儀を横目に映しながら体を起こす。すんと鼻を鳴らすとお腹がキューと鳴った。それほどまでに美味しいそうな匂いが鼻を衝いたのだ。
「起きたなら顔を洗って来なさい。その間に私は食器の準備しておくから」
そう言いキッチンに入っていく木皿儀の背中を眺めつつベッドから下り洗面所へ向かう。適当に顔を洗いある程度、眠気が覚めて来た頃を見計らってタオルで水気を拭き取る。タオルを置き顔を上げると、鏡にはいつもながら覇気のない目をした俺がいた。
「ん、早いわね。ご飯は自分でよそってね」
「ああ」
茶碗を受け取り、空腹任せにご飯を盛っていく。漫画盛りとまではいかないまでも小山が出来る程度には盛った。
「「いただきます」」
手を合わせ各々のスピードで朝食に手を付けて行く。今日の朝食は中華料理一つチンジャオロース。美味い。
「……いつものことだけど今日は特に起きなかったわね。何をしていようと小言を言うつもりはないけれど、夜更かしはほどほどにしなさいよ」
「そんな起きなかったか?」
「ええ、何をやっても気付かないほどにはね」
料理中の音にも気付かないほどに眠りが深かったと言いたいのだろうか。しかし、それはもはや俺個人だけの問題だけではなく、その原因の大半は諸刃にある。俺がいくら早寝をしようと、その分諸刃が夜更かしをしてくれる。ここらで一度、話し合うべきか。
「……ん?何をやってもって他にも何かしたのか?」
そんなポッと出た疑問を口にすると木皿儀は箸を止め俺を見た。その目は僅かに開かれており、頬も心なしか赤く色づいているように見える。
「な、何もしてないわよ。今のは言葉の綾。あなたが気にすることでもないわ」
「そっか」
明らかに声音に動揺の色が見えたが、それを指摘するとどうなるか分からないので、深く追求せず会話を終える。
「そう言えば、灯香の同居人はどんな人なんだ?」
「何よ急に」
「ちょっと気になってな」
本当はそこまで気になっていないが、今に限りこの沈黙が妙に気まずく感じてしまい、それを打破したいが為に取って付けたような話題を振ってみた。
「普通気になるかしらそんなこと?」
もっともな疑問を口にしながらも木皿儀は律儀に答えてくれた。
「あなたと同じ同居人はいないわ」
「それって」
何かトラブルでも起きたのだろうか。
「勘違いしないで欲しいのだけど、これは私が望んだこと。トラブルも何も起きていないわ。それに私と同室になりたいなんて物好きいる訳ないでしょう」
自嘲するかのように木皿儀は短く笑う。
「……」
そんな木皿儀の態度に俺は何も言えなかった。自分のことを自分の性格を誰よりも理解している木皿儀だからこそ、その選択を選んだのだろう。学園でも一目置かれている木皿儀だから同居人のことを気遣ったんだろう。らしいかと聞かれればらしくはない気がする。けど、少なくとも今の木皿儀からはその選択を後悔しているような雰囲気は感じ取れない。
「それで言うとあなたはどうなのよ?」
「俺?」
「私はともかく、あなたに同居人がいない理由が分からないわ。あなたの性格を考えてもトラブルを起こすようには思えないし」
この話題を振った以上、そのことを聞かれるとは思っていた。予め予測出来ていたからか俺は口ごもらず、隠さず、隠そうともせず、その疑問の答えを口にする。
「灯香の言う通り俺はトラブルを起こせるほど高尚は性格はしていない。けど、俺はそうでもこいつは違うんだ」
言いながら自身の胸元をトントンと二回指先で叩く。
「彼のせいと言うことね」
「ああ」
納得したように木皿儀は頷く。
「ついでだから俺が朝起きれない理由も話しとく」
そうして俺は諸刃自身から聞いたことなどを全て話した。
「……あなたも苦労しているのね」
それら全てを聞き終えた木皿儀の第一声はそんな労うような言葉だった。同情させるつもりもそれを誘うつもりも毛頭なかったが、いつかはこうなっていたかもしれないので、そのタイミングが早まっただけのこと。
「苦労。まあ、毎日、寝不足なのは困るな。自分の意志じゃどうにもならないけど」
ははっ、と笑う。
「何で笑ってられるのよ……。普通、怒るところじゃないのそこは」
「ん~、まあ、最初の方は嫌だったけど、慣れればそこまでだし。それにこいつには何度か助けられているから。言おうにも、な」
「それって代表戦のこと?」
「それもあるけど、ずっと昔に助けられたことがあるんだ。今でもその時のことは感謝してる。けど、同時にこいつのことを嫌いになった日でもある」
「……何があったか聞くのは無粋かしらね」
「その方が良いかもな」
あの時のことをいたずらに共有すべきではないと俺は思ってる。それにこれは俺の問題だ。無暗に木皿儀を巻き込むよう真似はしたくない。
「……今は深く聞かないわ。でも、そのうち教えてね。何があったか」
「……ああ、その時が来たらな」
約束は出来ない。しかし、いつかは話さなくてはいけない過去だ。もちろん、木皿儀だけにじゃない。圭地や蓮、他のみんなにもいつまで隠し続けられるか。
「準備は出来た?早く行きましょう」
玄関口に立ったままこちらに振り返る木皿儀を視界の端に収めながら、俺の手は慌ただしく動きを速めた。
もちろん、そうしたからと言って未だ満足に出来ていないことが完璧に出来るようになる、なんてことはなく。勢い任せ感情任せに手を動かした結果、今までに見たことがないほどに全英的な結び目が出来た。
これを解いてもう一度見せて、と言われてもおおよそすぐには出来ないほどに複雑な結び目。俺は諦めてトボトボとした足取りで木皿儀の元へ行く。
「全く出来ないのなら見栄なんて張らなくていいのに」
呆れたようにため息をついた木皿儀は慣れた手つきで結び目を解き、目を見張るほどの早業で綺麗に結び直してくれた。いっそ解くのが惜しいほどに。
「はい、出来た」
結び目を軽くポンと叩き木皿儀は満足そうに柔らかく、そして短く笑う。
「悪い」
「出来ないのは仕方ないけど、出来ないままにしとくのは仕方ないじゃ済ませられないわ。毎日、少しづつでもいいから練習しなさい。いつまでも私が結んであげられる訳ではないから」
そりゃそうだ。
「ああ。頑張ってみるよ」
「それでいいのよ。さあ、行きましょう」
差し出された手を取り部屋を出る。最初こそ恥ずかしさがあった手繋ぎ登校も今となってはお手の物だ。それでも一つだけ気掛かりなことがある。ひんやりと冷たく、柔らかい感触。その中、時折感じる熱っぽい感覚に俺は未だにビクッとする。手汗は大丈夫だろうか、とか力は入り過ぎていないだろうか、とか色々と心配を抱えながら歩いている。
そんなに心配なら直接、木皿儀に聞くか顔色を窺えばいいだけのことだが、そんなことを毎日、毎日聞いていては聞く側も答える側も疲弊してしまうし、だったら顔色を窺おうとしてみても眉一つ動かさないほどに木皿儀は表情の変化に乏しい。
昔とは違い最近ではちょくちょく笑みを見せてくれることが増えたが、それでも一歩外に出れば、前までの無機質な木皿儀に戻る。だから、木皿儀がどう思っているか俺に悟る手段はない。
そうしていると不意に木皿儀が俺を見た。
「さっきから視線がうるさいのだけど」
ジトっとした視線を受け目を逸らす。
「ああ、悪い」
気を付けていたはずが、バレバレだったらしい。
「私の顔に何か付いているの?それとも何か言いたいことでも?」
「いや、何でもない」
せっかくのチャンスだが、棒に振ることにしよう。仮に今その答えが聞けても、それは所詮、今だけのその場しのぎのような答えに他ならない。
毎日、毎分、毎秒、同じものなんてない。今日が良くても明日はダメ。そんなことざらにある。
「……私って嘘や隠しごとが少し嫌いなのよ。私も嘘を付くし隠しごとの一つや二つある。だから、完璧に嫌いとは言えないわ。けれど、明らかに言いたいことがあるのに隠されるのは癪に障るのよね。ねえ、あなたはどんな勇気を持って後悔したい?」
脅しにしては具体性がないそれに恐怖心が煽られる。もちろん、木皿儀のでたらめの可能性もなくはないが、木皿儀の性格を鑑みても、嘘や冗談で済ませるとは思えない。
つまり悟られた時点で俺の負けは決まっていたということになる。
「……分かった。話すよ」
俺は片手を上げ降参のポーズを取る。
「ふふっ、最初からそうしていればいいのよ」
「……」
とは言え、はっきりと言っていいものか。手汗や力のことを気にしているのは俺だけだろうし、俺だけが気にしていることを聞くのは少々気持ち悪い気がしてならない。
しかし、そんなことに悩んだとて俺には言う、以外の選択肢なんてない。
「……その手汗とか力加減とかどうだ?痛くないか?」
「ええ、問題ないわ。……もしかしてずっとそれを気にしていたの?」
それなりの緊張を犠牲にした俺とは違い、木皿儀は淡々と答え、挙句、何とも微妙な表情を浮かべながら首を傾げた。
「気になるだろ普通。女子と手なんて繋いだことないんだから」
「聞くのが遅すぎる気がするけれど、今まで特に不快と感じたことはないわね。まあ、私もあなたと同じだからかしら。その辺りはよく分からないのよね」
「……」
その言葉に僅かに口が開く。驚きのあまり。
「あら、意外そうな表情ね。そんな驚くところでもないはずだけど」
本人はそう言っているものの、俺にとっては驚く他ない事実だった。
「それとも私くらいなら選び放題、捨て放題とでも思っていたのかしら?」
言い方に棘はあるが、おおむねその通りなので頷いておく。
「確かにその通りだけど、私、他人に自分の時間を使うの嫌いなのよ。言いなりになっている気がしてね。だから、今まで誰とも付き合ったことなんてないし、ましてや事故だったとしても手なんて繋いだこともないわ。仮にでもあなたが初めてね。良かったわね、私の初めてで」
喜べばいいのか何なのか。とりあえず、その一節だけ切り取って赤の他人に聞かせたら誤解を生みそうだなと思った。
「……時間、俺にはいいのかよ」
「自分で選んで自分で決めたから、あなたに時間を使うことはあまり癪に触らないわ。それにあなたを言いなりにしている気がしてむしろ気分がいいの」
今更で最近忘れ気味だったが、木皿儀はそれはそれは素晴らしい性格の持ち主だった。
「言いなりって……」
「嘘は言ってないでしょ?朝、昼休み、放課後。今まで私が先導して来たじゃない」
言われてみればその通り。何をするにも木皿儀に一言貰ってから行動していることが多い。そこまで意識していなかったが、思い返してみれば、全て木皿儀の手のひらの上で動いていたと思うとゾッとする。自我を奪われているような、そんな恐怖を覚えてしまう。
「気が付いた時には私なしでは生きられないようになっていたりして」
「……やめてくれ」
実際、このまま自覚出来ていなかったらそうなっていた可能性すらある。早めに気付けて良かった。
「私は良いのよ?縋るあてが私しかなくなったあなたを是非とも見て見たいから」
それはもはや依存や崇拝に近い何かだろう。いくら俺が木皿儀のせいで判断力と生活力を多少失ったからと言ってそこまで落ちたりはしない。
まあ、もっとも失ったのなら取り戻して落ちたのなら上がればいいだけだが。
「……そうならないように頑張るよ」
「ええ、せいぜい足掻いて見せてね」
強く否定したかったが、俺には果たしてそれが出来なかった。しなかったのではなく、出来なかったのだ。
この先、この関係が終わるまで俺は何度か意識的にしろ、無意識的にしろ、木皿儀を頼り、木皿儀に縋ることもあるだろう。
だけど、その役目を何も木皿儀だけに押し付け、全てを任せるのは違う気がした。人は考え思考できる生き物だ。自分を捨て誰かから与えられるのを待ってばかりでは、その期間、実質的にその人は死んでいると同義ではないだろうか。
別に誰かを頼り、誰かに縋り、誰かに甘えることを悪いとは言わない。そうしない回らない時もあるからだ。けど、加減を考えて過ごさないと、全てがなくなった時、その人は壊れてしまう。適度に頼り、適切に縋り、適当に甘えること。
それくらいの緩さがあってもいいのではないだろうか。もっとも俺にそれが出来るだけの器用さがあればだけど。
「灯香、怖い」
楽しそうに笑う木皿儀に腹の底から出た本音が口を衝いた。
「ふふっ、ありがとう」
「はぁ……」
木皿儀が言うと冗談に聞こえないのが難点なんだよな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます