二十六話 お弁当
クラス替えをした日から昼休み俺は一人になる機会が増えた。いつも一緒に食べていた圭地、柳、蓮の三人は使用許可が下りた訓練場に通いっきりになってしまい。紺や響も一年の時の友人と一緒に食べているらしく、そういう訳で教室はいつも男女比が九:一となっている。
正直、女子しかいない教室に男子一人なんて気まずさ以外の何を感じればいいのだろうか。疑似でもハーレムっぽくなっている現状に喜びを見出すほど俺の心は廃れても寒くもない。
とは言え、一人と言う状況が嫌いという訳はなく、むしろ去年に戻ったみたいで少し懐かしい気分になる。
そんなことよりも気になるのは……この異常なまでの静けさだ。教室には俺以外に木皿儀や霧野、銀と布峰の四人がいるのだが異様にいっそ怖いくらいに静かなのだ。
俺の勝手な偏見で申し訳ないのだが、女子とは古来より群れを作り過ごすものだと思っている。その為、この誰も群れず個々の時間を思うままに過ごしている現状が俺にはどうにも可笑しく見える。
霧野は落ち着きなくキョロキョロしているし、銀は机の上で一人遊びに興じているし、布峰に至っては窓の外を眺めながら弁当箱をつついている始末。せいぜい銀の出す音くらいしか耳に届かない。教室を訪ねてくる女子生徒は一人も現れず、それだけでこの四人に友達がいないということを暗に教えてくれる。
……そういえば、木皿儀の姿が見えなかったけど。
「ちょっといいかしら?」
さっきまでのいたはずの木皿儀の姿を探そうと視線を動かした瞬間、そんな声が背後から聞こえ急いで視線と上体を前に戻す。
「き、木皿儀か。どうした?」
俺のそんな返しに木皿儀はムッとしたように眉を曲げた。
「昨日言ったはずだけど、もう忘れたのかしら?」
なんのことと思ったが、すぐに思い出す。
「わ、忘れてないよ。えっ……と、灯香?で良かったよな?」
「ええ、二度目はないわよ」
「あ、はい……」
写真に収めたくなるほどに綺麗な笑みが、妙に威圧的で怖かった。別に苗字呼びでも何ら問題ないとは思うが、一度決めたことは梃子でも曲げない硬い性格をしているのだろうか。
「それはそうと、今大丈夫よね?ちょっと着いて来て欲しいのだけど」
何故か暇人前提で聞かれたが、全くもってその通り過ぎるので返す言葉もない。
「いいけど、また、昨日みたいなのか?」
今日はまだ、そういうのはもらっていないけど。
「違うわ。いいから行きましょう」
木皿儀は首を横に振ると俺の手首を掴み、少々強引に教室から連れ出した。これは今朝も思ったことなのだが、木皿儀力強すぎないか?筋力がないという自覚は随分前からあったもののまさか女子に抗えないほどに弱かったとは思わなかった。
こうなって来るといよいよ俺が木皿儀に勝てるところはないように感じてしょうがない。筋トレもっと頑張ろう……。
「ここでいいかしら」
そうして連れて来られたのは人気がない裏庭のベンチ。
「あなたはご飯を立って食べるの?随分と珍しいのね」
ベンチに腰を下ろす木皿儀を眺めているとからかい口調でそんなことを言われる。もちろん、立ち食いの専門店以外で俺が立って飯を食うことはなく、「あ、いや」と返し木皿儀の隣に数十センチ開けて座る。
「少し遠くない?」
不服そうに眉を曲げられるが、女子と二人きりと言うのは人生でも初めてのことで距離感がいまいち分からないだけだ。
「まあ、いいわ。はい、これ」
そう言うと木皿儀は持っていた包みの一つを手渡して来た。
「えっ……と」
「開けてもいいわよ」
言われるがまま結び目を解くと中から現れたのは青一色の弁当箱。顔を上げると頷く木皿儀が見えたのでそのまま蓋も開ける。
「おおー……」
二段になっている弁当箱の一段目には彩り鮮やかで栄養バランスがしっかり摂られているおかずが綺麗に並べられており、二段目には卵と鶏そぼろの二色丼が詰められていた。
「どうかしら?」
「美味しそう」
そう感想を零した時、腹がキューと小さな悲鳴を上げた。
「ふふっ、早速食べましょうか」
「……ああ」
恥ずかしさを感じつつ、つついて行く。
「美味い」
「そう?良かったわ」
口から洩れた嘘も濁りもない本音に木皿儀は薄く笑う。
「でも、何で急に弁当なんて……」
「あら、迷惑だったかしら?」
「いや、そういう訳じゃないんだけど、ちょっと気になって」
僅かに目を伏せ暗い空気を漂わせ始めた木皿儀に俺は慌てて弁明の意を示す。
「……なんて冗談よ」
慌てる俺をよそに木皿儀は何もなかったという風にケロッとした態度で笑う。からかわれていたようだ。木皿儀ってこんな性格だったかな。
「私のわがままに付き合わせているお礼よ。嫌なら作ってこないけど、それを聞くのは野暮かしらね」
半分以上が空になっている弁当箱を見ながら木皿儀はそんなことを言う。
「っ……。ははっ、おっしゃる通りで」
全てを見透かしているかのような瞳に頭を掻きながら両手を上げる。実際、木皿儀の料理に俺の胃は掴まれかけていた。木皿儀の料理は彩り、栄養、味どれを取っても最高品質で一度この味を知ってしまったら今後、他の料理に感動を覚えることは少なくなるだろう。
さながら木皿儀の料理は麻薬のような魅力というか中毒性がある。さもなければ俺がただちょろすぎるだけだ。
「あなたさえ良ければ、この関係が終わった後も時々作ってあげるわよ?」
何ともありがたく、心躍る提案だが、俺は跳ねる感情に蓋をしながら首を短く横に振る。
「ありがたいけどいいよ。今だけで大丈夫」
「本当にいいの?もし遠慮しているのなら心配しなくてもいいわよ。一人分も二人分も労力に大した差はないもの」
「確かにそれもあるけど、そういうことじゃないんだ。ただ、甘えたくないんだよ」
「どういうことかしら?」
首を傾げる木皿儀を横目に見ながら口を開く。
「正直、木皿儀の料理は美味しすぎるし叶うことなら今後も食べたい」
「なら……」
「でも、それじゃあダメなんだ。今は互いに返すものがあるからこの関係が成立しているけど、この関係が終わった後は?木皿儀は善意で言ってくれたのかもしれないけど、この関係が終わった後、その善意に返すものが俺にはなくなる。貰ってばかりになるのは嫌なんだよ」
「そんなこと……」
「木皿儀は気にしないかもしれないけど、俺はそこまで腐ってないし、無償で与えられ続けることを当然だと誤解したくはないんだ。だから、これは今だけにして欲しい。納得出来ないならそれはしょうがないかもしれない。だってこれは俺のわがままにすぎないからさ」
弁当箱を上げて見せると木皿儀は何やら考え込むように顎に手を置き目を伏せる。
「……あなたの言い分は分かったわ」
しばらくの後、顔を上げた木皿儀は何やら意志の詰まった瞳で俺を見た。
「けど、納得は出来ないわ。だってそうでしょう?人の厚意に見返りの話を持ち出すなんて、まずその認識が間違っているわ」
反発されることは予想していた。でも、まさかここまで言われるとは思っても見なかったな。
「確かに中にはそういう考えを持っている人もいるかも知れないわ。けど、今あなたの前にいるのは誰?」
「……木皿儀」
「そう。私よ。自分がどうとか他人がどうとかを気にする前にまず私のことを気にかけなさい。自分で勝手に決めつけないで目の前にいる私に聞けばいいじゃない。見返りや迷惑云々はその後にいくらでも考えられるでしょ」
木皿儀らしいかと聞かれれば断定は難しいが、少なくとも木皿儀灯香という人物の性質や特性の一片を垣間見れた気がする。
「以上を踏まえてもう一度聞くわ。この関係が終わった後も時々作ってあげましょうか?」
「……何も返せないけどそれでもいいか?」
「構わないわ」
「……でも、二人分は大変だろ?」
「一人分も二人分も変わらないわ」
「っ……でも、周りに誤解を与えたり」
「勝手に誤解させとけばいいじゃない」
「……木皿儀が迷惑じゃなければ」
「迷惑な訳ないじゃない。これで成立ね。好きな具材とかあるかしら?」
「任せる……」
「そう。後になっても文句は受け付けないわよ」
「ああ」
そこで会話は終わり、再び弁当箱をつついて行く。
「誰かを頼らないのは決して悪いことではないと思うしそれもまた強さだと私は思っているわ。けど、誰かに甘えず虚勢を張り続けるのは弱い人のすることよ。あなたには出来れば後者にはならないで欲しいわ」
「……善処する」
誰かに頼るというのはそこまで難しいことではない、頭を下げればいいだけだ。でも、誰かに甘えるというのは口で言うよりも難しい。相手の気持ちを深く考え過ぎてしまうし、もちろん、恥ずかしいという感情もある。けど、何よりも難しいのはそれを行動に移すことだ。
だから、真っ先に自分の気持ちを固め素直になることが大事だと俺は思っている。木皿儀の言っていたように先に色々考えてしまうから動けない。だったら何も考えず、脳内を空っぽにして頼めばいい。
相手よりも自分の気持ちを優先したものにこそ、互いに徳のある結果が微笑むはずだから。
「ごちそうさま」
手を合わせ弁当箱を包みに戻す。
「お粗末様」
「ありがとな」
「これくらいいいわよ。それにこの先もあるのだし」
「ほんと時々でいいからな?」
「あら、疑っているの?」
「いや、そういう訳じゃないけど、一週間に一回くらいでいいからな?」
「分かっているわ」
本当に分かっているのか不安になるが、木皿儀は嘘を付くような性格には見えない。一人分も二人分も変わらないという発言を聞いた後だと、どうにも毎日作って来る気がしてならなかった。
木皿儀には造作もないことかもしれないけど、貰う側からすると申し訳なくなってしまう。と言ってもそれを確認出来るのは数週間後のことだし今不安になってもしょうがないか。
「弁当箱は洗って返すよ」
「それくらいいわよ」
「せめて洗わせてくれ。俺がそうしたいんだ」
「わがままかしら?」
「ああ、わがままだ」
「なら、しょうがないわね」
短く笑う木皿儀と一緒にベンチから立ち上がり教室に戻る為に歩き出す。授業が始まるまで後、五分。
このまま行けば、遅刻することはないだろう。
「そういえば、ほっぺにご飯粒付いていたわよ」
「え、どこだ」
触ってみるがそれらしい感触はない。
「逆よ。何なら取ってあげましょうか?」
「遠慮しとくよ。これくらい一人で出来なきゃな」
「そう。残念」
単なる親切心なのかからかわれていたのか今となってはもう分からない。
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