二十七話 抜けない習慣

「じゃあ、また明日な!」


「じゃあね、凪」


「また明日」


 ホームルームが終わるや否や圭地を含む三人は当たり前のように誰よりも早く教室を飛び出した。遠ざかっていく足音を聞きながら小さくため息を落とす。

 いくら一人と言う状況に懐かしさを思えたとて俺だって感情のある一人類な訳で、端的に言うと俺は今現在、少し寂しさに似た感情に襲われている最中である。

 何故、似たという表現を使ったのか。それは俺自身が今抱いている、最近抱き始めたこの感情の正体を正しく理解し認識していないということに他ならない。今まで数える必要のないほどにしか抱かなかったこの感情は言わば初見なのだ。

 妙に心がざわつくなとか。寒いなとか。そんな曖昧な言葉でしか表せられないこれに未だ俺は明確な名称を与えられていない。 

 そりゃ誰かに相談すればその正体は一発だろう。ズバリ「疎外感」だ。人とは群れれば群れるほど、集まれば集まるほど、人知れず無意識に悪意なく、誰かを仲間外れにしてしまう。

 一人でいれば「孤独感」二人でいれば「劣等感」三人でいれば「疎外感」と言う風な言葉もある通り、人は多くでいればいるほど、誰かを傷付けてしまう。

 もちろん、圭地たちにその気がないのは分かっている。しかし、一度誰かといる楽しさを覚えてしまった俺には、どうにも現状が不気味なくらいに不自然で、どうしようもないくらいに落ち着かない。

 出来ることなら圭地たちと一緒に訓練場で刀を振りたいところだけど、あいにく俺はまだ意識拒否のコツを掴めていない。このまだ十分ではない状態では図らずとも迷惑をかけることは必死。

 いっそ迷惑をかけると分かっているのなら今だけはこの感情に蓋をして一人でいることに慣れた方が互いの為だ。

 俺は圭地のように向上心がある訳でも強さを求めている訳でもない。だから、別に急がなくてもいい。

 久しぶりの一人。こんな贅沢はない。今だけはただ、ひっそりと自分の為に自分のペースで頑張ろう。

 この強がりが終わらぬ内に。 


「凪くん」


 呼ばれて顔を上げると紺が立ってた。


「紺か。どうした?」


「うん、ちょっといいかなぁ?」


 紺はどこか落ち着きなく視線を彷徨わせ、やがて意を決したように慎重な声音で口を開く。


「木皿儀さんと仲良いのぉ?」


「木皿儀と?」


 予想よりも斜め上の問いに自然と木皿儀の方へ視線が動く。そうするとちょうど顔を上げた木皿儀と目が合った。体感二秒が経った頃、木皿儀は静かに顔を下げ手元の本に視線を戻す。


「仲良さそうに見えるか?」


 少なくとも今のやり取りを見てそう思う人はいないだろう。


「見えないけどぉ……」


 困ったように笑いながら紺は頬を掻く。


「じゃあ……えっとぉ」


「?」


 言いづらそうに口をもごもごさせる紺。その様子はどこか気を使っているようにも見えて。


「聞きたいことがあるなら遠慮しなくていいよ。ある程度は答える」


「う~ん、そう言ってくれるのはありがたいけど、やっぱりいいやぁ。それに凪くんのプライベートに首を突っ込むのは違うからねぇ」


「?そうか」


 プライベート?何のことだ?


「僕は帰るねぇ。また明日ぁ」


「ああ、じゃあな」


「ほら、響も行くよぉ」


「……」


 そのまま前を通り過ぎるのかと思えば、響は机を前で止まり、こちらに体を向けた。


「…………まt」


「響ぃ。今日はゲームをする約束だったでしょぉ?時間なくなっちゃうから早く帰るよぉ。ごめんねぇ凪くん。お邪魔虫はいなくなるからぁ」


 響の手を引き足早に教室から出て行く二人。慌ただしいなと思いつつも紺が残した「お邪魔虫」と言う言葉の意味に首を傾げる。

 別に紺も響も邪魔ではないし、いて困る人という訳でもない。考えれば考えるほど紺の言葉の真意が分からなくなる。

 ただ、一つ分かることは身に覚えのない気遣いを受けているということだけ。どういう訳か明日にでも聞いてみるか。


「……」


 紺と響が帰ってしまったことで教室内は昼休みの時同様、九:一の状況に突入した。放課後と言うのに帰る気配を全くと言っていいほどに見せない四人。

 それぞれ動きは昼休みと同じ。格別、特出するような動きをしている人は誰もいない。しいて言うなら銀が机の上ではなく、床で何やら遊んでいることくらいだろうか。まあ、誰が何をしてようとそれは本人の自由な訳で、俺が「帰ったら?」なんていうのは甚だお門違いと言うものだ。

 それに昼休みは来なかったけど、もしかしたら友人を待っている人もいるのかもしれないし。


「……帰るか」


 待ち人も待たせている人もいない部活にも所属していない俺には、いつまでもここにいる理由がない。カバンを肩にかけ席を立つ。後方の扉を通り過ぎる直前に本をカバンに仕舞っている木皿儀が見えたが、気にも留めず階段を下りて行く。


「帰るなら一言かけて欲しかったわ」


 靴に履き替えていると階段を下りて来る足音が聞こえ俺の背後で止まった。振り返るよりも早く耳に届く不機嫌交じりの声に俺は振り返るのを止める。


「かける必要なんてあるか?別に約束してる訳でもないんだし」


「あら、もう忘れたの?登下校は一緒。そう決めたじゃない」


 そういえばそうだったっけ。


「一緒なの登校時だけで良くないか?下校時はさすがに」


「何か困ることでもあるのかしら?」


「……いえ、別に」


 その目で見つめられて首を縦に振ることが出来るのは怖いもの知らずの猛者限定の所業だ。俺には無理。


「じゃあ、何?もしかして恥ずかしいとか、かしら?」


 小さく笑いながら木皿儀は言う。


「まあ、それもあるけど。一番は俺に付き合わせたくないんだよ」


「……」


「正確に言うなら俺の時間に木皿儀……灯香を付き合わせたくないんだ。周りにそう見せる為とはいえ、灯香の時間の中心に俺を置きたくない。だから、放課後くらいは各々の時間を過ごさないか?」


 脳内に浮かんで来た言葉をまくし立てるように並べたせいか途中から自分が何を言っているのか分からなくなって来た。筋が通っているのかもそれらしさがあるのかすらも話し終えた今となっては分からない。


「つまり私の時間を奪いたくない、ということかしら?」


「まあ、そんな感じだ」


「そう。……あなたの心配は分かったわ。でも、それを決めるのはあなたではなく、私よ。昼休みにも言ったはずよ、一人で決めつけないでって。何で迷惑だと奪っていると勘違いするの?」


「それは……」


 もちろん、昼休みのことを忘れていた訳ではない。ただ、木皿儀のことを考えるよりも早く、脳内がそう決めつけてしまうのだ。どうせ、きっと、多分。そんな僅か後ろ向きにも聞こえる言葉たちが俺の思考の邪魔をする。絶対なんてない先の景色に強制的に続きを作ってしまう。

 この場において木皿儀の言い分は一理どころか百理ほどある。決めつけるのは良くないし木皿儀の気持ちを二の次に勘違いしていたのは事実だ。

 けど、べったりとペンキのように染みついた習慣はそうそう簡単に消えはしない。こういうのを何というのだろうか。見方を変えれば優しさにも見えるこれは果たして何という言葉で表現出来るんだろうか。

 偽善?妄想?先入観?それとも……わがままだろうか。何にせよ。この考えはあまり良くない。自分よりも周りに意識を向けているからこそ陥るこの思考は渡し方を間違えれば相手にとっては押し付けられた迷惑にすぎないものになる。

 迷惑をかけないように先手を打った結果、相手がそれを迷惑だと受け取ったら元もこうもない。


「っ……」


 木皿儀の言葉に俺は口ごもり何も返せないでいた。何故なら「何で」に対する明確かつ的確な理由を俺は持っていないからだ。まるで脳が考えるのを止めているように何の言葉も出て来ない。明確じゃなくても的確じゃなくてもいいのなら返す言葉はいくらでもあったはずだった。しかし、今はそれすらも口を衝かない。

 それは即ち俺が少なからず、木皿儀の言っていることを自覚し直そうとしていないからに他ならない。

 あの時からずっと、誰とも関わらずに生きていくんだと思っていたから、直す必要も理由も要らなかった。けど、まさかその弊害がこんなところで出るなんて誰が想像出来ただろうか。


「答えられないかしら。それとも答えを持っていないという方が合っているのかしらね」


 木皿儀の観察眼が異様に鋭くてそれが妙に怖かった。俺の全てを見透かされているかのような逃げ場のない瞳。背中に冷や汗が流れているのに気づいたのはそれからすぐのことだった。


「そう身構えなくても私に心を読む力はないわ。ただ、顔に全て書いてあるだけよ」


 言われて顔を両手で覆う。これ以上、顔に出した感情を読まれる訳には行かない。というか俺そんなに顔に出てたか?


「まあ、とにかく三度目はないから。それだけ覚えておくことね」


 それは注意か忠告か警告か。俺は静かに頷きを返す。


「それはそうとこの後は暇かしら?」


「いや……」


 「本棚の掃除をする」と言おうと口を開くと、


「暇よね?」


 と強い口調で被せられる。


「あ、はい……」


 逆らっちゃダメだと本能が訴えて来た。


「なら、ちょうどいいわ。買い物に付き合ってくれないかしら?冷蔵庫が空なのよ」


 そう聞いて来ると言うことは一見、断るという選択肢があるように聞こえるが、前述の会話の通り俺に頷く以外の選択肢はない。と言うか空って……。


「……俺のせいか?」


「そう思うかしら?」


 これはどっちなのだろうか。からかわれているのか単なる問いなのか。木皿儀の表情、瞳からその答えを探ろうにもどうにも読み取れない。それほどまでに変化がない。ポーカーフェイスと言う奴だろうか。とにかくそれの答えは想像で賄うしかなさそうだ。


「思う……」


「不正解よ。慣れないことをして使う量を間違えただけ。別にあなたのせいではないわ」


 慣れないこととは、弁当を二人分作ったことかはたまた、男子に作ったことか。どちらにせよ、俺に関係している以上、買い物に付き合うのは決定事項だろう。

 俺の筋肉量で荷物持ちが成立するかは知らないけど。


「とにかく行きましょう?もう暗くなり始めているし」


 長く留まり過ぎた。少し遠くに目をやれば、正門から寮までの道は規則的に並べられている街灯の光に照らされ更に遠くを見て見れば、夕日の額が僅かに見えるだけ。


「ああ」


 もうこの距離感にも慣れて来た。余りに早すぎるだろうか。それとも遅すぎるか。まあ、どちらにせよ、やっぱり誰かと足並み揃えて歩くってのは良いものだ。

 感情の乗った声も大きな笑い声もないけれど、たまにはこういう静かな時間。緩やかな歩みも悪くない。ただ、隣の歩いているのが木皿儀というのには未だ慣れない自分がいる。

 一人苦笑し視線を落とす。そうするとちょうど顔を上げた木皿儀と目が合った。


「何かしら?」


「いや、何でも」


「そう。……手、繋ぎましょうか」


 恥じらいも焦りもない口調。まるで作業かのように繰り広げられる動作に俺は今一度苦笑する。

 だってそうだろう。木皿儀は基本的に感情を出さないし読み取らせない。けれど、そこだけは意外と素直だ。真っ赤に染まった耳とほんのりと色づいている頬。


「何だ分かりやすいな」


「何か言ったかしら?」


「いや、何も」


 俺の小声に目を細める木皿儀。俺は短く首を横に振り、木皿儀の手を握り返す。小さな悲鳴も今は聞こえない。

 あの時と同じようなひんやりと冷たい感触に思うことは何もなかった。しいて言うならあの時よりも僅かに熱を感じるくらいだろうか。


「明日も起こしに行こうかしら?」


 コンビニでの買い物を終え、その帰り道、木皿儀はそんなことを言った。


「律儀に待ってなくてもわざわざ起こしに来なくてもいいんだぞ?」


「誰かさんがちゃんと起きていれば、そんなことをしなくて済むのだけどね」


「悪いな。どうにも早起きは苦手なんだ」


 というのが表面上の理由で本当は諸刃のせいなんだけどね。人の事情も鑑みず、ゲーム放題してるこいつのせいで毎日寝不足気味だ。

 たまにはしっかりと寝てシャキッと朝を迎えたいものだ。


「てか、男子寮まで行くの面倒だろ?明日からは先に行っててくれ」


 男子寮と女子寮は向かい合うように建てられており、その広い広い敷地と相まってどんなに急いでもその間の移動には十五分ほどかかる。

 この時間を毎朝木皿儀に強制させるつもりなんて毛頭ない。だから、そう提案したのだが、


「私、一度口に出したことは曲げない主義なの。そういうことで明日からも起こしに行くわ。それが嫌だったら、無理にでも起きることね」


 木皿儀の言っていることはまさにその通りで何も間違っていない。だからこそ俺は何も言い返せなかった。


「……善処する」


 自信のない一言が皮肉のように口から漏れる。


「……ここまででいいわ」


 昨日と同じ分かれ道に着いた。


「本当にいいのか?」


 両手に持っているレジ袋に視線を落とす。一人一つでも相当に重いと感じたレジ袋を二つも持った状態で満足に帰れるのだろうかという心配がある。


「心配ないわ。それに一つはあなたの分だもの」


 そう言うと木皿儀はせっかく渡したレジ袋の一つを返して来た。


「え……」


「毎朝、作りに行くのに食材がないんじゃ困るもの。それにこんな量冷蔵庫に入り切らないわ」


「……信用がないようで」


「別にそういう訳じゃないわ。ただ、誰かの為に作るのも悪くないと思っただけよ。あなたも朝から私のエプロン姿が見られて気分いいんじゃないかしら?」


 否定できないな……。


「黙秘で……」


「ふふっ、そういう訳だからこれお願いね。何か作るつもりなら好きに使ってもらって構わないわよ」


「レシートあるか?」


「何で?」


「何でって、返さないと」


 不思議そうに首を傾げた木皿儀はやがて合点がいった様子で口を開く。


「お金ならいいわ。この買い物は全て私自身の為だもの。あなたが負い目を感じる必要はないわ」


「そうは言っても……」


 ただ、預かるだけなら露知らず、「自由に使っていい」と言われている以上、少なからず返さないと俺の気が収まらない。


「とにかく、頼んだわよ」


 それだけ言って木皿儀は背を向け女子寮の方へ歩いて行く。一瞬、追おうかとも思ったが、ここより先は男子禁制の女子寮の敷地。遠ざかっていく背中に伸ばしていた手を下ろし男子寮の方へ足を向ける。


「今度返そう」


 木皿儀はああいっていたけど、やっぱり落ち着かない。まだ時間は沢山あるしこの先、その時が来るまでは嫌でも何度も顔を合わせる機会がある。

 そのうち返す機会も来るだろう。


「……はぁ」


 体力がなさすぎるせいか階段を上り部屋の前まで来た時にはもうくたくただった。たかがレジ袋一つにどれだけ苦戦を強いられているんだ。レジ袋を一旦床に置き何度か深呼吸し息を整える。


「よし」


 ある程度落ち着いてきた心拍に手を置き基本的に開けっ放しの扉を開け中に入る。


「ここでいいのか……?」


 取り出した食材を適当に冷蔵庫に詰めていく。チルド室?冷蔵室?に入れなきゃいけないものもあるらしいけど、火を加えれば全部同じだろ、ということでそこまで深く考えずに全部詰め終わった。


「さてと、風呂入れるか」


 同居人がいれば入れてくれてたのだろうが、あいにくそんな人物はいないので何もかも一人でしなくてはならない。

 一人暮らしがしたくてこの学園に来てそれが叶った。なのに何故だろうか埋まらない穴があるのは……。


「寝るか……」


 二十二時を過ぎた頃、無意味と理解しつついつもよりも早く床に付く。目を閉じれば眠気はすぐにやって来た。


「頼むぞ、諸刃」


 その願いは果たして諸刃に届いたのだろうか。

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