二十二話 明けの晴天

 長くて短い、濃くて薄い。そんな一週間が過ぎ、休み明けの朝。昨夜の筋トレのせいで痛む節々に我慢を覚えさせつつ身支度を済ませ部屋を出る。


「いたっ……」


 やはり慣れないことはするべきではないと思った。歩く度に膝やら肩に鈍い痛みが走り、もはや我慢だけではどうにもならない気すらする。

 けど、この痛みは必要経費だ。俺は強くならなくてはいけない。人として剣士として。

 何を始めるのにも先ずは基礎から。しばらくはこの痛みとの共生生活が続きそうだ。


「ん?」


 学園までの並木道に差し掛かった時、桜の木の下に佇む友人――鳥栖目蓮の姿を見つけた。

 いつも俺よりも早く登校しているはずの蓮が何であんなところにいるのだろうか。それも一人で。辺りを見渡しても圭地の姿は見当たらず、たった一人で誰かを待っているようにも見える。


「あ、凪」


 誰かを待っているのなら邪魔をするつもりはないけれど、せめて友人、クラスメイトとして「おはよう」くらいは言っとくか精神で近付いて行くと、足音に気付いたのか蓮は俯かせていた顔を上げこちらを見た。

 その瞬間、何とも眩しいくらいの笑顔を浮かべ、小走りで走って来た。


「おはよう凪!」


「おはよう蓮。圭地は一緒じゃないのか?」


 挨拶ついでに聞いてみる。


「うん、今日は朝からやることがあるって一足先に行っちゃった。一人で行くのもなんだから待ってたんだ」


「へぇ」


 きっと圭地のことだ。負けを負けのままにするはずがない。朝練でもしに早出したんだろう。

 それよりも、


「待ってんのか……誰を?」


 蓮が待っている人の方が気になった。待ってるってことは相当仲のいい間柄なのだろうと推測出来る。となると、柳とかか?


「もちろん、凪をだよ」


「……ん?誰だって?」


 一瞬聞き間違いか空耳かと思い、聞き返す。


「僕は凪を待ってたんだよ」


 蓮は柔らかく笑いながら再度答える。


「俺を?」


「うん」


「何で……?」


 一切の濁りがない、純粋な疑問が様々な感情を通り越して、失礼なくらい無遠慮に口から出た。


「何でって、僕が凪と一緒に登校したいと思ったからだよ」


 「一緒に」の部分をやけに強く強調し蓮は言う。


「それにさっきも言ったでしょ。一人で行くのはなんだからって。……もしかして僕と一緒は嫌……かな?」


 表情に影を差し蓮は目を重く伏せる。僅かに丸まった背中には黒い靄のようなものがかかっているようにも見え、蓮の抱えている悲壮感をより一層に強調して見せる。

 ここに圭地がいたら俺は今頃どうにかなってたな、なんて現状に似合わないことを考えながら申し訳ないことをしたと強く思う。

 遠慮がなかった。配慮が足りなかった。言葉も満足ではなかった。蓮にこんな表情を作らせる日が来るなんて思わなかった。

 驚きのあまり口からぽろっと漏れたとはいえ、全面的に悪いのは俺だ。ここは素直に謝っておかないと。


「悪い。そんなつもりじゃ……」


「なんてね」


「……え」


 タイミングを見計らってか蓮は小さく舌を出しいたずらが成功した子供のように無邪気に笑う。

 先ほどまでの黒みがかった悲愴感は見る影もなく、今の蓮が抱えているのは明るい、幼さの垣間見える晴れ晴れしさだけだった。


「少しからかって見た。どうかな?」


「……っはぁ~。そういうの止めてくれよ……」


 一気に色々なものが抜けて行き、そのあまりの脱力感にその場にしゃがみ込む。蓮は時折こういうことをしてくるのをすっかり忘れていた。演技派とでも言うのだろうか、表情から仕草から声音まで、全てが本物のようにしか聞こえ見えないので食らう側としてはどう足掻いても慎重にならざるを得ない。

 蓮には俳優の才能があるのかもしれない。


「ごめんごめん。でも、凪に「何で……?」って言われた時、少しだけ悲しくなったのは本当だよ。だから、これでお相子かな?」


「悪かったよ」


 蓮の差し出した手を取り立ち上がる。


「改めて僕と一緒に行ってくれる?」


「ああ、喜んで」


「ありがとう」


 今一度柔らかく笑う蓮と足並みを揃え学園に向けて歩き出す。


「そう言えばさ……」


 学園の正門が見え始めて来た頃、蓮は歩行速度を僅かに落としそう切り出した。


「凪は何で圭地が隔離教室に来たか知ってる?」


 それを聞いて俺は配属初日のことを思い出していた。理由を聞いた時、確か圭地は「同級生を軽く締めたらここに来た」と笑いながら答えていた。その他にも担任の口から「暴力事件」という単語も出て来ていたことを思い出す。

 つまりはそう言うことなのではないだろうか。


「暴力事件を起こしたからとは聞いてるけど」


 繊細な話題の為、慎重に言葉を選びながら答える。そうすると蓮は短く目を伏せ、やがて意を決したように顔を上げ口を開いた。


「それ僕のせいなんだ……」


「蓮のせい……」


 暗い声音で放たれたその言葉の真意が気になりはするものの如何せん内容が内容だ。さっきのように何も考えず無遠慮に踏み込み深く詮索していいものか悩む。

 とはいえ、蓮から話題を振ったということは少なからず聞いて欲しいという意図があるのも事実だろう。

 それを踏まえた上で、ほんの少し沈黙を経て俺は口を開く。


「詳しく聞いてもいいか?」


「うん」


 短く頷き蓮はぽつりぽつりと語り始める。


「……って言うことがあったんだ」


 泣きそうに震えた声音を持って蓮は口を閉じる。


「……何で俺に話したんだ」


 全てを聞き終えた後の率直な疑問がそれだった。思うところも気になるところも多々あるが、何よりもそこが引っかかった。


「凪には知って欲しかったんだよ。圭地の本当を。ただ、それだけかな?」


 確かに圭地の第一印象は「怖い」だった。けど、今日に至るまで話して遊んで同じ時間を過ごしてきて今更そんな感想を抱くのは無粋と言うものだ。蓮が知ったように俺もまた圭地の持っている優しさを知った。

 蓮と圭地の出会いに真っ直ぐな道がなかったことを知っても。圭地が犯した過去を知っても。俺が二人に抱く、抱いている印象には一切の修正も迷いも生まれない。友達だから信じるのではない。知ってしまったから信じるのだ。

 人付き合いってそう言うんもんだろ。


「蓮はそれでいいのか?」


「何のこと?」


「この先ずっと圭地への罪悪感を持って生きて行くのか?」


「さっきも言ったでしょ。圭地はそんなこと気にも留めてないし、気付いてもないんだよ。それにこれは僕なりの懺悔みたいなものなんだ。圭地のあったかもしれない時間を奪った罰なんだよ。僕にはそれくらいしか出来ないからね」


 悲しそうに空笑いを浮かべ蓮は小さく息をつく。


「そっか」


 蓮がそうしたいのなら俺にどうこう言う権利はない。


「僕さ夢があるんだ」


 正門をくぐり旧校舎までの長い長い道すがら、蓮は未来に思いを馳せる。


「いつかこの虚弱体質を克服して多くの人を守りたいんだ。今まで守られてばかりだった僕にも誰かは守れるんだぞって胸を張って言えるようになりたいんだ。……変かな?」


「いいんじゃないか。応援してる」


「ありがとう」


 人が抱く夢に変なものも笑われるべきものもない。平等に抱けるそれは時に人の生きる道になる場合もある。

 世の中には人の夢を平気で踏みにじって笑う奴らがいるが、そいつらは夢を持たない故に持っている人たちに嫉妬している残念な方々だ。

 夢に向かって努力している人を見ると、何も目指していない自分が否定されているような気がして憤りを感じる可哀想な人たちだ。

 誰かの夢を嘲笑って蹴落として、一時の優越感に浸っている暇があるのなら夢の一つでも探せばいいのに。そう思う。

 けど、夢を持っている人が偉いとか持ってない人が偉くないとかはない。夢は平等だ。

 夢を嘲笑われている人と同様に持っていない人もまた、ある意味では被害者なのかもしれない。


「凪は夢とかある?」


「ん~」


 空を仰ぎ考えてみたが、それらしいものは何一つとして思い浮かばない。蓮のように人助けをしたい、とか胸張って言えればいいんだけど、あいにく俺にそんな殊勝な心はない。

 そもそも俺がこの学園に来たのは、親元を離れ一人で暮らしたかっただけでこれといった目標を持って入学した訳ではない。面接の時にも同じようなことを聞かれたが、それとなく当たり障りのない嘘を答えた気がする。

 まさかあの時の嘘をここで再利用する日が来るなんてな。


「今はないかな。そのうち見つける」


「そうなんだ。何だか意外だな」


「そっか?」


「うん。てっきりあるのかと思ってた」


「どこを見てそう思ったんだよ」


 全くもって心当たりがない。


「何でだろう。何となくかな?」


「蓮が分かんないんじゃ俺も心当たりがないよ……」


「あはは……。でも、思ったのは本当だよ。だって凪最近難しそうな顔して考え込んでいる時あるし」


「そうか?」


 難しい顔をして考え込んでいる?俺が?そんなことある訳。……いや、ないとも言い切れないか。

 自分のことや諸刃のことについてここ数日で考える時間が急速に増えた気がするのは確かだ。


「もし悩んでるのなら相談してよ?友達でしょ?」


 首を傾げると共に蓮は顔を覗き込んで来る。


「……友達。そうだな。その時は頼む」


「うん、待ってるから」


 満足した様子で笑う蓮。その横顔を視界の端に収めながら俺は短く言葉を落とす。


「……ごめん」


「ん?何か言った?」


 顔を上げる蓮に笑顔を作り、


「なんも」


 と返す。


「そう?なら、いいけど」


 再び歩き出す背中が俺との間に数センチの溝を作る。そのたった数センチが妙に遠く感じたのは果たして俺の気のせいなのだろうか。

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